第八話 拡大
少し遅れました。申し訳ございません。
この話からタイトルを付けることにしました。
設定集は……執筆中。
では、第一章の始まりです。
八月二三日午前九時一四分
日本国 紀伊半島和歌山付近の海域
沿岸戦闘艦『すずらん』
艦橋から出て海を一望できる場所にて見張員と共に『すずらん』後方の海面を双眼鏡を通じて確認していた『すずらん』艦長の本間海軍中佐は苦りきった表情を浮かべた。
性質の悪い冗談しか思えなかった。自分が今現在捉えている光景は。
一〇〇を越す規模の変な集団が巡航速度で航行している『すずらん』、『まつ』、『たけ』を追いかけているのだ。
しかも、機械か生き物か分からないが動く何かに乗っているのか水面から顔を出している、鋭く尖っている尖がり帽子を被って分厚い皮で顔を殆ど隠し魚の鱗のような表面をした奇妙な服を着ている人間はいるが、大半は両生類の顔に人の胴体と四肢をくっつけた姿をした人外であった。奴らは目以外を水中に沈め泳いでいた。顔を出して見つめている双眸が沢山あるのだから、本間艦長は見るだけで正気が削れていく気分になる。
「艦長、奴さん付いて来ていますぜ」
本間艦長と同じ思いなのか、顔を青くさせ今にも吐きそうな口の形をして副長が言う。
突如現れた所属不明の集団はこちらの呼びかけに応じず、領海から去れという指示を無視して艦隊を追いかけ続けていた。今のところ攻撃は受けてはいないが自分たちに向けて何も言葉を発しないこの集団に対する気味の悪さは膨らむばかりだ。
「とりあえず包囲されないようにしているが……『まつ』からの指示はどうなっているか?」
苛立った口調で本間艦長は問いかける。
これが地球だったならこちらの流儀に則って領海侵犯した不届き者は何らためらいもなく排除しているところだ。ところがここは異世界だ。許可なく他国の海に侵入したものが逮捕されたり攻撃されたり排除されたり碌な目に遭わないのは当然で一番悪いという地球にある殆ど国家がその認識であったルールが相手にはない可能性がある。
門によってこの世界に繋がり進出してから、認識とルールの違いにより小さな諍いと衝突が大規模な戦争に発展したことは度々あった。『アメリカ使節団遭難事件』が通称『アパライア戦争』、別称『皇国戦争』に発展したように。
ルールが統一されていない故に、互いに己が正しいと思っているルールを押し付け合っているのだ。おそらくは強大な誰かが持つ誰かがおびただしい犠牲を払おうとも無理やりにも一つのルールに纏なければ終わることの決してない戦いの輪廻。
それを日本政府は薄々と勘付いていた。
アメリカならとにかく、祖国防衛ならやむなくだが戦争自体はなるべくやりたくない日本にとって巻き込まれたくないことだ。そのため穏便な関係を築くことができないイロコイニア帝國以外の勢力とは距離を置いてきた。世界が異なるのだからそれで問題はなかった。
しかし、日本はこの世界に転移してしまった。秩序を維持し国の行く末を決める義務を持つ日本政府と祖国を鎮守する防人の義務を負う国防省、統合幕僚監部と他国との交渉を司る外務省は周辺の勢力とどの距離でどう接するべきかすぐに結論を出すことはできず苦悩していた。
この背景によりしわ寄せが来ているのは国防の現場であった。
「相変わらず。旗艦からは『現状維持に努めよ、なるだけこちらから仕掛けるな』の一点張りです」
「上の連中は何を考えている。明らかに警告と退去命令を無視しているのだぞ」
本間艦長の声は怒りでにじんでいた。根っからの軍人で政治や外交に全くといっていい程に興味はなく現場が第一の人間である彼は現場に苦境と緊張を強いる上層部が腹立たしかった。何故、いつもの通りに排除しないのか――疑問で仕方がなかった。
「艦隊前方に浮上する集団があり」
見張員の報告に、即座にその方角を見つめた本間艦長の双眸は航路を塞ぐように立ちはだかる両生類の出来損ない、半漁人もどきの集団を捉えた。
「そのまま突破しますか?」
「馬鹿なことを言うな。回避、回避だ。絶対に牽くなぁ!!」
不安を抱きながらも上の指示を従おうとする艦長の指示に従うように『すずらん』は右に向かって動き始める。流石は小回りが効くように設計された『ききょう』型沿岸戦闘艦である指示を出してあまり時間を置かずに舵が効いた。大型船ではそうはいかない。
しかし、『すずらん』は全速ではないもののそれなり速度が出ていたので急速に浮いている集団との距離が詰められていく。このままだと艦の左側面が衝突しかねなかった。そうなれば確実にただでは済まない。
