第九話 洗礼の始まり
小説を書くって、本当に難しい。
それぞれに異なる生活形式を築いているトゥルシア人、シェルデン人、アカイワシャ人、ルッカ人、四つの海ヒト族に隷属しており奉仕種族と呼ばれているシェケレシュ族など海の民と呼ばれている集団は基本纏まりがない。
それは後に日本の民族学者から海棲性遊牧民と分類されることになるトゥルシア人も同様であり、民族としての一体性はなく陸人とは対照的に部族社会を長年に渡って維持してきた。彼らは状況次第によっては血を分けている同族同士で争うことも厭わない。同族でもこんな有様なのだから、相手が同族ではなく他の海の民ならば……言葉にしなくても察せられるだろう。二つの巨大な大陸の周りにある一つの大海は青く澄んではいなかった。
だが、修羅の国か魔地と思わせるもう一つの社会にはある程度の秩序、いやある特徴というべきものが存在している。それは食糧危機や侵略など海の民全体に危機が訪れた際は、共倒れを免れるために驚くべき程、信じられない程の纏まりを見せる。部族間と民族間の争いが鳴りを潜めるようになる。そして連合軍を作りそれぞれが必要としているものを求めて陸地に攻め込んでくる。蝗害の如き海の民の攻撃により滅亡に追い込まれた陸人の国は数多い。異世界国家の歴史書、古文書に数多く残されている。海の民と陸人の衝突は大中小合わせると度々起きており大規模なものになると大陸とアパライア大陸の歴史を大きく変えてきた。なお余談であるが、歴史を大きく変えられた事例は異世界だけではなく多少の繋がりがあった地球にもあるらしいのだが、それは今の話には関係ないので後回しにすることにしよう。
話を戻す。
断言をするが決して海の民の纏わりは完全なものではない。取りあえずは棚上げにしている部族間、民族間の遺恨や不信や嫌悪は払拭することはない。状況次第では互いの足の引っ張り合いを見せる危険性を秘めていた。
異世界においても、呉越同舟や一致団結という言葉は単なる幻想に過ぎないようだ。それは海の民事変で顕著なものとして出てしまった。
◇
八月二三日午前九時四二分
日本国領海内の海域
エレム隊から少し離れた後方に本隊はいた。トゥルシア人部族のなかで最大勢力を誇るトロイア部族の軍勢だけあって規模は他の部族軍と比べものにならない。
族長であるルシアは先行していたエレム隊から陸地と所属不明の船の集団を発見したという報告に困惑していた。
何だろうとしばらく考えていると、悩んでいる暇はないと言わんばかりにこの次に届いた報告は驚愕するべきものであった。
「申し上げます!! エレム隊が所属不明の船の集団との交戦を行っている模様です!!」
本陣にいた者たちは騒ぎ始める。皆、動揺していた。
ルシアは驚愕し激怒した。
「何だと、エレム隊に交戦の許可を出してはいないぞ!!」
「シェケレシュの一匹が恐怖に負けて矢を放ったようです」
「馬鹿者めぇ。自分の部下をきちんと抑えて置かんかぁ!! 戦況はどうなっている?」
「味方にかなりの死者が出ています」
不祥事を起こした指揮官に、騒ぎの元凶となった奉仕種族にルシアは怒りをぶつけるが後の祭りであった。戦端が開かれたことで先がどうなるか分からなくなってしまった。ただ、えらいことになることは理解していた。
「死者が出た以上は引き下がることはできません。決断を!!」
それに対し我が部族が執るべき手段はたった一つしかないことも。
指揮官クラスの部下の一人が鼻息荒くして言う。彼と彼だけではなく皆が望んでいること言えと要求しているように思えた。
突如現れた陸地に攻め込むか一旦引き揚げて様子を窺うか紛糾していた本陣内の空気が一気に一つに纏まってしまった。身内を殺した連中に報復を、だ。
ここで引き下がれば、別の部族に他の民族にトロイア部族はやり返すことをしなかった臆病者だと見られてしまう。自分の地位も危うくなってしまう。舐められ、見下され、馬鹿にされ、軽く見られてしまえばこの母なる海、この世界をまともに生きてはいかれないのだ。
例え後に愚かなことだと非難されても、実力が未知数な勢力に戦を挑むという愚策と思いながらも実行するしかなかった。
やられたらやりかえす。その断固たる意志をおそらく陸人で構成されている未知の勢力に示さなければならない。
「やむをえん。全隊に指示。三隻の鉄の船を攻撃!! なかにいる陸人どもを報復として皆殺ししろ!!」
部族長の言葉に、本陣内は大きな声が轟いた。ただちに、海騎兵一〇〇〇と潜水兵二〇〇〇――総勢三〇〇〇の兵力からなる本隊は敵がいる海域に向かい始めた。
惜しむべきことにその途中でエレム隊の生き残りと合流し、エレムの口から部隊が壊滅したことが伝えられたのだ。もう少し慎重になるべきだったかもしれないと後悔することになるがもう手遅れであった。敵の姿を捉えていたからである。自分たちの姿を見ている敵に背を向ける訳にはいかなかった。敵の実力を上手く理解できなかった、何とかなるここでひと押しすれば巻き返せると思い込んでいたのかもしれない……。
