第三話
投稿が一日遅れてしまい申し訳ございませんでした。
八月一九日午前一〇時二六分
日本国 新東京都港区
前島大統領はカーシートに深く腰掛けて一息吐く。シートの柔らかさが心地よかった。疲れが癒される位に心地よいと錯覚する位に。同乗している朝潮国防大臣と外務大臣は疲労困憊の表情を浮かべている。今までの人生でこんなにキツイものはあっただろうか? と言わんばかりであった。
彼らはアメリカ大使館に訪れ大使を始めとする高官たちと情報交換という名の会談を行っていた。互いに後に行われるのは確実である交渉で突きつける要求をどんなものにするかどれならば相手は呑むだろうかと探り合う激しい神経戦が行われており気を抜くことができなかったのが疲労困憊の原因であった。もしかすると国の行く末を決めるかもしれない――緊張するのは当然であった。まあ、相手側もそうであっただろう。
「大方予想通りだったな」
「はい。アメリカもことを構えたくないのでしょう……今のところは」
外務大臣の意味深な言葉に、前島大統領は確かにと内心で同意した。隙を見せれば付け入られて酷い目に遭うのが外交である。幾度も外交で煮え湯を呑まされてきたため例え相手が友好国や同盟国だからといって決して油断することはしない。
「そうだな。もしアパライア大陸の後始末を完了していたら間違いなく圧力をかけてきたかもしれない。今までは皇国の連中がやらかしたことを恨んでいたが余裕をなくさせたことは感謝した方がいいかもしれない」
前島大統領は小声で呟く。最後の部分は周りに聞こえないように小さなものとなっていた。
当時東日本の首都であった東京を壊滅状態に追いやった東京事変の遠因となり、東日本の本州領土の失墜と西日本が焦土と化した東京の地を多額の資金と多量の資源を投入して新東京を作り出すために大きな負担を掛けられるなど、日本にとって皇国は碌でもない存在であったが、日本統一の流れを早めるなど良いところもあったのかもしれない。そんなことをふと考えていた。
あまりにも不謹慎だなと苦笑してしまう。
話が逸れていることに気づいた前島大統領は戻すために改めて問いかけた。
「さて、二人とも、アメリカいや五一番目の州とどれ位の距離を取って接すればよいかな?」
地球との繋がりが切れたためにアメリカはいなくなってしまった。いるのはニューワールドアイランドとアパライア大陸の五分の一を領域とするニューワールド州だ。この州が取り残された軍と志願・強制で移住した住民をまとめることになる。州政府は統治機構としての体裁は整っているが多い不確定要素のなかで上手く統治できるか未知数だ。
我が国の状況次第では、アパライア大陸に派遣している異界派遣軍を呼び戻してアパライア大陸から手を引くことを選択肢のなかに入れておいた方がよいのかもしれないなと前島大統領は考えた。
二人の国務大臣は少し考えた後に絞り出すように答える。達した結論に苦々しいものを抱いているのかもしれない。
「そうですな。対立は賢明ではありません。経済的に考えると奴らとの交易は必要です。とうていイロコイニア一国との交易では我が国に必要なものは賄えません」
「うむ。レアメタルの一部はアパライア大陸にしか産出していないからな」
「軍事的な観点で申しますと外務大臣と同感です。数合わせでは拮抗しているようには見えますが、技術と能力は向こう側の方が上です」
「……やはり上手く付き合いながら国益を得ていくしかないな」
失敗したときのリスクは高いが、州政府が盤石となるよう支援した方が賢明なのかもしれない。ただ、全ても課題が片付いたとき州政府が我が国にとって都合の良い態度を取るかどうか分からない。
何せアメリカなのだから。奴らの心変わりに気づかなかったことで『日本』の代表権を東日本に奪われてしまい国連に加盟することができず三〇年以上も国際社会から孤立していた歴史的事実が、星条旗に対する警戒を喚起させていた。
「だが相手は都合によって態度をコロッと変える国だ、一筋縄ではいかないだろう。気がかりで仕方ない」
車内の空気が気まずいものとなった。
「気がかりと言えば、退治されたシーサーペントと『しが』を眺めていた未確認飛行物体に乗っていた人影も気になりますね。何も言わずに去ってどこに戻ったのでしょう?」
外務大臣の発言に、前島大統領は考え込む。