冷や汗を額ににじませて祈るような気持ちで本間艦長は食い入るように事のなりゆきを見守る。視野が一気に狭くなってしまう。接近する『すずらん』の姿に驚いたのか集団の一部が逃げる。その引き金となり全てが逃げた。
集団がいなくなった海域を『すずらん』は航行する。
「奴らが逃げたお蔭で何とか回避できました!!」
副艦長の弾んだ声での報告に本間艦長はハッと現実に引き戻された。回避、何とかなったらしい。実感は湧かないがそうなのだろう。するとさっきまで見つめていた光景が脳裏に浮かび上がり、回避したことをハッキリと実感させた。
安堵の息を漏らす。
ところが状況は艦長に安堵するときを与えない。
風が切る音が上から聞こえてきた。見上げてみると矢の雨が飛んでくる。慌てて矢の影となる位置に伏せた。
次々と命中していき。まれに床に突き刺さった。近くの床にほぼ垂直に刺さっている矢を見た本間艦長は生きた心地がしなかった。同時にやったな、この野郎どもと自分をひっかき回してくる元凶に対し怒りがこみ上げてくる。
怒りで歯を震わせていると、副艦長の怒鳴るような声が本間艦長の耳朶に届いた。
「ふ、ふっ、負傷者発生。見張員の一人が奴らからの矢を受けました。肩を貫いたようです。今現在医務室に運ばれております」
「何だと!?」
ついに負傷者が出た。もしかしたらと密かに持っていたが、現実のものになったことに本間艦長は息を呑む。これはもはや実戦だと感じてしまう。
「損害確認!! 艦に異常はないか?」
「損傷なし。艦の航行に異常はありません」
取りあえず安堵することにした。矢如きで艦をやることはできない。当たり前のことである。だが銃声よりも低い音で迫ってくるこの武器に恐怖が湧き上がってくるのを認めざるを得なかった。気を一切抜くことができなくなった。抜くとやられてしまいそうに感じたからだ。
「艦長、『まつ』が!!」
『まつ』がいる海域に視線を移すと、矢の雨が絶えずに降り注いでいた。また、半漁人もどきの群れが『まつ』に接近しており、一部が艦に張り付きズルズルと登って甲板上に乗り込み艦内に侵入しようとしていた。
「クソッタレだ。状況は悪化の一途だ」
本間艦長の焦燥が、声となって出てしまっていた。
「不味いぞ。本艦に接近してきます。いかがなさいますか?」
乗り込んでくる気だな――『すずらん』に迫る半漁人もどきの群れを見て本間艦長は思う。そして、これに対する対応策は一つしかないという結論を導き出していた。上に対応を窺う暇はない以上、艦長の席を賭けて自分の責任でそれを口から出さなければならないことに、双肩が重くなっていくのを感じるがためらいはなかった。
口を開く。そこからハッキリとした声が漏れる。
「交戦用意、両生類の出来損ないみたいな連中を『すずらん』に乗り込ませるな!!」
『まつ』がいる方角から主砲から発せられる砲声が聞こえてきた。
◇
午前九時二一分
日本国 新東京都
永田町 国会議事堂衆議院議場
議場は喧騒に満ちていた。矛先の一つである前島大統領にとってこの音の集合体は殆ど雑音に過ぎかったが。大統領用の席から見える議場は、この国の立法府として法などの決まりごとを定め国の行き先を決定するという神聖さは全く存在せずまるで動物園さながらであった。
「物資統制法案は明らかに国の国民支配を強化するものだ。灯油、ガソリン、電気、米、小麦、砂糖、大豆など生活に欠かせないものが配給の対象となり政府の強い統制下に置かれてしまえば国民は政権に何も抵抗することができなくなる。人質が取られたのと同然なのだからだ。戦時中のありさまを見ればよく分かることだ!!」
若い野党議員の質疑に、野党の座席から同調する声と政府や与党を比喩する野次が飛び。それらが混じり合って聞くに堪えないものとなっている。聞く価値がないので答えるために必要な答弁を話し半分で聞き、野次はシャットアウトした。
審議が始まってから五日間。野党は足を引っ張り続けて挑発を続けている。挑発に乗れば、言葉尻を捉えたことをいいことに馬鹿者が鬼の首を取ったようにさらに騒ぎ出すので付き合う気になれなかった。大統領職が長かったのでそのことには慣れきっているが、こんな危機的状況にも関わらずこの様だと流石にウンザリしてくる。
短気はいかんと思いながら前島大統領はため息をつく。
「……大統領」
木更津国務総理が話しかけてきた。
何ごとかと疑問を抱くが少し前に届いた報告のことを思い出す。
