君のために③
週末の午後、由衣菜と琴葉、そして美羽の三人はショッピングセンターに来ていた。涼馬の誕生日プレゼントを選びに行こうと由衣菜は琴葉を誘ったところ、琴葉がどうせならと美羽にも声をかけたのだった。
「涼馬くん抜きで一緒に買い物なんて、なんか新鮮だね」
「はい!誘ってくれてありがとうございます!」
トレードマークのツインテールを揺らしながら、美羽は嬉しそうに言った。まるで子犬が尻尾を振っているみたいだなと、由衣菜は微笑ましく思った。
「それにしてもこんなに可愛い妹、あいつにはもったいないよねー」
そう言いながら、琴葉は背後から美羽の首に手を回した。急に抱き着かれた美羽は、びっくりして「ひゃっ」と声を上げた。
「もう美羽ちゃんうちの妹になっちゃわない?」
「えー、ダメですよ!美羽はお兄ちゃんの妹なので!」
「ちぇーっ」
琴葉は残念そうに言いながら美羽から離れる。
「お二人は、兄弟とかいないんですか?」
「私は兄貴が二人いるんだけどさーもう最悪。稽古つけてやるって言っては妹いじめてばっかりで……」
やれやれ、と琴葉は肩をすくめる。
「私は一人っ子なんだ。だから昔から兄弟のいる人は良いなーって思ってたの」
由衣菜はそう言って美羽ににっこりと笑いかける。
「美羽ちゃんみたいな可愛い妹がいたら良かったのになぁー」
「えへへ」
散々褒めちぎられて、美羽はご満悦のようだった。
「由衣菜、美羽ちゃんを妹にする方法あるよ!」
「えっ、ホント?」
そう答えた直後、由衣菜は琴葉のニヤニヤとした笑いでその言葉の意味に気付き
「もう!琴葉ちゃん!」
と顔を真っ赤にしながら、琴葉の肩をペチペチと叩いた。そんな由衣菜を琴葉は「はいはいごめんごめん」となだめる。
「でもさー、ほんとにこんな妹いたら良かったのになーって思うよ。一緒に洋服買いに行ったりしてみたかったなー」
「あ、でもそれは美羽も!お姉ちゃんか妹がいたらなぁって思ったりしますよ!」
美羽は両手をパタパタさせながら言う。
「涼馬くんじゃお菓子作り、付き合ってくれないんだもんね」
「え、お兄ちゃんに聞いたんですか?」
「うふふ」
「なになに、何の話よ」
一人会話について行けない琴葉は不思議そうに訊ねる。
「ふふ、ちょっとね」
いつもからかってくる琴葉にちょっとだけ意趣返しが出来て嬉しかったのか、由衣菜は何だかご機嫌で答える。
「美羽ちゃん、今度私にお菓子作り教えてね。挑戦してみたいと思ってるんだー」
「ほんとですか!ぜひぜひ、一緒に作りましょう!」
美羽は嬉しそうに、少し前のめりになりながら言った。
「今度お兄ちゃんの誕生日ケーキ焼こうと思ってるんですけど……」
「うんうん、私もケーキ焼いてみたい!」
「本当ですか!? 実は今何ケーキにするか迷ってて、お兄ちゃん生クリーム苦手だから去年はチョコレートケーキにしたんですけど、今年はフルーツ系を考えてて……
「うんうん、なるほど……」
すっかり気分よく楽しそうに話す美羽に、由衣菜も熱心に相槌を打つ。
「あらまー、すっかり仲良しになっちゃって」
嬉しそうに話す二人を見て、まるで本当の姉妹みたいだと琴葉は微笑ましく思った。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎていき、それぞれの買い物が終わるころにはすっかり日も暮れてしまっていた。中でも一番最後まで悩んでいたのは由衣菜で、結局最後は泣きそうになりながら悩ましい二択に迫られていた。
そうして真剣に悩みぬいたおかげで、帰り道では随分とぐったりしてしまっていた。
「由衣菜、流石に迷い過ぎでしょ……あんたレストランで注文決められずに友達待たせるタイプね」
「そんなことないよー!」
頬を膨らませながら、由衣菜は否定する。
「でも」美羽がフォローするように言った「そんなに一生懸命選んでもらえたら、お兄ちゃんも嬉しいと思いますよ」
「えへへ、喜んでくれると良いなぁ」
今しがた買ってきたプレゼントを、由衣菜は大事そうに抱きかかえた。
「それにしても、熱心に選んでましたね」
「プレゼント買いに行こうって言い出したのも由衣菜だしね」
「そ、それはだって、最近特にお世話になってるし……」
誤魔化すようにもじもじしながら、由衣菜は言う。
「お世話に、ですか?」
美羽は不思議そうに首を傾げた。
