4-10
エリスが手紙を出してすぐ、返事は返って来た。実家に友人を連れて行ってもいいですかという旨である。いいよ、と優しい言葉を掛けてくれたのは先代イルディ男爵夫人であった。
先代イルディ男爵夫人は、父がエリスの母を求めてやまないことを知ってはいたものの、立場というものもあり、兄の母親との結婚を余儀なくされた父が、その内側室としてエリスの母を娶ると思っていたらしい。しかし蓋を開けてみれば妻を恐れてとてもではないが側室を娶れる状態ではなかったという。
普通の恋愛結婚に近しい形になるはずだったエリスの母との関係の方を応援しているという不思議な人物である。なんでも、イザークの母とは実家が険悪な仲なのだとか。
「ということで、快くOKをいただいたのでソル様とルナ様を連れてまいりました!」
「こんにちは、エリスの母、マルタでございます」
「エリスの父方の祖母、カーラと申します」
「ソル・セーリスと申します。エリス様とは仲良くさせていただいております」
「ルナ・セーリスです。よろしくお願いします」
自己紹介を交わした後、カーラは少し申し訳なさそうにエリスに言った。
「エリス……実は、イリスが回復したそうでねえ。今夜には戻ってくるんだよ」
「えっ、イリス様回復なされたんですか! 道理でお兄様が浮かれてるはずだわ……」
エリスは驚いてソルたちを見る。ソルとルナは大体何が言いたいのかは理解したらしく、大変ね、と小さく苦笑を浮かべた。
「気にしたら負けよエリス。ここは頑張って無事にマルタ様を側室に据えた男爵の心労を労わる準備をすべきだわ」
「はい、わかりました! ああ、もうじき兄も来るはずなのでお待ちください」
ソルとルナをソファに座らせ、紅茶を淹れ、クッキーを準備したころ、赤い髪の少年がつかつかとヒール音をさせながらやってきた。
「お、っと……もういらしていましたか」
「こんにちは。ソル・セーリスです」
「ルナ・セーリスです」
「イザーク・イルディと申します。妹がお世話になっております」
赤髪の少年――イザークは左脚を下げて礼をする。ソルとルナも一旦立ち上がりドレスの裾を摘まんで礼をした。
イザークは真面目だとロキに言われ、礼儀作法だけは満点とってくる兄ですとエリスから道中説明を受けて苦笑したものだ。
イザークが空いている席に着くと、使用人がフルーツタルトを運んできた。
「やった」
「エリスちゃんは本当にフルーツタルトが好きねえ」
「はい!」
きりっとした顔でエリスが答える。ソルとルナはそのタルトが冷えていることに気付く。
「すごいね、冷えてる」
「ロキん家ならわかるけど……このタイプの魔導具って高くないっけ?」
ルナ、ソルの言葉にマルタが笑って応えた。
「イザークさんの夏休みの自由工作の結果なんですって」
「小学生か」
「初等部で作った」
「小学生だった!」
すごい、と羨望の目でソルがイザークを見る。
ソルからすれば、見るからに火属性のイザークがどうやって物を冷やす魔導具を作れたのかという話である。
「火属性でも氷って使えるんですか?」
「火と水は無理ですが、火と氷は関係上案外近いところにありますよ」
「あ、そっか」
ソルはその一言で理解したらしく、今度はエリスに視線を移した。
「お話聞いてっていい?」
「イザーク兄さんがいいって言うなら」
「俺は構わない」
「ソルだけずるい。エリス様、私たちも一緒にやりませんか?」
「いいですね、4人で魔術の訓練しましょう!」
「おやつ頂いてからね?」
「「「「はい」」」」
そこから6人でゆっくりとフルーツタルトと紅茶をいただき、4人は庭へと出た。
庭にはたくさんのバラが植えてある。
色とりどりの花が咲いているのは美しい。
フォンブラウ家の庭は謎の一部日本庭園化しているのだが、ゼロとロキがやったと見て間違いないと思いつつ眺めていたソルとルナであった。あれはあれでなかなか見ていて落ち着いたものだが。
「セーリス男爵家の屋敷は、ツツジに囲まれていたわね」
「そういえばそうだね。公爵家とかは白亜の壁に囲まれて閉鎖的だけど」
「まあ隠れようもなくなるし」
ソルとルナはぼんやりと実家の屋敷を思い出す。
「始めるか」
「「「はーい」」」
イザークの言葉にソルとルナはエリスとイザークの許へ駆け寄った。
「……いつも指導される側だから新鮮だな」
「あー……あの人は弟ともども常軌を逸してるので気にしなくていいと思いますよ?」
イザークの学年はソルたちよりも2つ上。
つまり、ロキの姉であるスカジがいるということだ。あんな化け物じみた存在は比べるだけ虚しくなるだけであろう。
「ああ、セーリスといっていたか……」
「はい」
「“槍姫”ってそんなにすごいの?」
「ロキのお姉さんだもの」
「あー」
「エリスまで何か訳知り顔になったな??」
イザークはロキのことを話に聞く程度であるためロキがスカジよりもさらに常軌を逸した存在であることを知らないのである。
「ロキ殿と同じ学年だろう?」
「うん」
「ふむ。興味をそそられるが、今は魔術に集中しようか」
「「「はーい」」」
イザークはひとまずエリスと対峙する形をとる。
「エリス、こっちから仕掛けるぞ」
「分かった」
