魔女
「いい機会だし、魔女について話そうか。ああ、ごめごめん適当に座っていいよ。おお、そうだ紅茶飲む?あ、コーヒーもあるよ?」
別にどこか店に行かなくても十分お茶できるくらいの用意だな。
というかこれって部室の私物化だろ…。
「えっとじゃあ緑茶を」
「じゃーん、緑茶もあるよ!ついでにお菓子もあるよ!」
もう何でもあるなぁ…よく見れば教室の棚の一部が食器、調理器、食材、冷蔵庫、電子レンジなどいろいろ揃っているようである。
汚いと思ったら座っているテーブルは何かの作業台のようだ。
「あ、どうもです。で…魔女がなんでしたっけ?」
「魔女のこと。というより何の弟子かを話しておこうと思ってね。実は人手が足りなくてね」
「人手が足りない?」
「最近の魔女は忙しくてねー。異端魔女の討伐や魔獣狩りとかね。猫の手も借りたいくらいなんだ」
「異端魔女?魔獣?話が見えてきませんけど…」
「んー、そうだねー。魔女というのはもともと魔術やまじない、いわゆる魔女術の研究をしていたんだけど、近年は魔獣の退治に追われているんだ」
「魔獣というと…」
「そう。君が見ちゃったやつね。人を喰らい、犯し、殺す…古代から鬼や妖怪と言われている類だよ。例によって普通の人間には見えないのさ」
「そんな化け物みたいなのが街中を闊歩しているんですか?見たことも聞いたこともないですよ」
「まあ、ある種の才能を持たない人間には見えないからね。我々魔女が退治する時は、いつも人払いの結界を張っているからね」
「しかし魔獣はどこから現れるんですか?」
「あー、地域によって異なるが一定の出現ポイントはある。この地域だと、ここだね」
「うちの高校が!?」
「うん。だから、うちの初土高校は魔女協会が母体の私学だったりするんだよね。あ、今の一応シークレットだからね。話しちゃだめだよ、危ないから」
瀬矢先生がシーッと人差し指を立てる。
「いや、そんなに簡単に秘密を聞かされる身にもなってくださいよ…。で、さっき言ってたある種の才能って…」
「そう。こういう表の世界で、というより普通の人間には魔法を見たり聞いたりすることはできないんだ。だから普通の人間では魔獣は見えないし、対処できない。例えば、こういう風に…よっと」
瀬矢先生は右手をぐっと握り、ゆっくりと手を開いた。
手のひらには何もなかったが、突然青白い炎が飛び出した。
「す、すごい…これが魔法ですか!?一体どうやって……あれ?僕は見えてるじゃないですか?」
「まあ、魔獣や魔法を感知できる人は結構いるもんだよ。ただ、それが感じるのか、聞こえるのか、見えるのか、自分でも使えるのかは個人差が大きい。霊感がある人、といえばわかりやすい。見えるだけでも大した素質だよ。見えるということはほとんどその現象を理解できるということだからね」
先生は手のひらをゆっくりと閉じると静かに炎を消した。
「それでも魔法が本当にあるなんて思いもしませんでしたよ…見えるといっても今まで見たこともなかったし…。しかしどうして魔法の存在は公になっていないんですか?すごく便利なのに…」
「ハハハ、今は魔法のような技術が道端にも転がっているからね。さっき出した炎で煙草に火をつけないだろう?100円ライターでつければいい話さ。魔法はとっくの昔に科学に負けちゃったんだ」
「じゃあどうして魔女がいるんですか?それに弟子って…」
「それでも、未だに魔法でしかできないことも存在する。ほとんどは自分にしか意味のないものだが、稀にそういう魔法を扱える人間が出現してしまうんだ。それに今の魔女の存在意義は魔女がやらかした不始末を片づけること、魔獣を退治することだ。君ならわかるだろう」
一般人に対する魔法による攻撃と特殊な魔女の保護と魔獣の退治…ほとんど治安維持機関になってしまったということだろうか…。
