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旅立つ夜

 月が登り切ったとき、絹糸を飛ばせるか飛ばせないかというほどの風が頬をそっと撫で、くすぐったく感じ目を薄く開いた。


 寝ぼけ眼をこすりながら進悟朗は立ち上がり、それから耳を澄ませるが聞こえてくるのは周りを囲う山にいる獣の鳴き声だけで、誰も起きてはいないと十分確信を持てるほどだった。


「…………よし、行くかッ!」


 目を覚ますため両手で顔をはたき、自分に改めて言い聞かせるように言う。そして、押し入れから適当な袴を引っ張り出してはき、脇差、打ち刀の二振を腰に差す。『革でできた書物』は風呂敷に包んで頑丈に結んだ。


 近くには澄が用意した旅道具が色々と置いてあった。しかも、丁寧に付け方を書いたものまで置いてあり、進悟朗はそれを見ながら付けた。そして、身支度を終えるとその紙も書物を包んだ風呂敷に入れて背負った。


 これであとは万が一に備えてあの『魔術』とやらを使いこの村を出ていくだけである。

 体の中に意識を向け、何かを体の中から感じる。あの夜や書物に触った時よりも僅かにではあるが、『魔力』を感じたような気がする。目に見えないが確かに存在しているものとしてだ。


「えーっと、『虚ろなる鏡よ、万象を欺け』」


 体や二振の刀、それに風呂敷にいたるまで『魔力』が引っ付いているような気がした。

 不快感を覚えるがこんな時に贅沢を言ってもいられないと極力気にせず、草履のある玄関へ向かう。


 どこにも寄らずに一直線に玄関に向かい草履を履き戸をあける。そして、振り返らずに塀に囲まれたこの屋敷唯一の門に進もうとしたとき、馬の鳴き声が聞こえ進悟朗は思わず振り返る。


 屋敷の中庭を跨いだところには厩舎があり、一匹の白馬がはっきりと進悟朗を見ていた。


 ちょうど中庭には池があり、まだ時間も余裕がある。

 透明になっているのか確認ついでに厩舎に行くことにした。池の中には両手で数える程度の鯉が泳いでいて、その鱗の一つ一つが月光によってより一層美しさを引き立てて光っている。水面には鯉と星、月以外に何も映っていない。つまり、本来なら映っている筈の自分が消えている決定的な証拠である。


 奇怪なこの『魔術』のおかげでなったのだが、こんなことはあり得ないと頭が受け入れないのか浮いているような、地に足がついていない気分になる。


 白馬は大きな目を潤ませてこちらを向いている。それに気付き、馬にまで気を使わせるわけにはいかないと歩幅を大きくして早く近づく。距離が近づいていくと、くつわや鞍といった装具が取り付けられているのが分かってきた。


 厩舎には白馬のほかにもう二匹栗毛色と濃い茶色の馬がいるのだがそっちのほうは眠っている。

 動物の臭い、干し草や馬糞の臭いが厩舎に充満していて、酔っている進悟朗には毎日世話をしていて慣れていても少々堪えた。


 白馬のそばに着くと進悟朗に顔を摺り寄せてきて、進悟朗もそれにこたえると同時に、今日は放っておいたことを詫びるように首と鼻筋を撫でる。とはいえ、気がかりなのは白馬に装具が着けられていることだ。

 装具を着けられるのは進悟朗自身と父上と爺様だけ。一部村の中にもできる人間もいるが、屋敷の中に特に用もないのに入るわけもないし第一、爺様が入れるわけがない。

 

 ふと、厩舎の柱の隙間に小さい紙が挟まっているのが見えた。なるべく分からないままにしておきたかったが、諦めて紙を取り出し中身を開く。


『進悟朗よ、お主があのとき何を見たのか儂には容易に理解できる。蒼汰と澄から旅に出ることは聞いたぞ、もちろんその目的も。

 別に止めようとは思わん。お主だけが唯一全てを見たのだからな。

 家はどうにかする。

 ただし、命を落としてまでやってくれるな、絶対に帰ってくるのだ。』


 思っていたものとは違いとても簡潔な文であったが、何より蒼汰がこのことを言ったことに驚いた。そして、爺様も止めずに逆に、手助けをするのは予想外にもほどがあった。


「死ぬななんて余計なことを…………死ぬ勇気を持ち合わせてないってのになぁ、白松」


 白馬にそう言うと鼻を鳴らし遠くに顔を向ける。

 ――――行く準備は整っているんだ、早く行くぞ――――進悟朗にはそう言ったように聞こえ、戸を開けて白松を出し、背に跨る。


「なんで分かったんだ? においか?」


 今更ながら、なぜ分かったのかを聞いてみたが鳴き声一つはおろか何の動作もせず、白松は進悟朗を乗せ、門を出る。


 夜の冷たい空の中で白い風となった白松とは田畑を抜け北へ、北へと向かう。

 針みたいに鋭く冷たい風に当てられているが、白松と共にいるおかげか気が高揚していて何とも感じず、村を抜け山道を駆けあがる時には木々が退いて道を開けているみたいに思えた。


 村の周りを囲う山はそれほど高くはなく、傾斜はなだらかで大きい丘と変わらず、白松の脚への負担もある程度少なくなるものの、あまり走らせたくはないと進悟朗は中腹あたりで白松の走りをやめさせた。そのせいか、白松は機嫌を損ねる。


「自由に走るのが久しぶりでも、飛ばし過ぎだ! それで途中で潰れてもらったら困るんだよ! 我慢してくれ、頼むよ」


 白松の顔に近づき宥めようとする。しかし、聞く耳を持たずしまいにはそっぽを向いてしまう。

 それでも登ってくれるだけありがたいと、緩い坂の先を黙って見据える。

 

 夜もますます更けり、山林のひっそりと静まり返った無音の世界、不機嫌ながらも進む白松から伝わる心地よい振動は、進悟朗を眠りの世界に引きずり込むには十分すぎるものだった。

 下から上にくる振動は弱くなり、跨っている感覚もなくなる。しばらくしたところで進悟朗は目を開けた。


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