実戦の形で実際に使って見せた方が早いと判断したのであろう、イザークは動き易いとはいえドレスを纏っているエリスに殴りかかった。エリスはそれに慣れたように払い、受け流し、肘を打ち込む。イザークはそれを払い除け、一旦エリスが離れた。
「ほえ」
「早いですねー」
今度はエリスがイザークに膝蹴りを繰り出し、イザークが脚で受ける。
「――我が敵の目を焼く目映き光、顕現せよ、【フラッシュ】!」
「――光を返せ、囲うは脆き氷の壁、【アイシクルカーテン】!」
エリスが光を放つとそれにエリスを巻き込むために唐突にイザークが氷を生成した。
「【アイシクルカーテン】って氷っぽいけど」
「本来は【ダイヤモンドダスト】か【スノウ】のはずだけど、彼は氷のマナを使ってるわけじゃないもの」
ソルは冷静に分析を始める。イザークの髪は赤いのだ。水や氷はおそらく使わないと見て間違いなかろう。
一旦距離を取った2人は互いに魔術をその場で撃ち始めた。
とはいってもすぐにエリスがイザークの氷に囲まれて動けなくなり、体温が冷えてへたってしまったのだが。
「イザークお兄様ギブー!!」
「ん」
氷がパリンと砕けて中からイリスが出てくる。唇が紫色になってしまっていた。
ソルは苦笑を浮かべ、エリスを支えて乾いた地面に連れて行く。その先ではイザークがタオルを地面に一枚敷いて、バスタオルを引っ張り出すところだった。
「すごく冷えてるね」
「とっても寒い!」
「今8月ですよ?」
「私熱の適性低いんです! あっためて!」
「はいはい」
ソルがポンと光の玉を出す。
「――見守り育てる焔の名。【ソル】」
「堂々と魔法を使いおった……!」
「私が使える回復ってこれだけですもの」
ソルは笑うが、この魔法ははっきり言って範囲が広すぎる。
イザークはそう思いつつ魔法の効果範囲らしきラインを見つけた。
「……あまりに非効率的すぎるな」
「……でも、これが使えなきゃ、この魔法だけはきっちり使えるようになっておきたいの」
「……そうか」
これ以上踏み込むのは無粋と考えたイザークはそれ以上は言わずに、普通に炎を出す。
エリスの手を取ってまじまじと眺め、凍傷がないことを確認してほっと息を吐く。
「エリスが重度の火傷や凍傷を治せるようになるまではやはり封印だな」
「火属性の人間がいきなり氷出したらびっくりしますよ?」
ルナの言葉にイザークは小さく笑んだ。
「それを狙っている。攻撃魔術に応用できるかもしれんと思ってずっと弄って来たんだが、イマイチ俺は出力が上がらなくてな。ソル嬢の魔力量なら問題なく実践で使えるレベルに仕上がるだろう」
「イザークさんも結構いい線行ってる……もとい、それなりに実践で使えるところまで来ていると思うのですが」
ソルの言葉に、イザークは少し目を見開いて、唇を噛んだ。
「いや。俺はすぐに息が上がってしまうし、本当に離脱の時に少し使える程度だろう」
「でも今まで火だと思ってた人間が唐突に氷を使うとなればそれなりに……ああでもそれだと詠唱破棄の方が都合いいですね?」
「……転生者だとは聞いていたがそこまですぐ思考が飛ぶんだな……」
エリスがそうだったのであろう。ソルは苦笑し、教えてください、と元気よく声を張り上げた。何事もきっかけが肝心である。
「ん、まず、通常火を出しているときは何をイメージしている?」
「蝋燭ですね。あと摩擦でやるアレ」
「つまり、」
「はい、こうです」
イザークがソルに教えるモードに入ったため、エリスはルナを連れて少しずれたところでお互い光魔術を弄り始める。
ソルは俗にいう指パッチンでポッ、と赤い火を灯す。
「小さな火だな」
「火傷したくないですもの」
「ほとんど火傷しないだろうに」
「それに気付くまでに半年かかった人間が通ります!」
ソルの出した火はコントロールが丁寧になされているが、おそらくこの令嬢は元々大火力で押し切るタイプだろうな――そう考えたイザークはさっそくソルにイメージを提示する。
「水が氷になるということは分かるな?」
「はい!」
「水がどう凍っていくかは知っているか?」
「……はっきり言って説明しかねます」
水という液体は水という分子の集合体で、その分子の動きをほとんど止めたものが氷である、なんて、一体どうやって説明せよというのか。ソルはそう悩んでいた。
「まあ、熱を奪えばいい話なんだが」
「分かった、イザーク様はそのイメージだけで製氷できたんですね」
「ああ」
悩む必要ねーじゃん、とソルは早速始めようとし、ふと思う。
現在ソルの周りには火のマナが大量に渦巻いている。夏だからであろう。空を見上げれば水精霊と火精霊が飛んでいくのが見えた。
「……熱を奪う」
火属性のマナに発熱ではなく、吸熱を命じればいいのだろうということは何となくわかる。どうすればいいだろうかと少し悩んで、ソルは還元を思いついた。
(還元に必要な材料の代わりをマナに命じる感じというより……違うな、元素のエネルギーを奪う? 運動エネルギーを奪えばいいのかしら)
微妙な知識というのも微妙である。
結局この日ソルは、製氷することができなかった。
「悔しい」
「俺3年研究したから。半日で越えられたら流石に悲しい」
「ぬー、ロキ様なら私の頭に分かりやすくイメージをくれるかもしれない」
「鬼神と恐れられるロキ・フォンブラウに相談か……」
「待ってなんかロキに変なあだ名がついてる!?」