病の箍、十夜目。大切な、妹。
2014/09/06加筆修正。
すっかり日も落ちて久しい時分、ルンスは遅めの夕食を摂りに自分の店の近くにある行きつけの居酒屋へと向かった。このまま家に帰ろうかとも思ったが、家族はとうに夕食を済ませてしまっているだろう。余計な手間を掛けさせるのも面倒だと今夜は外食に決めた。
「おうルンス、お疲れさん。夜なんて珍しいな」
「ああ」
行きつけではあるが、ルンスにとって夕食は家に帰って摂るのが当たり前で、ここに来るのは専ら昼食のためだった。
店の大将と挨拶を交わし、カウンター席の奥に着く。
店内を何の気なしに窺ってみると、テーブル席は何組かのグループ客で幾つかは埋まっているようだった。
この店は居酒屋と言っても仕込から大将の腕が存分に奮われた、軽いもので摘み始めるとつい手が止まらなくなる酒の肴から昼間も開店している事からも分かるとおりガッツリ系定食まで、町ではそれなりに評判の店だった。因みにここの大将とは、ルンスがハナタレの頃から可愛がって貰っている馴染みだ。
「キバってんな、ルンス。でもあんまり無理すんじゃねぇぞ」
「今日や~っと大きな取引がヒトツ纏まったんだ。さっきまでその仕入れ準備で。俺ってやっぱ机仕事より外で呼び込みしてた方が性に合ってんだよ。も~変に肩凝っちまった、ハァ。でもこれが済んだらちっとはゆっくりできるようになるよ。久しぶりにアイツの顔見に行かないとな!」
「ハハハ、そうか。そんじゃあ商談の纏まった祝いついでにスタミナ定食大盛で奢ってやるよ!」
「おぅヤッタ、ごちそーさん!」
「んじゃ、チョット待ってな」
大将が定食の準備に調理場へ引っ込む。そこで待つだけになったルンスは、力を抜いて今日一日の疲れやら溜まった変なストレスやらを逃すように、渡されたおしぼりに顔を埋めて大きく一息吐いた。
「…………」
視界を閉ざすと自然、耳が周囲の音を拾う。
「はァ~これでやっと俺たちの任も明けたなァ」
年嵩の男の濁声が聞こえる。ルンスがついたのと似たような安堵の溜息も。
「ホント、この国は確かに質は良いけどいちいち物価やら高いし、息抜きも気軽にできないですしね」
次いでその隣辺りから若い男のよく通る声。
「息抜きって、……。オマエ旅行じゃないんだから」
更にごく付近からクツクツと苦言と苦笑と混ぜた深みのある声。
ルンスの斜め後方から、三人程の男達の会話が耳に入ってきた。たぶん、自分と同じ頃入店してきたあの三人だろうと中りをつける。顔の造作は確認してないが。
「そうだぞ。それにオメエ、逗留費ゴッソリ懐にギってた癖にヌケヌケと……」
「人聞きの悪い事言わないでくださいよ。それに、これは嫌味じゃなく、と前置きしときますけどね——」
話の流れから、どうやらこの男達は他国から仕事の関係でこの町に暫く留まっていたらしい。この辺の、大陸の中で隣り合う国々で公的に使用されている言語、所謂『標準語』というのにはほとんど違いが無い。それでもその土地や国で独特の訛りというのはあって、ルンスには男たちの発音には憶えがあった。
―——―これは、北方の。
以前それなりな取引をした相手。彼は母国から亡命して裸一貫からこの国で商売を始めたという、気の良い男だった。今でもたまに情報交換などで手紙のやり取りしたり、時節の挨拶で季節のものを送りあったりする間柄だ。その彼の発音の仕方とよく似ている。
意識を一瞬でここに戻す。男達の中でも年若い(と思しき)男に耳を傾け直した。
「――自分は先輩方と違って……少しは使えると言っても、肉体派じゃないんですよ。それにこの容姿を買われて今回引き抜かれたんです。使えるモノは使うんですよ、チョットした節約の為でもね」
――ほう、自分の容姿についてそこまで堂々と言い切れるか。
どれ、と盗み見てやろうかとも思ったが直ぐに思い直した。
アホか。何が悲しくて野郎の鑑賞なぞせんといかんのだ。
心の中自分で自分を小突き、ルンスはそのまま自分の座っているカウンターテーブルに視線を落とした。だが、聞き耳はそのまま立て続ける。職業病とでもいうのか。どこでどんなウマイ話が転がってるかも分からない。……ということにしておいて。
「でもよ、お前が定宿にしてた家の女、別れるときとか、どうしたんだ? 縋って泣いたりしたんじゃないのか? 俺ぁそういうのは面倒で適わん。」
