Counter-attack③
涼馬とレオは、手分けして桐谷詩音の情報を集めた。女子生徒について聞いて回るという行為は多少不審な目で見られることもあったものの、それなりに情報を集めることは出来た。
しかし、集まった情報はどれも「品行方正」「とても良い人」「優しい」「この前迷子の子供を助けるのを見た」など、悪事に手を貸す凶悪な人物とは思えないものだった。
だがその中に、一つだけ彼女の完璧な人物像の綻びといえるものがあった。それは、彼女が頻繁に夜間外出をしていると言うものだった。もちろん、外出禁止の時間になっても帰ってこない、と言う意味である。
情報を提供してくれた女子生徒自身も頻繁に夜間外出を繰り返しているらしくあまり多くを語ろうとはしなかったが、それだけの断片的な情報でも涼馬たちには十分だった。
その情報に従い、その日の夜、涼馬とレオは女子寮から出てくる詩音を待ち伏せすることに決めた。二人は目撃情報が多かった夜10時過ぎに、女子寮の裏門近くで待ち合わせた。
ここ、敷島学園の女子寮は、男子寮とは違ってきちんとした塀が存在していた。男子寮の方も新しい建物で快適ではあったが、女子寮はプライバシー確保や安全性、快適性に関してより一層の配慮が行われているのだ。
そのお蔭で、寮のすぐ側で待ち伏せをしている涼馬たちにも、寮の中の様子はうかがえなかった。共犯者を突き止めるためとはいえ、涼馬は何とか中の様子を伺おうとする自分がまるでのぞき魔になったようで少し情けなかった。
「なぁ、本当に彼女は出てくるのか?」
「わかんない」
「わかんないって……」
あっけらかんと答えるレオに、涼馬は呆れた。
「でもこうやって待ち伏せするしか方法はないしね。今日がダメなら明日、明日がダメなら明後日、地道に張り込むしかないよ」
「まぁ、そうかもしれないけど……」
「シッ!誰か来る」
さっと唇に人差し指を当てて、レオは会話を打ち切った。涼馬が慌てて裏口の方に顔を向けると、ちょうど詩音がこそこそと裏口から出てくるところだった。
涼馬は身をこわばらせ、緊張の面持ちで彼女を見つめる。その見つめる先で、裏口から出てきた詩音は小脇に抱えていた布をさっと広げ、身にまとった。それはあの日涼馬の見た漆黒のローブだった。詩音はフードをかぶり闇に溶け込むように歩き始めた。
「追おう」
小さな声でレオが囁き、二人は足音を忍ばせて詩音の後を追った。
詩音の歩いているのは学園の方向だった。この前の晩の話を聞いても、詩音が定期的に人気のない学園に足を運んでいるのは確実なように思われた。そしてそれは、間違いなく彼女たちの陰謀に関係している。
待ち伏せをしてすぐに糸口がつかめそうであるというのは多少上手く行き過ぎな気もしたが、今の涼馬にとってはそんな小さいことははっきり言ってどうでも良かった。
後をつけていると、詩音は学園の中に入って行った。涼馬とレオは一度門の陰に隠れて様子を伺う。彼女は二人の尾行には全く気付いていないようであった。
ある程度の距離を開けて、二人はまた違う物陰に身を潜める。すぐ近くは未だに閉鎖されたままの噴水広場だった。内部の様子を伺うと、涼馬の脳裏にあの夜の光景がありありと浮かび上がってくる。
危険なことをしている。その自覚はあった。しかし今の涼馬は、大きな義務感によって強く鼓舞されていた。
確かに、涼馬の超能力は出来そこないだ。その上、相手の力が強大なことも、あの夜に強く思い知った。
しかし、涼馬は今までもそういう相手と戦ってきたのだ。この前善戦した悠司だって、普段は能天気にしているものの模擬戦ではかなりの成績を残している実力者だ。それ以上の実力者との模擬戦で勝利を掴んだこともある。
あの夜の涼馬は、とにかく自分を失っていた。色々なことに動揺し、圧倒される中で、何もできずに相手の力に翻弄されてしまっていたのだ。
だけど、それが涼馬の全てではない。
