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意味のないウソ

一応ためてはいますが、更新期間は不定期です。

「っう……う~ん。此処は?」


 目が覚ますと、古ぼけた木の天井が目につく、天井には五枚の桜の花びらのようなシミがあり、それは物心がついたときに屋敷中を駆け回りながら見つけた、子供の時の宝物でもある。


 この屋敷の中でそのシミがあるのは自分が寝ているところだけだと知っていたので、少年はここが自分の寝室だと分かった。そして、一拍おいてからハッと目を見開く。


「なっ……!」


 丁寧にかけられた布団を蹴飛ばし、自分の体の胸からつま先までを見る、昨夜の父の血でまみれた着物ではなく、それとは逆の空色のものを着ている。周りを見渡す、いつも通りの目覚めの景色が、狐に化かされ見せられている幻のように思えた。


 少年は確かにあの夜の最後、自分が眠った場所を覚えている。ならば何故、自分はここで、布団に包まれ、寝ているのかが不思議でならなかった。寝ている間の出来事など、考えていても無意味であったが思考を働かせる。しかし、あることが頭に浮かぶ。


 自分が血まみれの状態で見つかったということは、道場から廊下までの血の跡も見たはず。それにあの惨状を目の当たりにしているに違いない。

 おおよそ、アレをみれば平常を保てれるわけがないのだが、そうでないのならば、自分を発見した人物も(おの)ずと絞られる。


 そうとなれば居ても立っても居られず、自分が寝た場所。道場に続く廊下に向かおうと布団から跳ね、疾風のような勢いで駆け、襖が外れそうになる力であける。部屋とその廊下まではそう遠くなく、幸いにも途中で誰かに合わずに済んだ。


 近いおかげかそれとも、走ったおかげか。いや、両方であろう。案の定廊下には、血痕を消そうとした痕跡が見られるが、ところどころ残っていて自分の足跡が薄っすらと残っていた。この状況をみて、昨夜の地獄がどうしようもなく気になり少年は道場に向かった。


 少年は道場には着いたものの、襖に手をかけることができずにいた。誰だって肉親が無残に殺された場所をわざわざもう一度見たくはない。

 襖越しからかすかに血の匂いがする。その匂いを肌で感じ、ある風景が浮かぶ。


 紅い池の中心にいる父。その身は微動だにせず、冷たく虚ろな目で何も感情がない顔でこちらを見つめ、その奥にはあの化け物が自分を嘲笑っているような、しかし声の聞こえない笑い声が挙げている――というものだった。


 わずかな時間であったが、少年はかなりの長さだと感じ、額には一筋の汗が流れている。だが、退くわけにはいかない。


 寒さの中ガタガタ震え、縮こまっていては復讐はおろか、晴れぬ恨みを一生抱いていくことになってしまう。これは一歩だ、踏み出すべきことなのだと自分に言い聞かせ、襖に手をかける。


(じん)()(ろう)、起きておったか」


 機会を窺っていたかのように白髪に白い髭を少し蓄えた老人がやって来た。少年は不意を食らいびくっとし、熱いものに触れた手を引くように襖から手を離し、必死に動揺の色を隠そうとすまし顔をした。


「はい、ご隠居様。どうかなされたのですか?」


 なんとか平生と同じ振る舞いをしたがそれが仇となったのか、齢六十を超えた老練な武人には少年の内心が見えたかのように表情がわずかに曇る。冷たい風が強く吹き、空を浮かぶ雲は早く流れる。風が収まった後に老人が口を開く。


「今朝、剣嗣(けんじ)が死んだ…進悟朗、おぬしら兄弟に言っていなかったが、剣嗣は病を患っていたのだ」


 思わず目を丸くした。普段から厳格で嘘なんてものを言う人ではない祖父が、わかりやすい嘘を言ったのだから。


 仮に本当に不治の病を患っていたとしても、父剣嗣は間違いなく化け物に殺されたのだ。それさえも嘘幻というのならば、なぜあの夜来ていた着物ではなく別の物を着て寝ていたのかが説明できない。それらのことや、祖父の性格や先ほどの表情の陰りで簡単に結論が出た。


 廊下で倒れた自分を見つけたのは祖父であると、恐らく道場の中には父の亡骸は無いが、床は廊下と同じように血が染みついているのであろう。しかし、そこで新たな疑問が浮上する。なぜ自分が血だらけで死んでいるのを知っているにも拘らず、病死などと見破られる嘘を言ったのか。


「今日は稽古は無しとする。屋敷を出ることも禁ずる良いな?」

「なッ……!」

「ん? 言いたいことでもあるのか、申せ」


 祖父の本心を聞こうとしたが戸惑ってしまい言葉を詰まらせ、しかも、遮られていしまった。

 とはいえ、その土地の有力者が突然死んだともなればそれだけでその土地に住む人々が戸惑うであろう。ならば、何も言わず石の如く物を言わなければ、不安の種をまき散らすのを極力防ぐことができる。奉公人もいるが絶対に口にはしないだろう。口にすればどうなるか分からないわけがないからだ。


 どのような噂でも時がたてばいつかは消える。それまで静かに息を潜め暮らす。その点は、まぎれもなく老人の言ったことは正しいだろう。


 進悟朗はそのことぐらいは分かっている。だが、だからこそ納得がいかない。それこそ何もせずに縮こまっているだけだと思い、それが不満でこぶしを強く握りしめ老人を見つめる。


 このようなことを思ってしまうようでは、いずれ家督を継ぐものとしては失格である。進悟朗はそんなことなど頭に入っておらず、何もできないもどかしさだけが体の中を駆ける。


「い…いえ、何も」

「そうか、ならば決して外には出るではないぞ」


 それだけを言い残し、ゆっくりと屋敷のほうに引き返していった。進悟朗は祖父の後姿を見た後、視線を下ろす。廊下にはまだ薄いしみが残っていた。


誤字脱字、おかしな表現等がありましたら教えて下さい。

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