「ご心配には及びませんよ。だからあの女を選んだんですから。もう、後腐れなく、スッッパリです」
言葉の尻から、若い男が得意げにニッコリとしている様が目に浮かぶ。
その女とやらも利用するだけ利用されて、憐れだな。とルンスは半眼になりながら顔半分をおしぼりで覆った。
「たまに思わせぶりな言葉を掛けたり、(安い)物を贈ったり、でも手を出すことはしない。ああいう女はこちらから手を出さなければ向こうから行動することはほぼ無いですから。こう、丁度良い微温湯に浸からせとくのがコツです」
「ウワ……エゲツネェ」
「オメェの腹ァカッ捌いたらきっと中は真っ黒だなァ」
「チョットチョットやめてくださいよ、先輩が言うと冗談に聞こえません」
「俺、女に生まれなくてホントに良かったわ」
「先輩、気持ち悪い事言わないでください、先輩顔の女を思い浮かべたじゃないですか」
二人の『先輩』に淀みなくツッコんでいく若い男。
――――ルンスは空想の中で若い男の頚椎をヘシ折っていた。
コイツ……。そういう輩が世の中に居る事は知ってたが、実際に(まだ直に見ては無いが)目の当たりにすると、とんでもなく胸糞ワリィな。男の風上にも置けねぇ。……相手にされた女のほうも可哀相に。
そうルンスはどこか半分他人事のように思い、後方に聞こえないよう呆れながら嘆息した。――次の彼らの会話を耳にするまでは。
「それにしてもご苦労だったな。宿代・食費が浮くとは言え、毎日毎日町外れの丘の上の小屋くんだりまで。……それに、結構可愛かったじゃねえか。本当にもう、コレッキリにしちまうのか?」
「冗談やめて下さい、あんなガキ。僕が相手してやっただけでも感謝して欲しい位ですよ。オマケに『イドセン』被害者ですよ。脚が悪いらしくて、もう動きがトロくて。……見てるだけでイライラしてた位です」
若い男は最後の方を吐き捨てるようにして言った。
――――この時は目の前が真っ赤になったのを憶えてる。
いつだったか、久しぶりに会ったから近況を根掘り葉掘り聞き出したところ、それとなくそういう存在が居るのかな、とは感じていたが「好きになった人が居る」と頬を染めていた妹の顔が浮かんだ。
店内の賑やかさに紛れてはいるが下品な笑い声。「鬼だコイツ!」「失礼ですね、人間ですよ」「オメェら、落ち着け」尚も談笑を続ける男達。
他の客達もそれぞれに連れとのやりとりを楽しみ、料理に舌鼓を打ち。しかしその賑やかな店内の喧噪も、もはやルンスの耳に入ってくることは無かった。しばらくの、無音。
そして――――
「てんめえええぇぇええ!!!!」
いきなり、カウンター席から狂った風な若い男が、振り返り様に襲い掛かってきた。――――としか三人の男たちには思えなかった。
『狂った男』の標的は男達の中では一番年若い、それなりに見目の良い男。
男の胸座を掴みその顔を間近で睨み付けるとルンスは「なんだ、顔が良い、ってこの程度の顔か」と脳ミソまで煮えた状態の頭ながらにガッカリしていた。
実際のところルンスの方が、この国では、ということに留めておくが、男前だと思う者も居るかも知れない。それはさて置き……。
「なんだ!?」
「誰だァテメェ!?」
残る二人の、驚きからくる怒鳴るような問いかけは無視、というか今のルンスに聞こえてはいない。
「こんのモヤシ野郎がぁ!! よくも俺の妹を虚仮にしたな! その下種な頭、縊り折ってやるぁ!!!!」
ルンスは男達が着いていた厚い木製の四角テーブルを軽々と片手で跳ね飛ばすと引っ繰り返る料理やらで汚れる衣服に構わず猛然と若い男に殴り掛かった。
ここまでルンスに対して第一声を発してから今まで、目の前の光景に呆気にとられていた他二名の男は、我に返ると若い男を助けようとルンスに掴み掛かる。それでも、自分たちより痩躯の男のどこにそんな力があるのか、狂ったルンスを止める事はできなかった。
「何やってんだ、やめろルンス!」
騒ぎに駆けつけた尊敬する大将の声でさえルンスの耳には入らない。永遠にルンスのターン。
結局、お客の誰ぞが呼んだ警安隊が店に到着するまで、ルンスは自分の拳が血に滲もうとも、若い男の顔が既にどんな酷い有り様になってようが、止めなく拳を奮い続けた。
やっと登場人物紹介でしか出演されていなかったルンス兄さんの登場までいけました。
「やめてルンス! 若い男【仮名】のライフはもうゼロよ!!」
鬼神ルンス、降臨。