病の箍、六夜目。続・パサの人生闖入者体験記(前編)
イヲンを浴室に追い遣った後、パサはその方向を少しの間眺めていると、不意に扉が少し開いて布の塊がバサバサとパサの居る部屋に落ち、パタム、と扉はまた閉まった。
布の塊はイヲンの元着ていた衣服だ。
――さてと。
パサはフン! と強めに鼻息吐いて気合を入れると、脱ぎ捨てられた衣服の回収に掛かる。つん、とあの饐えた臭いが鼻腔を突く。
ううう。ホントに、何処で寝たり起きたりしてるんだろ。
本当は二本の指で摘んで外の洗い場まで持って行きたかった。でも、上のシャツ・その下に着てるシャツ・少し厚みのある布地でできた腰布のようなモノ・ズボン。
ええっ、コレも!? ボッ(※赤面)
……下着(パンツ)。
イヤ、洗ってあげるって言ったけど……。まぁ、いっか。
下着のことはさて置き、量が量だけに摘む訳にもいかず、已む無く抱えて外へ持ち出した。
見たところ臭いの割に汚れは少ないようで、洗剤を泡立てて揉んだり絞ったりしても、それ程水が濁る事もない。
それじゃあ、とパサはもう少し洗剤を足した。すっきりとした甘さの、花のようにも果物のようにも感じられる好い匂いがふわっと強くなった。パサお気に入りの、この町ではルンスの店でしか取り扱っていない洗濯用洗剤は、両親が健在の頃からのパサの、家族のにおいだった。
すぐ傍で特定の柔軟剤の匂いがしたら、振り返らなくても誰だか判るときのあの感覚。
すすぎが終わると一旦洗った洗濯物を籠に入れて、家の側面に据え付けてある、長めの円柱がふたつ、横倒しで縦に並んだものに、レバーの付いた部品のある台の足元で先ほど手で軽く絞った洗濯物の入った籠を下ろした。服を一枚ずつ広げてふたつの円柱の間に差し込むと、ゆっくりレバーを回す。すると手で絞り切れなかった水気が、台の溝をさらさらと伝って流れていく。
イイ感じで半乾きの服を、パンパン! と勢いよく数回はためかせ布地に適度に空気を含ませると、日当たりの良い、家の前に立てられた物干し竿に手際よく掛けていった。
フゥ、と一息吐く。イヲンはもう上がったかな? 今まで一度もお風呂入ったことないなんてトンデモ発言だったけど、体洗うのに梃子摺って、まだお風呂道具と格闘してたりして。
洗濯物を竿に掛け終わったその立ち姿で、ふと、パサは動きを止めて足元に視線を落とした。
――――なにやってんだろ。もっと、距離をとらないと。
ルンスにも、お前がそんなことだから~! って、また怒られてしまうかな。
でもアタシお調子者だから。
あ~~もう、後で後悔するのなんて目に見えてるのになあ!
アタシって本当にバカだ。ルンスから子供扱いされるんだ。
イヲンはハッキリ探し物の旅をしてるって言ってたじゃん。
――色々な国を旅して来たのだろう。すっきりとした細身の体に着ている服にはなんとなく統一感が無い。
これからも旅を続けていくんだろう。彼の言う、『箍』を求めて。
……もう、「また来て」なんて言ったらダメだ。
ウジウジ、モンモン。
パサは延々同じ様な内容で開き直っては打ち消して独り煩悶を続けていた。
「――……ダメか?」
——ダメ。そうと判ってるのに誰かに深入りなんて。
「……うん、それは、……ダメ。」
「……そうか」
「うん。……て、エ?」
振り返る。と、パサは振り向いた視線ごと硬直してしまった。
少し離れたそこには、イヲンが居たから。上半身裸の。
さっき渡した着替えはローライズ気味に下だけ穿いている。
あ、胴回りがゆるいのか。
『太陽の下に出たことなんて、一度もありません!』と声高らかに宣言したくなるような色白にも関わらず、バランスの良い体積を備えた首周り・肩・胸・腕の筋肉。
お腹もいい按配で分割されたように隆起している。まっこと眼福なからだつき。
さっきまでの細身の青年は一体何処へお隠れになったんだろう。
いやいや、たぶん左右で黒と白の半分に分かれてるあの服を彼が着てたせいだ。
目の錯覚とかで、それできっと線が細く見えてたんだ。
うぅぅん……モッタイナイ、残念な着痩せ例ね。
硬直しながらもシッカリと鑑賞……もとい、硬直して視線が逸らせないパサ。
ルンスの半裸なら風呂上りにパンツ一丁でゴクゴク腰に手を当ててミルク飲んでる姿を毎回見てるのに。
なんで、こんなに緊張すんの。
「パサ」
「ヒャッ!!」
イヲンが訝しげな表情をしつつ、こちらに向かって歩き出した。その上半身に目が釘付けになりながらも、パサはイヲンが進んだのと同じくらいの距離跳び退る。ヨロッ、と。
「どうした、パサ」
歩み寄るイヲン。
「どうしたもこうしたも!」
後退するパサ。
イヲンが僅かに眉を顰めた。
「パサ!」
ガシッ! しっかりとした筋肉で隆起した腕の先端、これもしっかりと筋張った指の両手で肩を掴まれた。
「ゥヒャアアアィ!」
何か納得のいかないイヲンは、パサが更に一歩後退しようとするその瞬間の内に間合いを詰めた。彼にとってはそのツモリだった。
パサからすれば、イヲンは瞬間移動でもしたかの感覚だった。だから思わず(パサにしたら)娘らしからぬ悲鳴を上げてしまった。
「なぜ突然逃げ出すんだっ」
言ってイヲンは表情そのままに「アレ?」と思う。
なんで自分は、こんなに声を荒げているんだろう? 焦っているんだろう?
そもそも、声を荒げるほどに変化してしまうような感情が、自分にはあったのか。
そう、初めて気付いた。