病の箍、十三夜目。未知の知人
2014/09/11加筆修正
どれくらい時が過ぎたのかは分からない。
イヲンが瞼を開くとそこは。
――人通りが多くなくとも、活気ある明るい町に在って薄暗い、裏路地だった。
ここの輝度は少し低いが明るい表通りへ近いからなのか、表の喧噪が届く領域だからなのか、雰囲気までは沈んでいるということでもなかった。
ひとりが多少の余裕を持って歩ける道幅の路地。そこでイヲンは片側の壁を背に、両足を投げ出し座していた。
意識を躰中に巡らしてみるも別段怪我の類も見当たらないし、痺れ具合からしても、それ程長い間座り込んでいたという訳ではないらしい。
ホ、と息をつくと、次に腹に力を込めその勢いに乗せて脚にも力を込めた。
フラつくかと思ったが、思いの外躰は軽く、思う通り立ち上がることができた。
それでも歩くこと、体重移動をするにはバランスをとるのに少し要した為に、少々ヨロけながら始めの一、二歩を踏み出した。
日の光の下へと歩み出ると、先日とは出店の風景が少しばかり変わっているのに気が付いた。
――――まぶしい……。
昼前の日差しに、暫く目を細めて慣れるのを待った。
どうやら自分は数時間と言わず、数日間意識を失っていたらしい。でも別に驚くことじゃない。こういうことはこれ迄にも数あった。
発作の衝動に焚き付けられるまま、したくもない事をさせられるよりは、父さんから貰ったあの飲み薬だったり、箍や、それに近い働きをする物の副作用なんかでこうしてたまに意識を飛ばすことなどまったく苦にもならない。
ただ近くに人が居たら、例えば急に、イヲンが意識を失くして倒れ込んだとして、それなりに驚かせてしまうだろうが。
…………気にしていても始まらない。
そうだ、パサのうちへ行ってみるか。彼女と居れば……あのオカシな味の焼き菓子を口にすれば……気も紛れるかも知れない。
というか、そう思い付くより早く既に脚はパサのうちの方角へ向かっていたりした。
その日の行動を特に決めていないときは、取り敢えずパサのうちへ。
これはイヲン自身意識時に於いて無意識な、定番行動になりつつあった。
大通りから一本外れているものの充分に広い、主に近隣地域住民の生活に密着した商店や飲食店が立ち並ぶ通りを、ゆったり歩いていく。
特に出店系の配置の関係で、だろうが、若干変化した景色に目を楽しませながらイヲンは先へ進んだ。
足取りは寝起きの割りにシッカリとしたものだったが、頭の中はそうもいかず、いまだどこかポワンとして、うっすら靄が架かっているようだった。
それでも傍目から見れば多分普段通りの足取りで、道を往く。
「……ぉぃ」
「…………」
町のざわめきが、様々な雑音が騒音が、何か心地良い位だった。
「おい!」
「…………」
この通りの左前方にもうすぐ見える丘の上に、パサのうちがあるんだ。
「おいイヲン!!!!」
焦れやイラつきを孕んだ怒声に、半ば漂っていた意識をここに戻された。それに、名前を呼ばれたというのも効果があったのだろう。自分に話しかけている者が居る事に気付いた。
振り向いて一拍置いて、微かに首を傾げる。
そこに居たのはイヲンの知り合いではなかった。
しかし知らない奴が自分の名前を知っていようとイヲンは別に構わない。
名とは呼ばれる為にあるものだと彼は認識していた。
「アンタがイヲンで間違いないよな」
「ああ」
返答を聞いてから男は、眉間に皺を寄せたまま片眉を吊り上げる。器用だな。ポツ、と思った。
「オレはルンス。パサとは昔っからの……家族だ。離れて暮らしてるあいつんトコにはよく配達に行ってる」
そういう男の脇や背後には食料品やら日用品やらが整頓されつつも所狭しと並んでいる。
この店の店主なのか。
「ああ……。それで?」
イヲンは先を促しながら試しに右手を後ろ手で握り締めてみた。
先日危うくパサに向けかけた狂気にも似た病の発作は、今はひっそりと影を潜めているようだ。
まだ、ダイジョウブ。こいつの相手はしていられる。
躰の奥深くに遣っていた心を浮上させると、二拍か三拍ほど瞑っていた目を開いた。
この時迄イヲンはルンスに対し、躰は進行方向に向け首から上だけで応対していたが、改めて躰ごと相手に向き直った。