「そうなのよ美羽ちゃん。実は由衣菜ねぇ、最近毎日涼馬に寮まで送ってもらってて――」
「もう琴葉ちゃん!そうやってすぐ誤解させようとする!」
「だってホントのことじゃーん」
由衣菜の反応が面白くて、琴葉は声を上げて笑う。
「えー! 毎日送ってもらってるんですか!? それはズルいですよ! 美羽も送ってもらいたいのに!」
話を聞いて不服そうに美羽が言う。由衣菜が慌てて「これには事情があってね……」と説明を始める。
琴葉はそんな様子を見て「シスコン野郎の妹は、とんだブラコンだねぇ……」と呆れて笑った。
その時、話に夢中になっている三人の背後から一人の人影が近づいてきていることに、誰も気付いていなかった。
その人影は三人のすぐ後ろまで迫り、そして声をかけた。
「神無月由衣菜」
唐突にそう呼ばれて、由衣菜は振り向く。一緒にいた二人も、ただならぬ気配を感じて振り向いた。
そこには御門レオが、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「僕と一緒に来てもらおう」
彼の言葉には、彼女の返答など意に介さない、無理やりにでも連れていくという響きがあった。
「あんた……この前の」
琴葉はレオに見覚えがあった。以前涼馬を訪ねて教室に来たあの少年……
「まさかあんたが、ストーカーだったってわけ?」
「答える必要はないね。君には用はないんだ、久遠寺琴葉」
フルネームで呼ばれ、琴葉はにわかに全身をこわばらせる。
「ただし真木原美羽、君にも一応一緒に来てもらう」
突然矛先を向けられた美羽は、びくっとして一歩後ずさった。
「あんた……一体何言って――」
「お願いしているつもりはないよ」
琴葉の声を遮ってそういうレオの声には、鋭く、そして凶暴な響きが秘められていた。
「優しく言っているうちに従っておいた方が、君たちの身のためだよ。怪我したくなかったらね」
レオは相変わらず不敵な笑みを浮かべていたが、彼の目は一切笑っておらず、その言葉ははったりではないと感じさせる迫力を秘めていた。
重苦しい沈黙がその場を支配する。数秒の後、レオはやれやれと言う様子でポケットから手を出し、由衣菜たちの方へ一歩踏み出した。
「っ――」
その瞬間、琴葉は常に持ち歩いている竹刀を袋から抜き去ると、レオに向かって素早く振り下ろした。レオはまだ間合いの外にいたが、竹刀の軌跡はエネルギーの刃となってレオに襲い掛かる。それは先日悠司に放ったのとは比べ物にならないほどのエネルギーを秘めた「真空斬」だった。直撃すれば、ただでは済まない。
普段の琴葉ならそこまで極端な力の使い方はしない。しかしこの場の緊張感とレオへの恐怖は、明らかに琴葉の能力の制御を狂わせていた。予想以上の力を放ってしまったことに、琴葉は自分でも「あっ」と声を漏らす。怪我をさせてしまうかもしれない、そんな思いが琴葉の脳裏をかすめた。
しかし、それは杞憂だった。レオは「ふっ」と笑いながら軽く右手をかざす。その瞬間、レオの張ったシールドに弾かれてパンッと小さな音を立てると、琴葉の真空斬は跡形もなく消えていた。
「うそっ……」
琴葉は唖然とする。普通の超能力者なら、琴葉の真空斬を完全に防ぐためにきちんと集中してシールドを張る必要がある。熟練した琴葉の竹刀さばきと超能力が組み合わさった攻撃の威力は、それだけ高いものなのだ。それが、いつも以上の威力で放ったものであればなおさらだ。ある程度の実力者でも、完全に防ぐことは難しいかもしれない。
だが、目の前の少年は、御門レオは、片手でそれをやってのけた。まるで羽虫でも払うかのように簡単に、琴葉の攻撃を無力化していた。
琴葉の頬を、冷汗が一筋流れる。目の前で笑うこの少年の力は、自分とは桁違いだ。本能的な恐怖で、琴葉の足がすくむ。
「言ったよね。優しく言っているうちに従えって」
レオの声は相変わらず淡々としていたが、その奥には明らかに、苛立ちが混じり始めていた。
「邪魔だよ」
レオは掌を琴葉に向ける。そしてその掌から、見るからに強力なバレットが琴葉めがけて放たれた。
「ああっ」
正面から迫りくるバレットを、琴葉は竹刀を軸にして張ったシールドで受け止める。そのバレットがシールドと触れた瞬間、バチバチバチとエネルギーの弾ける音がして、強い力がシールド越しに琴葉を圧迫した。
そしてそのまま、必死に耐えようとする琴葉は、エネルギーに押されてじわじわと後退させられる。そのバレットの秘めたエネルギーは、琴葉の常識を超えていた。