「憶測でものを語るが、嫌な予感がする」
勘がささやいていることをそのまま言葉にすると今まで黙っていた秘書官の緊迫した声が耳朶に届いた。
「大統領、緊急連絡です」
嫌な予感を覚えながら通話に出た
「もしもし、何が起きた? 何ィ、津軽海峡でフェリーが襲われただと!!」
前島大統領の驚愕の声が車内に響き渡った。
◇
午前一〇時二〇分
津軽海峡
東北地方と北海道の間に位置する津軽海峡。そこを行き来する手段は三つ。航空機で通過するか青函トンネルを電車で抜けるか船舶で渡るかだ。
手段の一つである船舶で渡ることに関しては、青函航路と呼ばれている函館港と青森港間、函館港と大間港間など二つの航路が開設されている。海運会社二社によって管理されておりそれらの会社所属のフェリー船が往復していた。総トン数八八〇〇トンを誇るフェリー船『ブルーハピネス』もその一つであった。
就航してから二九年も経つ年季の入った船で、三〇年目となる来年には代替となるフェリーにバトンタッチにし引退する予定となっているが今日も昨日と変わらず特に異常もなく航行していた。
ただ、変わっているところはあった。甲板上に船員たちが立ち海面を見張っていることだ。その姿に怪訝に思う乗客は多かった。
大学生の岸山太貴もその一人であった。
「なあ、何で船員の奴ら海を見ているんだ?」
視線を友人の方に向けて彼に問いかけた。友人はわざわざ船外まで持ち込んだ新聞を読んでいた。『前島内閣、物資統制法法案を衆議院に提出。是非を巡り国会紛糾』という大見出しが確認することができた。
友人は新聞を丁寧に折りたたんで答え始める。
「シーザーペントのことは知っているよなぁ?」
「まあね」
「沈んでしまった漁船の二の舞いは避けたいんだよ」
「退治されたと聞いているけど……」
「一匹だけではなく二匹目が津軽海峡に潜んでいる可能性があるからな。どこかの護衛でも付いてくれればいいんだけれども、すぐにできる訳じゃないからね。でもすぐに何か手を打たないといけない、打ったのはそれっていうことさ」
「成程ね……大丈夫かな?」
話を聞いているうちに岸山は不安になってきた。
「心配するなら船に乗るのをやめたら良かったじゃないの? 何で乗ったんだよ?」
「今さら手遅れのことを言うな。予定を変えるのが面倒くさかったんだ」
「馬鹿だな」
「何だぞ!! オメーも俺と一緒に乗船しているから同じ馬鹿だ」
言い合っているうちにあることに岸山は気づく。何かが風を切る音が聞こえた気がしたのだ。
「うん!?」
何だろうと疑問を抱きながら空を見上げるとやつがいた。
大きな翼をはためかせ、爬虫類を思わせる肌、悪魔の使いに見える凶悪な姿。幻想生物のなかで有名で代表格の飛行生物の一匹がこの大空に飛行していた。
「ドラゴン……」
誰かの呆けた声が聞こえてきた。するとこの生き物は急降下を開始。『ブルーハピネス』にぶつかる寸前の高度に達してこの船を高速で通過する。間近で見ることになった岸山は、確かに間違いなくドラゴンだと思った。
(しかも人が乗っていた。何なんだ、これは?)
いきなり起きた出来事に、岸山の頭はショートしそうだ。
そいつは再び上昇して元の高度に戻った途端、また船に接近し始めた。
威嚇の咆哮が、『ブルーハピネス』にいる人間たちに恐怖を与えた。間違いなくこの船に襲いかかるつもりだ。
「に、にっ、逃げろ」
「きゃあああぁぁぁ」
「こっ、殺される」
「邪魔だ!!」
突如の出来事に乗客たちのなかには逃げまどう者が出始めた。船員の声は既に届かず大混乱であった。怒声と悲鳴が混じり合い。伏せる者、うずくまる者など反射的に出る防衛反応が個人によって異なることを示していた。
「何か聞こえてくる……」
死角となるところに隠れていた岸山は新たな音を聞きとる。
「一体何だよ。もう一匹来たらこの船は完全におしまいだぞ」
その音はドラゴンから発せられる音ではなかった。人が作り出した偉大な発明の一つの航空機から発せられる爆音だ。
空軍が助けに来たのか!! と期待に胸を膨らませて音がした方向に顔を向けると岸山は愕然とした。見えたのは古臭い雰囲気を醸し出す単発のプロペラ機だったのだ。
それに対し岸山の友人の反応は違っていた。
「……零戦? いや二式水上戦闘機!?」
津軽海峡の空に水上戦闘機が飛翔していた。