◇
午前一〇時〇一分
日本国 新東京都
中央区 銀座東三丁目
新東京都の中心地の一角で日本全国にある全ての地名のなかで最も知名度のある地名でもあるこの街は別の意味での賑わいを見せていた。
「物資統制法案、反対!!」
「配給制、反対!!」
「同じ道は許さないぞ!!」
デモである。労働団体、市民団体に属している人間が群れを作って片手とシュプレヒコールを挙げて道を歩いていた。彼らの間から殺気が立ち、デモを行っている集団を見張っている警察側からの探るような視線と相まって物々しい雰囲気を醸し出していた。
そんなデモの姿を遠くから冷めた目で見つめる一人の若い男性がいた。彼は潜入工作員の摘発と暴徒化したデモの鎮圧を主な任務とする機動戦闘警察員だ。おととしまでごく普通の大学生であったが就活に失敗したせいでこんなところにいた。そう思うと、何でこうなったのだろうか? 密かにため息をついた。
「おい、早く戻りな。隊長にどやされるぞ」
「ああ……すまない」
頭を抱えている上村一警に、先輩である所一警が注意する。
部下からは鬼軍曹ならぬ鬼隊長として恐れられている宮上警の鋭い視線を感じた上村一警は慌ててデモ隊に向けていた視線を引っ込めた。二人が所属する機動中隊は予備として後方で待機していた。働いているときはとても忙しいが待っているときはとても暇だ。
だから、暇を潰すため気軽に話すことができる先輩である所一警に顔を向けて話し始めた。するとデモ隊がいる方角から今までより大きな声が聞こえてくる。デモ隊と機動戦闘警察官が小競り合いを起こしたようだ。鎮圧してこいという命令が来ていないので話し続けることにする。
「しっかし、こりない連中だな。ネタを見つけるとすぐにかみついてくるな。逆に自分の首を絞めていることに気づいていないのかな?」
「確かにそうだけど。あいつらの立場から見れば主張しないと人は集まらないし集団として維持ができないんだよ。それに今の騒ぎが彼らにとって最後のチャンスだと考えているのかもしれない」
「そうかもしれないね。でも市民は市民で何度もやらかしたことがある馬鹿の口車に乗せられて大統領弾劾の苦い思い出を忘れたのかね」
デモ隊に聞こえたら不味そうな台詞を上村一警は何ら躊躇いもなく言う。同感なのか周りや話し相手の所一警は咎めることはしない。ただ、所一警が返した言葉は予想外であった。
「今日はもの凄い滑舌だな」
「……思うところがあるからさ」
問いかけに、上村一警は笑って誤魔化した。
「まあこれ位にしておきな。隊長にどやされるぞ」
「分かっている。今は勤務中、真面目にやろう」
「そうそう。国民のため、自分の懐のため……」
「いい心がけだな」
宮上警が話しかけてきた。調子に乗り過ぎたので咎めにきたようだ。無意識に顔が強張ってしまう。
「あっ、隊長」
「そんなお前たちに仕事をやろう。裏路地のパトロールだ。デモのどさくさに紛れて碌でもないことをやらかさないように抑止するのが目的だ。さっと緩んだ顔を引き締めろ」
所一警は被っているヘルメットを宮上警に全力で叩かれた。それを終えると上村一警に何もすることもなく人員輸送車から降りていった。
「くっそぉ。思いっきりはたきりやがって」
密かに愚痴る所一警に上村一警はやれやれという視線を向けた。
「うん?」
路面に足を付けた瞬間、二人は振動を感じた。
「何だ、地震か?」
「いや違う。地震としてはおかしすぎる」
近くにある人員輸送車とパトカーが軽く揺れる程の振動であった。それは地震のように激しく一定の間隔でずっと揺れている訳ではない。規則性がありこのときになると路面を震わせていた。
その間隔に上村一警は気味の悪さを覚える。まるでこれは――。
「……何かが歩いているようだな」
所一警の呟きに、上村一警は嫌な予感を胸に抱いた。
震源は、中央区のなかで東京湾に接している晴海五丁目であった。海面からは何かが飛び出した何かが地面を踏みしめたことによるものだ。それはイカの足であった。一〇本の足が海中に潜んでいる本体を引っ張り出す。
盛大な水しぶきと共に出た本体はイカそのものであった。普通のイカとは違うのは高層ビル程という大きさと陸地を歩くためなのか大木の幹を思わせる太く大きな二本の足が存在することだ。
瞳には怒りを滾らかせてこの化け物は咆哮を挙げた。その声は中央区に留まらず新東京都全域に響き渡った。二本の大きな足が地面を砕き、水中をかき分けるための一〇本の足をまるで鞭のように振り回して周囲にある建物を手あたり次第に破壊し始めた。
それに呼応するかのように正体不明の集団が隅田川を遡上し主に中央区を中心に次々と上陸し人を襲い始めた。
海の民事変のなかで最も被害が出た『中央区の戦い』が勃発した瞬間であった。
後にクラーケンと呼ばれる巨大イカの怪物の上陸と海の民の侵攻は事態が更なる混迷を遂げることを示していた。