お好み焼きと追跡者③
高温に熱せられた鉄板の上に、ボウルの中で混ぜられた生地が広がりジュワーと気持ちの良い音を立てる。その瞬間、あたりに香ばしい匂いが漂った。調理のために髪の毛をアップにした由衣菜は両手に持ったヘラで手早く形を整えていく。
「うおおおおお!きたきたきたあああああ!」
「少しは大人しくしてなさい!」
悠司が待ちきれないという様子で身を乗り出し、正面に座った琴葉に割り箸で額をぺチンと叩かれる。
「だってよ!俺朝からまともなもん食ってねぇんだよ!」
「何でよ。あんたたち食堂行ってたじゃない」
「うるせぇ!思い出させんな!」
確かにあの昼食はまともではなかった。正直なところ、見ていた涼馬もよくあんな代物が食べられるなと感心していたのだ。実際、ほとんど食べ切れていなかったが。
「はいはい、悠司くんには最初に切り分けてあげるからねー」
そう言いながらせっせとお好み焼きを焼く由衣菜は、まるで小さな子供を世話するお母さんのようだ。
それにしても、由衣菜は本当に楽しそうにお好み焼きを焼いていた。もしかしたら、このお好み焼き屋に一番来たがっていたのは悠司ではなく由衣菜の方だったのかもしれない。
昨日お好み焼きの話が中止になったときも残念そうにしていたし、今日めでたく悠司が課題を終わらせたと聞いて改めてお好み焼きを提案したのも由衣菜だった。
「由衣菜は本当にお好み焼きが好きなんだなぁ」
涼馬がポツリと呟くと、由衣菜は「え、そんなことないよ!」とヘラを振り回しながら否定する。そんなに力いっぱい否定しなくても良いのに、と涼馬はおかしくなる。
「そうだよねー、由衣菜が好きなのはお好み焼きじゃないよねぇ」
「ちょ、琴葉ちゃん!」
琴葉がニヤニヤしながら茶々を入れ、由衣菜は慌てるようにたしなめた。
「え、そうなのか?」
そう言って涼馬はメニューを取り出した。自分以外の三人は付き合いも長く、琴葉と悠司に関しては幼馴染なのだ。自分だけがまだみんなのことを良く知らないのだという気持ちが、涼馬にはあった。
真剣な面持ちで「焼きそば……もんじゃ……」等と呟く涼馬を見て、琴葉はぷっと吹き出した。
「何だよ」
「いや、その中には答えはないのにと思ってね」
「は?」
涼馬は困惑して隣の悠司に目をやるが、悠司は至近距離から血走った目で焼きかけのお好み焼きを見つめているばかりだった。一切役には立ちそうにない。
尚も困惑した様子の涼馬に、由衣菜は慌てたように弁明する。
「あの、ほら、私はお好み焼きも好きだし、他にも食べ物は大体好きで!って、それって私が食いしん坊みたいじゃない!確かに最近はちょっと食べ過ぎちゃって体重が――」
「由衣菜、焦げるよ?」
「ああっわわわっ」
琴葉の冷静なツッコミに由衣菜は慌てて生地をひっくり返す。慌てていても由衣菜のヘラ遣いは完璧だった。くるりときれいにひっくり返ったお好み焼きはちょうど良い具合に焼けていた。
由衣菜は安心したように「ふぅ」と手の甲で額の汗を拭う。お好み焼きの作業に戻って少し落ち着いたようだった。
「とにかく、私はみんなとご飯を食べるのが好きなんです!その方が楽しいでしょ?」
「お、上手くまとめたね」
琴葉がまた茶々を入れると、由衣菜がむぅと頬を膨らませてジト目を向けた。
「はいはい、ごめんごめん」
むくれた由衣菜をなだめながら、琴葉が手際よくお好み焼きにソースを塗って行く。熱々の生地にソースが乗り、その一部は鉄板に伝ってジュウッと一際香ばしい匂いを漂わせた。悠司が相変わらずの至近距離で「もう食って良いか?」と訊き「もう少し待ちなさい」と琴葉にたしなめられる。