「謎の集団についてか?」
和歌山付近の海域にて哨戒を行っていた国防海軍部隊が今まで接触がなかった集団と初接触を果たし睨み合っている。それがどうなったのか気がかりであった。
「はい」
「どうなっている?」
「悪化するばかりです。艦隊は包囲され三隻のうち『まつ』に乗り込まれたようです。現在交戦中、統合幕僚監部では状況次第で増援の派遣を検討しております」
内心、嫌な予感はしていたが現実なものとなっていた。状況というものは自分から遠く離れ何ら手を付けられないところから悪化していくのを痛感した。
「分かった」
テレビ中継されているなかで動揺している顔を中継される訳にはいかなかったのでなるべく無表情で簡潔にそっけなく答えた。
前島大統領を呼ぶ議長の声が聞こえてくる。質疑が終わったようだ。
(ガツンと爆弾を落としてやるか。馬鹿どもだけを吹っ飛ばす賢い爆弾を……)
頭の片隅からくる囁き。右手で隠した口元が不敵に歪む。やってやろうと思った。
マイクがある位置にたどり着くと、下の与野党の議員たちが座っている席を一瞥してそれを終えるとすぐに口を開き発言し始めた。
「……国会中継を視聴している国民諸君、神聖なる議会で議論を交わしている議員諸君。この世界が我が国に牙を剥いたようだ。所属不明の勢力に和歌山近くの海で展開していた艦隊が襲撃された!!」
この発言に議場はより一層騒がしくなった。
◇
午前九時三〇分
日本国 紀伊半島和歌山付近の海域
衆議院議場に爆弾が投下された同時刻。エレムは信じられないものを見たという思いとなっていた。三隻の船からの反撃により彼の配下が次々とやられていく一部始終を見る羽目となっていたからだ。
丸太を思わせる金属製の筒のようなものが向けられてしばらくすると雷鳴の如き甲高い音が響く。そこから何かの物体が放たれているようで味方のいる箇所に命中していき、衝撃波が海騎兵と潜水兵の体を種族関係なしバラバラし、無事なものも間欠泉のように湧き上がった水柱に呑み込まれていった。
さらに空を震わせて空高く飛翔してしばらくして落下し始めたエレムのなかの常識にはない何かが水中で鼓膜を破る程の大きな音量と共に水柱を作り、それによって生じた音が水中に潜んでいた潜水兵に対し有害に作用させ沢山の土座衛門を生産させる。
「何だ、これは……」
エレムが出す声は呆けていた。
彼の知る由もないことだが、筒は主砲であり空高く飛んだ物体は対潜ロケット弾であった。『すずらん』の主砲――五七ミリ単装速射砲、『まつ』と『たけ』が属している西日本が開発した『まつ』型フリゲート艦が主砲として搭載している五インチ単装砲がレーダーなどセンサーで捉えた敵を片っ端から撃ちまくり。三隻ともに搭載している西側を代表する対潜迫撃砲――M/50 三七五ミリ対潜ロケット砲がソナーで捉えた水中に潜む敵を投下したロケット爆雷を爆破させた際に生じる衝撃波で始末していった。
結果、『まつ』以外の艦に乗り込むことには失敗。できなかったものたちは次々と骸となっていった。
「このままだと全滅します」
「くそ!! 歴戦の戦士の集まりが何でザマだ」
船の一隻に立ち塞がった集団のなかにいたシェケレシュ一匹が迫りくる未知なる存在に対する恐怖に屈して矢を放ってしまったのがそんな惨状を引き起こしている。今まで自分が率いる隊は無敵だと思っていたがそれは錯覚に過ぎないことを思い知らされた。天に向かって罵声を放ちたくなるが今はそんな余裕はなかった。
「いかがなさいます。もはやまともな戦闘はできません」
判断が迫られた。エレムは迷いなく言う。
「退却だ!! 生き残りをまとめて離脱し本隊と合流する」
「船に乗り込んだものたちはどうしますか? 今のこのありさまでは指示を届けることはできません」
「今は助けられん。今のところ……見捨てる」
「……了解」
このままで終わらせるものかという言葉が無念をにじませた表情を浮かべているエレムの心の中で響き渡っていた。
退却の号令が響き渡る。しかし戦場に響き渡った爆音と混乱により上手く伝達することができず運良く届いたものを除いて撃破されていった。本隊と合流した生き残りは指揮官であるエレムを含め二〇名以下であった。
なお、『まつ』に乗り込んだ海の民の戦闘は継続中であった。奴らは孤立したにも関わらず抵抗を継続していた。
海の民との初接触は当事者たちの気づかないうちに衝突に発展していき、どのような結末を辿るかは今のところは不明確であった。