美羽を守る、その一心で鍛えてきた身体は学園に入ってからの模擬戦でも涼馬の強い味方であった。それに加え、涼馬には持っているカードだけで何とか戦い抜くという機転がある。
相手の手の内も分かっている。もう一度やれば、あんなに情けない戦いにはならないという確信が、涼馬の中にはあった。
詩音は校舎の中へと入っていき、追跡の舞台も校舎内に移された。静まり返った校舎内は足音を忍ばせるのに非常に神経が必要であり、二人は今まで以上に慎重に詩音の後を追った。
おそらく、校舎に入った以上は詩音の目的地は近いと考えられる。その向かう先には共犯者が待っているはずだ。涼馬とレオの最大の目的はその正体を見極めることであった。
目的地が近い、その気持ちが気を緩ませたのか、涼馬達の隠れた物陰に置いてあった消火器がガタンと音を立てて倒れた。
静寂に支配された校舎内に、その音はあまりにも大きくこだました。
黒いローブに身を包んだ詩音が勢いよく振り返り、次の瞬間跳ねるように駆けだした。
「くそっ」
涼馬は少し迷いながらも、もはや姿を隠す必要はないと判断して物陰から飛び出し、詩音の後を追った。少し後ろからレオも慌ててついてくる。
詩音は黒いローブを翻しながら校舎内を駆け抜ける。彼女の足取りは真っ暗な校舎内にあって全く迷う様子はなかった。速い。涼馬は必死で追いすがる。
それにしても、詩音の行動は不可解だった。涼馬は尾行に気付かれた時のことも想定していたのだが、その時には間違いなくすぐ攻撃を仕掛けてくると思っていた。しかし、彼女は逃げ出した。この前はレオを、そして涼馬を追っていた彼女が、なぜ今回はこうも必死で逃げる必要があるのか……不審に思いながらも、今はただ彼女を追うしかなかった。
長い廊下を駆け抜けると、詩音は階段を駆け上り始めた。涼馬もその後を追うが、そのときすぐ後ろで「あっ」と言う短い悲鳴が聞こえた。全力で走り続けたレオが階段で足をもつれさせたのだ。
慌てて振り返った涼馬に、レオは「追って!」と叫んだ。確かに今夜目的を達成できなければ、警戒を強めた彼女をもう一度尾行し直すことは非常に困難だろう。不意打ちの今夜しか、反撃のチャンスはない。
涼馬は止まりかけた足に鞭をうち、ペースを上げて階段を駆け上がる。階段を上った先の廊下を、左に向かって黒ローブが駆けていく足音がまだ聞こえていた。そちらに向かって全力で廊下を走る。
しかし曲がり角を曲がると、そこにはもう彼女の姿はなかった。涼馬は「しまった!」と思ったが、その時グラウンドに面した窓が一つ開いているのが目に入った。近づくとその向こう、グラウンドに念動力でふわりと着地して走り出す詩音が見えた。自分の身体を浮かせたり、今の様に着地の衝撃を和らげると言うのは理論としては簡単だが、実際はかなり精密なコントロールが要求される高等技術の一つだ。もちろん、涼馬にはそのような真似は出来ない。
しかし、階段で一回まで降りていては確実に逃げられてしまう。涼馬は意を決して、彼女の開け放した窓から身を躍らせた。
二階の高さと言うのは非常に高いというものではない。しかし、飛び降りれば普通に怪我をする高さではあった。
涼馬は着地の衝撃を少しでも和らげるため、地面に転がり受け身を取ろうと身構える。着地の衝撃はガツンと涼馬の膝を痺れさせ、涼馬は膝のバネを最大限に利用して衝撃を分散させる。そしてそのまま転がって受け身を取ると、素早く立ち上がって詩音を追った。
衝撃を受けた両足が、全身がズキズキと痛んでいた。詩音を追いかけながら涼馬は満身創痍だったが、しかしそのスピードは落ちてはいなかった。
それに対して、詩音の方は疲れが見え始め、明らかにペースが落ちていた。二人の距離は徐々に縮まり始める。
それに気づいたのか、詩音は慌てて振り向きざまにバレットを撃ちはじめる。それはほとんど明後日の方向に飛んで行ったが、そのうち一発は涼馬の足元を掠めてパンッと地面を抉った。消耗が大きいのか、その威力はこの前の夜ほどのものではなかった。