「うあああああ!」
琴葉は大きく声を上げると、竹刀でバレットを叩き落とす。逸れたバレットは地面に激突し、石畳にヒビを入れる。
何とか九死に一生を得た琴葉は、極限まで力を使って乱れた呼吸を整える。心臓が信じられない勢いで鼓動を刻んでいた。
「へぇ、意外とやるんだ」
面白がるように飄々と、レオは言った。
「でもそんなの、意味ないけどね」
レオが足をタンッ踏み鳴らすと、途端に石畳に大きく亀裂が走る。
「えっ」
足元まで迫った亀裂から逃げるように、琴葉は大きく後ろに跳びのく。初めはそれが彼の攻撃かと思った。しかし、石畳に走った亀裂は琴葉に届かずに止まる。そして亀裂の走った石畳はぐしゃりと歪んだかと思うと、大きな塊に分かれて空中に浮き上がる。
「何よ……これ……」
目の前で繰り広げられるでたらめな光景に、琴葉は言葉を失った。それは由衣菜と美羽も一緒だった。彼女たちの目の前で、砕かれた地面の破片は人の形を形成した。
ゴーレム。
琴葉の脳裏に浮かんだ言葉は、ファンタジーの世界のものでしかないはずだった。
「さぁ、一緒に来てもらうよ」
レオがそう言うと、石の巨人は怯えて動けなくなっている由衣菜を巨大な腕で掴んだ。
「きゃあっ!」
石で出来た指が胴に回され、由衣菜の身体がふわりと空中に吊りあげられる。
「由衣菜!」
琴葉は必死で手を伸ばしたが、その手は由衣菜には届かず空を切る。
「次は君だよ」
レオがそう言うと、石の巨人は美羽に手を伸ばす。
「こんのお!」
怯えてへたり込んでしまった美羽に、石の巨人は腕を伸ばす。その腕に向かって、琴葉は竹刀を振り降ろした。琴葉の超能力を帯びた竹刀が、巨人の腕を轟音と共に砕く。砕かれた石の破片は、粉じんをまき散らしながら周囲に散らばった。
「やった!?」
肘から先を失った巨人の姿に琴葉は一瞬希望を見た。しかし、そんな琴葉をあざ笑うように、散らばった破片は再び宙に浮かんだかと思うと巨人の腕を再生して見せた。
「そんな……」
琴葉は絶望する。これでは、何度やってもキリがない。
「邪魔だと言ったろう」
レオが冷たく言い放つと、石の巨人は拳を握り上から振り下ろした。琴葉はそれを間一髪で避けたが、直前まで琴葉のいた地面は大きくえぐり取られていた。
「美羽ちゃん! 逃げて!」
攻撃を避けながら、琴葉は叫ぶ。
「そ、そんなこと……」
「良いから! 早く助けを呼んできて!」
「は、はいっ!」
美羽は躊躇いながらも、踵を返して女子寮の方へと走り始める。
「逃がさないよ!」
レオの声と共に、石の巨人は再び美羽の方へと手を伸ばす。
「させるかー!」
とっさに美羽と巨人の間に身体を滑り込ませた琴葉は、巨人の掌に向かって全力で竹刀を振り下ろす。竹刀の軌道から放たれた真空斬は、巨人の肩までを竹を割るように砕け散らせた。しかし、砕けた破片は再び集まり、数秒後には巨人の腕を再生させてしまう。
だが、その数秒でも無駄ではなかった。琴葉の必死で作り出したその隙をついて、美羽はその場から姿を消していた。
「貴様、ちょこまかと……」
今まで余裕を見せていたレオの表情に、露骨な怒りが浮かぶ。美羽を取り逃がしたことは、レオの怒りに火をつけていた。
「琴葉ちゃんも逃げて!」
彼の怒りを感じ取った由衣菜が必死で叫ぶ。
「黙れ!」
「うっ――」
巨人の手で絞めつけられて、由衣菜は意識を失う。
「由衣菜!こんのおおおおおお」
気を失った由衣菜の姿を見て激高した琴葉は、やけくそになって巨人に竹刀を振り下ろす。だが……
「えっ」
琴葉の振り下ろした竹刀は、いとも簡単に巨人の掌に弾かれ、パキンと音を立てて真ん中から折れてしまった。
無茶な超能力の使い方をした琴葉は、もう自分のエネルギーが底をついていることに気付いていなかった。
「終わりだ」
レオの言葉と共に、巨人の平手が琴葉を襲う。もはや為す術のない琴葉はその攻撃を正面から受けて弾き飛ばされ、背中から木の幹に叩きつけられる。「ぐぁっ」と言う短い声を漏らして、琴葉も意識を失った。
辺りは再び静まり返る。
予想外の抵抗で美羽を取り逃がしたレオは、苦々しい思いで美羽の消えた方向を睨みつけていた。しかし、しばしの後「こいつでも、役には立つか」と呟くと、ぼろぼろになって倒れている琴葉を巨人に拾わせ、自分も巨人の肩に乗ってその場を後にした。