「君の場合も本当は記憶を消してしまう、ということもできた。でも記憶の消去は日常生活に支障がでる場合もあるからね。一人くらいなら大丈夫だろうということでボクが見逃した。身内になってもらえればそれでよかったし。それに弟子っていう…」
誰か来たようだ。教室の扉がノックされて話が途切れる。
「ああ、入ってきていいよ。で、これが今日の本題。紹介するまでもないと思うけど…」
教室に入ってきたのは紛れもない。
『口裂け女』こと空也聖さんだ。いつも通りマスクをしている。
「こっちが後藤田はる君ね。まあ同じクラスだから知っていると思うけど。で、ボクの一番弟子になったよ」
空也さんは通学用バックからスケッチブックを取りだすと油性ペンで何か書き始めた。
『私は別に
構わないけどママに
許可取ったの?』
「い、いや理事長には取ってないけどね。というか聖が記憶の消去は待てって…」
ん?いま先生は聖って……。
「ああ、ごめんね。聖はボクの娘で、理事長はボクの、まあ妻になるのかなぁ…別居してるけど」
部室だけじゃなくて学校も私物化…って言っても私学だから…いやどうなんだろう。
「へ、へえー…そうだったんですか。えーっと…空也さんはどうしてここに…」
空也さんはスケッチブックに再び油性ペンを走らせた。
『どうしてと言われても
月曜の夜に君に見られたから
ここにいるんだけど?』
空也さんは、はあ…とため息をつくとそんなこともわからないの?と言わんばかりに、僕を見た。
『それに一応手芸部だし』
手芸部だったのか…。ってことは手芸部とは名ばかりの魔女部になっているじゃないか。
「といわけで君があの夜に見たのは聖だったんだ。ちょうど敵に遭遇したところを君に見られたってわけだ。それで理事長不在だからボクに相談してきたわけ」
「じゃあ敵って、あのサーカスの格好をした男は一体…」
「あの男に関してはまだわからない。聖は突然現れて襲ってきたらしい。しかし、今回の件はなんだか予知というか既視感みたいなものが前からあったらしい。そうだね?」
空也さんが無言でうなずく。既視感、僕と同じものを感じていたのだろうか。
「そういえば僕も既視感を感じました。それも先週から…まるで未来についての既視感というか…」
「君もか…詳しく調査してみないとわからないが、理事長が日本に到着次第何らかの措置が取られることになっている」
「理事長は海外にいるんですか?」
「そうだよ。今回の件はメールで報告しておいたんだ。いたく怒っていたけどね。魔女の紛争地域っていうのは主戦場はヨーロッパ。次いでユーラシア、中東、アメリカ…日本はまあ平和なものだね」
少し意外だ。この世界では紛争といえば中東やアフリカ、中国…そういったところのイメージがつよい。
「そうそう弟子の件についてだが、君には魔獣の退治と技術の継承をしたいと思ってね。実は人手が足りなくてさ。ちょうど弟子が欲しかったというのもあるんだ」
「技術の継承?あ、僕は運動とかあんまり…だから戦闘も…」
運動ができないというわけではないが、陸上部や格闘技経験者には遥かに劣るだろう。
「あー、大丈夫、大丈夫。魔法さえ使えればちょちょいのちょいだよ。ああ、技術の継承というのはね。ほら、彼女のマスク。実は特殊な魔法道具でね。こういうのを作る技術だよ」
「魔法道具の技術、ですか…」
「今は失われし異世界の技術…って感じかな。難しいことはないよ、ボクが教える。君には才能を感じるんだ。ははは、虎の眼をしてる!って感じにねー」
絶対適当だ。てきとーに違いない…。
彼女をちらりと見る。
空也さんの着けているマスクは自作だったのか。
マスクは一見市販のマスクのように見えるがどこか特殊な構造になっているのだろうか。
僕が空也さんのマスクじろじろと見ていると、気分を害したのか、彼女はそっぽ向いてしまった。
少し無遠慮だっただろうか…。
そういえばどうして空也さんはマスクをしているのだろう…?