いけるっ!涼馬は確信すると、ラストスパートと思って地面を一際強く蹴り始めた。二人の距離がさらに縮まる。あと少し。もうほんの少しで涼馬の手が詩音に届きそうだった。
その時、振り向きながら走っていた詩音が地面の凹凸に足を取られて姿勢を崩した。消耗の激しかった詩音はそのまま体勢を立て直せず、地面に倒れこもうとする。
涼馬は最後の一蹴りで一気に距離を詰めると、詩音がとっさに伸ばした右手を掴んだ。彼女のロザリオのブレスレットが、右掌にぐいと食い込む。涼馬はそのまま彼女の腕を引き、倒れる身体を引き戻そうとした。
しかし、涼馬の方も全力で追いかけた直後であり、先ほど二階から飛び降りた衝撃もあって、無理やり引き寄せようとした詩音と共にもつれるようにしてグラウンドの地面に転がることとなった。細かな砂が、少しだけ涼馬の口に入ってジャリッと嫌な感触がする。
「くっ……はぁ、はぁ……あなた達、何が目的で……」
「はぁ……お前ら、こそ……一体何が――」
涼馬の言葉はそこで途切れた。二人の倒れこんだ側の石壁が、唐突にミシッと音を立てたのである。今まさに身体を起こそうとしていた二人は驚いて石壁を見上げる。
それは何の変哲もない石壁だった。本当に、何一つ特筆することのないどこにでもある石壁。つまり、こんな風に唐突に巨大な亀裂が入るなどと言う事は、絶対にありえない石壁だったという事だ。
しかし今、涼馬と詩音の目の前で、彼らの目線の高さ、つまりは石壁の非常に低い場所に巨大な亀裂が走っていた。
事態を理解できない二人の目の前で、石壁はグラりと揺らぎ、二人の方に崩れてきた。涼馬の目には、その光景はスローモーションに映る。あ、やばい。とか、死ぬ。とか、そのような感想はぼんやりと浮かんでくるものの、既に満身創痍の身体は硬直して動かない。感じる時間は無限に引き延ばされたようにゆっくり流れているのに、身体の反応速度は変わっていないようだった。
動けなかったのは詩音も同じだった。混乱と絶望の中で、彼女は何もできず、ただギュッと目をつぶって身を縮める事しかできなかった。
終わった。二人がそう確信していたその時、暗闇に塗りつぶされていたグラウンドがオレンジ色に照らし出される。照らし出したのは、炎の蛇……
涼馬達の倒れこんだのと少し離れた場所から、その炎の蛇は躍り出ていた。そして空中を驚くべき速さで駆け抜けると、今まさに二人に襲い掛かろうとしていた石壁を横殴りに叩き壊す。
空中で炎に貫かれた石壁は粉々に砕け散り、吹き飛ばされる。パラパラと降りかかる残骸を身に受けながら、涼馬は唖然としてその光景を見つめていた。詩音もギュッとつむっていた目を恐る恐ると言う感じで開くと、放心したように炎の出所に目を向けた。
その目線の先には、詩音と同じく漆黒のローブを身にまとった大柄の男が立っていた。男はゆっくりと、一歩一歩涼馬達の方向に歩み寄ってくる。
間違いない。涼馬は確信する。この男はあの夜、靄の向こうで詩音の腕を引いていった男だ。そしてこの男が、詩音の共犯で、学園の関係者……
この男の正体を暴くのが、今夜の涼馬達の目的だった。
「チッ、邪魔が入ったか」
男の歩いてくる方向とは逆側から、そう悪態をつく声が聞こえた。その声を聞いて、涼馬は信じられない思いでそちらに顔を向ける。闇の中に腕組して佇む声の主は、確かに……
「二人まとめて、片付けられると思ったのにな」
そう言うと、今まで見せていたのとは似ても似つかない、凶暴そうな表情で、御門レオは笑った。
「どうして……」
力の抜け切った声で、涼馬は訊ねる。
「どうしてもこうしてもないよ。君が余計なことに手出しするからさ。まぁ君は後で改めて殺してあげるよ、涼馬くん」
レオはクククと押し殺したように笑いながら、ゆっくりとローブの男に向き直った。
