病の箍、十一夜目。秘密の夢
2014/09/09加筆修正
抱き込んだのは確かに自分の方からだったが。
彼女の灯火みたいなゆらゆら頼りない表情がどうにも落ち着かなかったから。
不安で不安で、わけも無く心が不安定になった時は、いつも父さんがこうしてくれると、ぐらぐらがゆらゆらに、ゆらゆらがふわふわになって治めることができたから、きっとパサにもコレが必要なんだと思ってやってみた。
思った通り、表情は窺うことができないけれど嗚咽と細かな震えは次第に治まっていった。
しかし、あんなに昼間はニコニコ楽しそうだったのに、どうしたというんだ。
俺が、何か気に障ることでも言ってしまったのか?
憶えは無いが。
そうこう思案している内にパサの呼吸のリズムがすっかり落ち着いていることに気付いた。思わず安堵の息が漏れる。――と同時にパサに声を掛け上体を起こそうとした俺の胸部に、纏まった質量が伸し掛かってきた。咄嗟に反応しても軽く受け留めることはできる程度のものだったが。
「……パサ、」
「…………」
「パサ?」
「…………」
応答が無い。
俯いているパサの顔を覗き込もうとすると、ぐら、と彼女はバランスを失くしたように崩れ掛け、俺は慌ててそれを支えた。
すう、すう、と規則的な、微かな呼吸音も聞こえてくる。
どうやらパサはこの不安定な体勢のまま眠ってしまったらしい……。
すう、すう、
「…………」
すう、すう、
よく眠っているな。だがこのままだと俺には何ら問題も影響も無いが、夜の冷えた外気でパサの方が風邪を引いてしまうだろう。
ゆっくりと、急な動きでパサを起こしてしまわないよう背と膝裏に腕を回して横抱きにパサを抱えると、部屋に向けて歩き出す。
何となくパサを独りにはして置けなくて、抱えたまま自分に与えられている部屋に入った。そのまま寝台に上がるとそっと降ろし、横たえた。当たり前だが寝台はひとつなので今夜はパサと寝床を半分コだ。
俺も一緒に横になる。その時、チャリ、と自身が身に着けている首飾りが音を立てた。
何を思ってこんなモノをくれたのか……。まだ故郷に居た頃、父さんが「お洒落しろ」と俺にくれた。透明な珠が鎖に繋がれた簡素なモノだ。お洒落になっているのかは……分からない。
横向きに眠るパサは、俺に背を向ける格好で横たわっている。薄闇の中でゆっくりとした呼吸に合わせて肩や胸の辺りが微かに上下しているのが見える。俺は夜目が利くほうだ。そう造られているのもあるだろう。
じっと、眠るパサの背中ををひたすら見ている。
……パサのからだは、やわらかい。昼間、パサを抱えていたら無性にホッとして、しばらくぼうっとしていたらパサに訝しがられた。
キョウダイの『サヲン』も女だが、あいつは胸部と腰周り以外、触り心地や形は大して俺や他のキョウダイと変わらない。つまり、ほとんどやわらかくない。
やわらかくてはあいつの得意な弓を引くことはできないから。
確かあの弓は普通の人間だと成人の男でも数人掛かりだと言っていた。
――まぁいいか。こんなどうでもいい些末な事。
****
イヲンはじっとパサの後ろ姿を見つめていたが、やがて、つ、と高めの位置で後ろ髪をひとつに纏めている為に露わになっている目の前のうなじに、人差し指と中指とを這わせてみた。
パサは深く眠りに沈んでいるのか起きる気配も、身動ぎすらもしなかった。
イヲンの体温よりは若干低めだが、横になったばかりの布団の冷たさに比べたら、それでも格段に温もりを感じられた。
(……パサは起きていないが、もっと、触れてもいいだろうか)
そっと、顔を近づける。
俯くように頭を前に屈めている為に、空気に触れる面積の広くなっている彼女のうなじに口付けてみた。
ただ、触れ続ける。
鼻先も肌に触れて、そこからも体温を感じる。それと一緒に石鹸の好い香りも鼻腔をくすぐった。
でもそれだけじゃない。
(この甘い感じは……パサの匂いか)
それからイヲンはほとんど無意識に腕を前にやると、背後からパサを抱き寄せた。目の前に立っている時より小柄に感じられた彼女は、そうするとすっぽりイヲンに覆い込まれてしまった。
唇もそのままで、匂いももっと吸い込んだ。
それは酷く安心できて、躰全体から要らない力が解かれていくかのような不思議な感覚だった。
(このまま少し眠ろう。パサはやさしいから、少しだったら許してくれるだろう)
瞼の重みの助けも借りて、ゆっくりゆっくりと意識を暗転させた。