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第拾弐話 Written by 佐倉信輔

 白銀を先頭にゆっくりと掛け軸に近づく。

 掛け軸は何の変哲もない山水画だった。ここから目線だけで観察する分には、掛け軸からは何も感じなかった。

「どうだ?」

「かすかに残り香があるだけだ――。どうやらもう逃げちまったようだねえ」

 そう言って白銀は静かに首を振る。どうやら逃げられたらしい――。

 俺と銀子はお互いうなずいた。そしてそろそろと近づき、慎重にその掛け軸を外して床に置いた。

 掛け軸の本紙には薄めの墨が踊っている。細く先の尖った岩肌の山から一筋の滝らしい墨の筋が流され、余白には鳥(おそらくは鳶だろうか)らしい墨影が描かれている。

 さらに視線を落としていくうちに、視線が一点で止まった。本紙の左下の隅に申し訳程度に書かれている小さな崩し文字と赤い印章――。この掛け軸を描いたのであろう人間の銘と印だ。

「別段怪しいところはなさそうねえ。――それにしても下っ手くそな絵! 一体誰が描いたのかしら」

本田魯山ほんだろざん――」

 俺は銘を指差していった。

「ここに銘があんだろが」

「それって描いた人の名前なワケ? 絵の一部じゃなくて」

 これだよ。

 この女、"こういうこと"には異様に疎いんだこれが――。

 ――あん? 何で俺が詳しいかって? そんなもん、仕事上の常識としてジジイにみっちり仕込まれたに決まってる。そうでなきゃ俺だって芸術だのには興味がない。

「うわぁ、下手っぴな字っ。もう少し丁寧に書きなさいよね」

 俺はたまりかねて突っ込もうとしたが、いつの間にか傍によってきていた絹代が先に言葉を発した。

「それ、雪床ゆいしま流の行書です」

 雪床流は書の流派の中でもわりとメジャーな部類に入る流派のひとつだ。良家の人間ならそういったたしなみは必須だから流石に絹代は詳しい。

 一方銀子の方は、「これがねえ――」と訝しげにその文字を見つめている。――まったくこいつは……。

「で、その本田なんたらって、有名なの?」

 おいおい――。

 ここまでくるとある意味誉めてやりたくなるぜ、全く。

 しかし、絹代の方は銀子に向かって「知らんのかい!」と突っ込むでもなく、丁寧に本田魯山について説明を始めた。全く出来たお嬢さんだよ。

「本田魯山は書画・陶芸等様々な分野で多数の傑作を排出しており、不世出とまで言われる天才芸術家です。その筆致・造詣は何者も及ぶ者無しといわれ、その作品には全て破格の値段がつけられるのです。このお軸も父が大枚はたいて買い求めてきた物なんです」

「へーえ」

 と、銀子。まだ半信半疑らしい。

 とにかく、掛け軸の価値は今はどうでもいい。問題は中身だ。

「何か感じるか?」

 一応白銀に訊いてみたが、あいまいな返事しか返ってこない。

「ダメだね。ほとんど何も残ってないよ」

「あれ?」

 その時銀子のすっとんきょうな声が聞こえた。

 腰が砕けそうになりながら踏みとどまり、ツッコミを入れる。

「何だよ」

「なんか変。手触りが」

 ってこいつ、素手で触ったのかよ!

「馬鹿、素手で触ってんじゃねえよ!」

 ジジイがいたらぶっ飛ばされるぞ!

 ――触ったのが俺だったらの話だが。

「だってさ、ここ妙に膨らんでる気がするんだもん」

 と、掛け軸のちょうど真ん中当たりを指して銀子は言った。

 言われてようく観察してみると、確かにそこだけわずかに他の場所より厚い――。

 おそらくは中に何かが隠されている――。しかし、馬鹿高い掛け軸を裂地から無理矢理引っぺがすわけにもいかないので別の方法を使う。

透視眼くれだま出せ」

 銀子はうなずいて、道具入れから真鍮で出来た円筒系の筒を取り出した。筒にはしゅが彫り込んであって両端と真ん中には金張りの飾り輪が巻きつけてある。片方には朱色の紐が垂れ下がっていて、先端は丸く膨らんだ房状になっている。

 これが仕事屋道具の一つ、透視眼だ。念を込めた筒を通して見たものを透けさせ、内側や向こう側に隠れている物を探る事が出来るのだ。

 透視眼を通して問題の部分を観察してみる。

「何かあった?」

 俺は無言で透視眼の覗き口の方から垂れ下がっている紐の先の房を握りこんだ。

 カシャっと音がした後、筒の一部がベロンと剥がれて床に落ちた。便利な事に透視眼には撮影機能がついている。房の中に隠れたスイッチを押すと筒の外幕に透視画像が転写されるのだ。ちなみに剥がれた外膜はすぐに再生する。

 剥がれ落ちた外幕にすぐに画像が浮かび上がってくる。掛け軸の中央、先ほど銀子が指した場所付近に不気味な形をした薄い物体が浮かび上がっている。薄い何かには紋様のような文字が刻まれているようにみえた。

「何これ?」

「形はえらく特徴的だが、こいつは人形ひとがただね。呪術や呪いなんかに使う媒体さね。書いてあるのは梵字ぼんじだが――、どうやらこいつはこの人形が見た映像を術者に送信するための呪みたいだね」

 つまり、これを仕掛けた誰かはこいつを使ってこの家を監視してたって事か――。

「じゃあ、その本田ってのがこれを仕掛けたってこと?」

「アンタ、本当に何にも知らないんだねえ。掛け軸ってのは、絵師の書いた絵を専門の仕立て師が仕立てて完成するんだよ」

「んじゃ、その仕立てたヤツ」

「でも、本田魯山は装具も全て自分でなさるらしいですよ。完全に完成するまでは絶対に他人には触らせないと聞いた事がありますが」

「じゃ、やっぱり本田だ」

 ええい、やかましい!

 とにかく絹代の話が本当の事なら一番怪しいのは本田魯山という事になるし、違うなら軸を仕立てた仕立て師だ。この場所に人形を仕込むには、作品を裂地に張り合わせる“裏打ち”の工程の時しかチャンスはないのだから。

「――ジジイに訊いてみるか」

 この手の情報はジジイの方が、それも限りなく詳しい。

 俺は電脳神器(いわゆるケータイのような物だ)を取り出してジジイに連絡を取った。

『本田魯山か――。確かに奴は作りから仕立てまで一人でこなしちまうって話だな。――だが、ヤツが絡んでくるとなると少々ややこしくなるぞ』

 俺が本田魯山の事を告げると、ジジイは唐突にそう言った。

「ややこしく――、ってどういうこったよ?」

『そうか、お前にゃそこまで教えとらんかったな――。本田魯山――、本名は永篠定綱撚科丞ながしのさだつなよしなのすけ。二十万石を有する永篠藩の嫡子でありながらその地位を捨て、職人の道に進んだ男じゃ。しかしその実、跡目を譲った弟の定頼さだよりを影で操って藩の実権を握っているとも言われておる』

 それって下手すりゃ二十万石の国を相手に立ち回らなきゃならんってことかよ――。

 どこまでややこしくなるんだこの仕事――。

 不意に頭痛がした気がした。勘弁してくれよ、もう――。

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