「瀬矢先生、どうして空也さんは…」
「うーん?ああ…理由もなしにマスクはしないさ。ただ少し複雑なことだし、なによりこれは本人のプライバシーに関することだからボクからはあえて説明しないよ。いずれわかることだが、そういうことは本人に聞いた方がいいんじゃないかな?」
僕はふと空也さんを見る。
彼女は僕の視線を受け止めてじっと見つめあう形になる。
僕は彼女のジトっとした目を覗きこむように見るが、やはり感情が読めない。
しばらくすると彼女は見つめているのが気まずくなったのか、それとも不機嫌になったのか、そっぽを向いてしまった。
「ハハハ照れているのかい聖?珍しいねえ」
これは照れているのか?僕にはいまいちよくわからないが。
「慣れれば君も聖の感情くらい読めるさ。マスクをしていても、目は口ほどにって言うだろう?仲良くなればわかるさ。じゃ、今日のところは二人で帰ってみようか」
なぜ二人でなのか。別々に変えればよいではないか。
「べ、別に一人でもいいじゃないか。それに僕は家まで遠くないですよ!」
「ははは、それでもね。仲良くなるためだと思って、さあさあ。それに君の護衛も兼ねてね」
「僕の護衛…?」
「君だって敵の顔を見てしまったんだし、狙われても仕方ないだろうよ。念のため聖をつけておけば、まあ大丈夫だろう。それに…僕はこの後面倒な人に怒られるだろうしねえ…職員会議もすっぽかしてるし」
「それは仕事してくださいよ…ってああ…」
そんなこんなしている間に空也さんはすたすたと歩いて行ってしまった。
「ほらほら一緒に帰るの」
「って言われても嫌われてますよ、僕」
「きっと照れてるんだよ。男の子と帰るなんてあんまりなかっただろうしね。君がエスコートするんだ。じゃあね」
この人は自分の娘だというのに、実は勝手な解釈を加えてやいないだろうか…。
いやもとよりてきとーな人だしな。
「あ、そうだ!よかったら今日の22時くらいかな。学校においでよ。うん、それがいい。今夜、校庭にきなさい。待ってるからねー。顧問命令だー、はははー」
「ええー……顔合わせじゃなかったんですか?」
「社会に出れば理不尽な思いはいっぱいある。その練習だと思いなさい。まあ、練習のための練習だがね。聖にも伝えておいてくれよー」
「はあ……」
手芸部を出た僕は気付けば空也さんの姿を見失っており、夕焼けが入り込んだ廊下で一人ぽつんと立っていた。
どうも先に帰っちゃたんだろうなぁ。
一緒に帰れって言われても話題もないし、そもそもしゃべらないタイプだし、助かったな。
しかし、女子に一方的に嫌われるのは、なんというかつらい。
あの3人組みもそうだけどね…。
靴箱のある昇降口に行くと靴箱の向こう側からちょこんと黒髪の頭が揺れていた。
真横まで行ってみると、その正体は空也さんだった。
「あっ…えーと、もしかして待ってくれてたの?」
空也さんは、ちらっとこちらを見ると肯定するでも否定するでもなく、ただ黙っている。
先に行ったと思ったけど、どうやら僕を待ってくれていたらしい。
「えー…とごめんね。待たせたみたいで。じゃあ、か、帰ろうか」
僕が靴を取りだして履くと同時に空也さんが歩き始める。
どうも一緒に帰りたいというよりは、言われたから仕方なく下校ルートを合わせているだけのようだ。
僕は彼女の3歩後ろを黙ってついていくという形になる。
すれ違う生徒が顔を見合わせたり、意味ありげな視線で僕を見ていく。
あの夜のことを聞こうかと思ったが、彼女の鬼のような形相と首を絞められ、押し倒された記憶が頭をかすめ、すぐに会話する気力をなくした。
僕は黙って彼女の揺れる髪を見ながら歩いた。
そういえば前を歩いているけど僕の家を知っているということなんだろうな。
しかもこの道順はいつもの帰り道だ。
どうやら家の場所のみならず帰り道まで知っているようだ。
もしかしたら家の間取りまで知っていたりして…なわけないか。
「着いた…え、えっとわざわざ一緒に帰ってくれてありがとね。瀬矢先生が護衛とか大げさなことを行ったせいだと思うけど、なにもなかったし…」
「………」
「ああ、そうそう。先生が今夜の22時に校庭に集合だってさ。…えっとそれじゃ、ありがとね。またあとで…」
僕は彼女の顔を見ずに急いで玄関の扉を開けて中に入った。
一瞬彼女がなにか言おうとしていたような気がしたがもう閉めてしまったものは仕方ない。
ドアの窓から覗くと誰もいなかったので帰ったようだ。
帰宅するだけなのになぜか疲れてしまった…。
しかし夜に一体何の用だろうか…。