「さぁ、お前にも正体を明かしてもらおうか!」
レオの足がタンッと地面を踏みしめると、彼の目の前の地面に蜘蛛の巣のような亀裂が走った。そして地面は人の頭ほどの大きさに細分化されると、まるで散弾のようにローブの男へと襲い掛かかる。
ローブの男が右手をかざすと、再びそこから炎の蛇が飛び出す。今度は先ほどと違い、10匹近くの小さい蛇が次々と生み出され、それぞれが意志を持つかのように飛来する塊を叩き落していく。
「やるじゃないか。それじゃあこれは、どうかな!」
レオが手をかざすと、先ほど砕けた石壁の残骸がまるで意志を持ったかのように巨大な握り拳を形作り、ローブの男に殴りかかる。
男は正面からそれを迎え撃ち、再び巨大な炎の蛇を生み出す。蛇と拳が空中で激突し、爆炎が上がって細かい瓦礫が周囲に散乱する。
激しい爆風に目を開けていられず、涼馬は思わず目をつぶる。涼馬が再び目を開けると、爆風で男のフードは頭から外れ、その素顔が露わになっていた。
「そうか、お前が協力者だったのか……二階堂」
レオは口角を吊り上げるように笑いながら言った。涼馬は驚きで目を見開く。フードが外れてあらわになったのは、涼馬もよく見知った鬼教官の姿だった。
素顔を晒した二階堂は、苦々しい表情でレオを睨みつける。彼の三白眼は元々鋭いが、レオを睨みつけるその視線はいつもにも増して鋭い物だった。
「おっと」
唐突に、レオを横から炎の鞭が襲った。しかし、素早く反応したレオは地面の土に手をかざすと、それを巻き上げて盾を作り、炎の鞭を弾き返す。
それは、涼馬の隣でようやく立ち上がった詩音の放った物だった。
「おやおや、お嬢さんもご立腹のようで」
レオはニヤニヤと笑いながら言う。詩音は肩で息をしながらも、キッと厳しくレオを睨みつけた。
「それじゃあ今夜は退散することにするよ」
相変わらずニヤニヤと笑いながら、レオは少しずつ距離を取った。
「逃げるわけ!?」
「流石に二対一では分が悪いからね。それに、最低限の目的は果たせた。ありがとうね、涼馬くん」
そう言って高笑いすると、彼は再び地面を砕き、その破片を目くらましに使ってその場を後にした。
詩音は「待ちなさい!」と叫ぶが、もはやその煙幕を突破してまで追いかける余力は残っていないようであった。
煙幕が晴れた頃には、もうレオの姿は見えなかった。
「ああもう!こうもまんまとしてやられるなんて……!」
レオの残し瓦礫を蹴飛ばしながら、詩音が悪態をついた。
「あんたのせいよ!あんた、一体何なのよ!」
相変わらず呆然としているばかりの涼馬の胸倉を掴み、詩音は詰め寄る。
「お、俺は……ただ……」
状況が全く飲み込めない涼馬は、仲間だと思っていたレオに殺されかけたショックから立ち直れずにいた。
「やめろ詩音。今のそいつには何を言っても無駄だ」
「でも……」
「無駄なことをするな。八つ当たりで解決する問題じゃあない」
「……」
詩音は尚も不服そうだったが、言い返すことも出来ず渋々涼馬を解放した。いきなり手を離された涼馬は、思わずその場にへたり込んだ。
「とにかく、これで奴は完全に自由になった。仕掛けてくるのも時間の問題だ」
「そうね……早く対策を打たないと……」
深刻そうな顔で、詩音は言った。
「そのためにも……」
相変わらずへたり込んでいる涼馬の元に、今度は二階堂が歩み寄る。
「貴様が一体何者なのか、それを知っておく必要がある」
鋭い三白眼が、ギロリと涼馬を見下ろした。その視線に射抜かれて、涼馬は蛇に睨まれた蛙のように身をすくませる。
一体何者か……そんなことを聞きたいのは涼馬の方だった。ごく一般的な学園の生徒に過ぎない涼馬に対して、詩音や二階堂、そしてレオの存在は明らかに普通ではない。彼らの振るった力は超能力者に良く似ていた。しかし、決定的に違っていた。
困惑し、何も言えない涼馬に、二階堂は低く、沈み込むような声で訊ねた。
「真木原涼馬……貴様は、魔術師か?」