「でも確かに、みんなで食べた方が飯も美味いもんな」
涼馬が同意すると、由衣菜も「そうだよね!」と嬉しそうに言う。
「ああ。ここに来るまでは美羽と二人で飯ってのも多かったしなぁ。なぁ、今度は美羽も呼んで良いか?」
「え、うん、もちろん良いよ!」
「……全くこのシスコンは」
琴葉は「やれやれ」と呆れたように笑う。相変わらずの至近距離で「もう食って良いか?」と訊ねる悠司を抑えつつ、かつお節とあおのりをふりかけていく。
最後に由衣菜がきれいな円形に焼けたお好み焼きを四つに切り分けると、「はい、どうぞ」と宣言通り一番初めに悠司の皿に取り分けてあげた。
「もう食って良いよな!?」
「よし」
ようやく琴葉の許しを得た悠司は待っていましたとばかりにお好み焼きにかじりつき「うわあっつ!火傷した!」と一人で騒いでいた。
そんな悠司を三人は笑い、笑われた悠司は「くそぅ……」と涙目でお冷の氷を口に含んで冷やし始める。
「ん、美味しい。やっぱり由衣菜は何作らせても美味しいね」
「本当だ。こんな美味いお好み焼き初めて食べたよ」
琴葉と涼馬はお好み焼きに舌鼓を打つ。褒められた由衣菜は「大げさだよぅ……」と照れながら箸で器用にお好み焼きを小さくし、上品に口に運ぶと「うん、美味しい」と満足そうに顔を輝かせた。
「ああ……美味い……生き返るようだ……」
ようやく火傷から立ち直ったらしい悠司も満足そうにお好み焼きを食べ始める。
「さぁ、早く次も焼くが良い」
「あんた何様よ」
琴葉はツッコミを入れつつ、早速次の生地を鉄板の上に広げ始めていた。
「はぁ、全くなんで悠司はこんなに馬鹿なのかしらねぇ。ちょっとは涼馬くんを見習いなさいよ」
「何だよ琴葉おめぇ、涼馬に気があんのか?そういやお前昔から頭の良い男が――申し訳ございませんでした」
流れるような動作で熱々のヘラを突きつけた琴葉に、悠司は素早く態度を改める。この潔さだけは誰にも負けないものがあった。
「でも涼馬くん、ホントに凄いよねぇ。二年生から入ってきたのに、ついていけないどころかこの前の中間でもほとんどトップだったもんねー。うちって結構進度早いのに」
「まぁ、前にいた学校も結構進学校だったしね……」
由衣菜に言われて、涼馬は少し照れながら謙遜する。
「それにしてもだよー。だって超能力学とかも凄く高得点だったでしょ?あれって一般過程の高校じゃそんなにやらない科目なのに」
確かに、涼馬の以前通っていた高校では超能力学の授業は行われていなかった。涼馬がその試験で高得点が取れたのは、美羽が超能力者だと分かってから手当たり次第に書物を読み漁り、独学で必死に勉強したからだった。しかしそれを知られるのは恥ずかしいので「授業が分かりやすかったお陰だよ」と誤魔化しておいた。
「ま、結局今回もトップは由衣菜だったんだけどね」
二枚目のお好み焼きをひっくり返しながら琴葉が言い、由衣菜は照れくさそうに笑う。
「由衣菜は凄いよな。ほとんど全科目トップじゃなかったか?」
「そうそう、俺なんてほとんど全科目ビリなのに」
「あんたは流石に危機感と言うものを持ちなさいよ……」
ヘラヘラと笑う悠司に、琴葉は頭を抱える。
「とは言ってもなぁ、勉強なんて全くやる気出ないし、俺にはもっとやるべきことがあるんだよ」
「やるべきこと?」
涼馬は気になって訊ねた。今まで悠司が何かに打ち込んでいると言うのは聞いたことがなく、興味が湧いたのだ。
「ソシャゲだよソシャゲ。やんないとスタミナが溢れちゃうわけ」
「……」
「重要なのはな、複数のソシャゲを同時にプレイすることなんだ」
悠司は人差し指をピンと立て、真剣なまなざしで力説する。
「そうすればこっちのスタミナ切れればこっち、こっちが切れれば今度はこっち、ぐるりと一周する頃にはまた最初のスタミナが満タンに戻ってるってぇわけで、これを繰り返すことによって効率的に無課金でのプレイが可能だ。そして朝が来る」
一堂は呆れて言葉も出なかった。悠司が授業中に爆睡を繰り返しているのは、徹夜でのゲームが原因だったらしい。
「じゃあ、あんたのこのスマホを没収すれば成績は上がるわけね?」
いつの間にか琴葉の手には悠司のスマホが握られていた。
「な!琴葉貴様いつの間に!返せ!返しやがれ!返してくれ!頼む!」
悠司は必死で琴葉からスマホを取り返すと「はぁ、良かった……良かった……」と心から安堵したように液晶画面を撫で回した。その様子を、琴葉はまるで生ゴミを見るかのような目で見下ろしていた。
「それにしてもさ、流石に勉強しないとお前そろそろ本気でヤバいんじゃないのか?」
「そうは言ってもなぁ、勉強なんて全くモチベーション湧かないしなぁ……楽しくないし。むしろお前らが何でそんなに熱心になれるかが不思議だよ」
悠司のこの言葉は、割と本心からの言葉のようだった。
「俺の場合他にこれと言ってやることもないしな……後々のこと考えても、やっておいたほうが得だろうし」
正直なところ、涼馬も明確な意思を持って勉強していると言うわけではなかった。
「由衣菜の場合は」琴葉が横から言う「将来研究者になりたいから頑張ってるんだよね」
「あ、うん……なれるか分からないけどね」
はにかんだように由衣菜は笑う。
「へぇ、由衣菜って研究者になりたかったのか」
涼馬はその話は初めて聞いた。
「うん、一応ね。なれるかはわからないけど。昔から超能力の研究がしたかったんだ」
「ちゃんとした目標持って頑張ってんだな……凄いよ」
涼馬は心から感心する。自分の将来のことなどあまりきちんと考えたことはなかった。
「悠司も何か将来の夢とかないわけ?」
「石油王」
「あんたに聞いた私が馬鹿だったわ……」
もう疲れましたと言うように、琴葉は出来上がったお好み焼きを取り分けながら言った。
「だってよー、俺働くのとか苦手なんだって、多分。働かないで生きていけるのが何より素晴らしいに決まってんじゃんか」
「あのねぇ……みんな生きていくために一生懸命働いてるんでしょうが……あんたどうやって生きて――」
「じゃあもう琴葉が養ってくれよ」
「へっ?」
唐突な言葉に、琴葉は箸を取り落とした。心なしか顔も高潮しているようだった。悠司の大胆な発言に涼馬と琴葉も思わず悠司に視線を注ぐ。
しかし当の本人は二枚目のお好み焼きに夢中でかぶりついていた。どうやら深く考えずに売り言葉に買い言葉で返しただけのようであった。
「まぁ無理かーどうせ琴葉じゃろくな仕事には就けなぐふぉ」
のんきに笑う悠司の顔面に目にもとまらぬ速度で琴葉の右拳が叩き込まれ、悠司は畳の上に完全にノビてしまった。
「……バカ」
琴葉は小さく呟くと、取り落とした箸を拾ってお好み焼きを食べ始めた。
「ああ……今のは……」
「完全に悠司くんが悪いね……」
涼馬と由衣菜も苦笑いしながら、悠司をそのままにして次のお好み焼きを焼き始めた。
何度か器を下げに来た店員さんが悠司を見て「ひぃっ」と怯えた声を上げたが、その度に琴葉が「ちょっと寝不足みたいでー」と笑顔で誤魔化していた。間違いなく、誤魔化せてはいなかった。