病の箍、九夜目。効かないお茶と靄を包む壁
2014/09/05加筆修正
有色に近いセピアの風景。町から少し離れた丘へと続く道には、その丘に在る家へと向かう人影が見えた。
人影が小屋側の視界から目視できたところでプツン、とノイズと共に映像は途切れる。
次に現れる場面、丘に在る家の扉を先程の人影の正体である旅装の男が叩き、家人を呼ぶ。
応対に現れた家人は笑顔でその男を迎え、二言、三言言葉を交わすと家の中へと彼を招き入れた。
また映像が途切れて消える。
場面転換。丘の家に住む少女と、旅装「だった」男とが一緒に居る様子が頻繁に映し出されるようになる。ふたりは決して恋人然として振舞うことは無いが、時折少女は男からの語り掛けに頬を染める。
毎日どこかへ出かける男と、それを笑顔で見送る少女。出掛けの挨拶の後、手を振る少女を男は振り返ることはない。
終わりの場面。
少女は眉を八の字にしつつも、精一杯の笑顔を努めて向ける。
対する男の表情は、いつもの出掛けの挨拶の時、彼女に向けていた笑顔と何ら変わりは無い。
丘の、下り坂の陰に男の姿が消えるまでいつまでも彼を見送り続ける少女。
最後の挨拶を交わしてからはいつもと同じで振り返る事も無く、少女と初めて会った時と似たような旅装で去っていく男。
やがて映像には少女だけが取り残される。
映像は静かに輝度を増していくように白んでいき、遂には朧げな輪郭線でさえ消えて無くなってしまった。
■ ■ ■ ■
――――夢?
随分と懐かしい、今では思い出とも言える出来事を夢に見た。
——まるで、記憶が意志を持って「同じ轍を踏んではいけない」と自身を諭しているかのように。
——まるで、そうではなくただ単に、今の煮え切らない自分を戒めているかのように。
つ、と一筋、体温より低いものが目尻から耳のほうへ伝っていった。
自分はまだ引き摺っているのか。
はぁ、とひとつ溜息を吐くと、パサはベッドから身を起こした。まだ夜明けまでは時間があるのに目はパッチリと冴えてしまっている。
もうすっかり吹っ切れたと思っていたのになぁ。
静かに寝台から降りると、パサは居間へと移動した。
お茶でも飲もう。
手燭をテーブルに据え付け、仄かな灯りの元蒸らしていたポットから立ち昇る香りをすう、と吸い込むと中身をカップに注いだ。眠れない、落ち着かない時用に特別にブレンドしたこのお茶のお世話になるのは久方振りだった。
「……うっ、……ふ……うぅ」
どうしよう、また涙が出てきた。零れるのを堪える為にほんのりと照らされた天井を仰ぐ。
このまま乾くまで待っていようか。お茶は冷めちゃうけど。
「パサ、眠れないのか?」
ハッとして咄嗟に天井から声がした方へと顔を向けてしまった。嫌だ、見られてしまう。でももう遅かった。水平を向いてしまったことで眼から溢れ零れた涙が頬を伝う。
「……泣いてる、のか?」
ルンスの部屋に続く扉の前にいつの間にか居たイヲンは、ゆっくりとパサの方へと歩き出す。
「ち、違うよイヲン。さっきウッカリ指で目を突いちゃっただけ! ホラ、アタシ慌て者だからっ」
午後からも思いの外話が弾んでしまったので、イヲンには今日ルンスの部屋に泊まってもらうことにしていた。別室とは言え少しでも音を立てないようにしていた筈なのに……。どうやら起こしてしまったみたいだ。
この家って、そんなに音が響くのかな?
「……大丈夫、だいじょうぶ。コレ飲んだら寝るから。起こしちゃってゴメンね」
「大丈夫じゃない、両目とも突いたのか? 両方、赤くなってきてる。見せてみろ」
はじめはゆっくりと歩み寄ってきていたイヲンの歩調が速くなる。薄暗いのによく見えるなぁ、とボンヤリ思っていたパサは、足早にこちらへと距離を詰めるイヲンに途中から慌てだした。
「ホントに大丈夫だってばっ」
と言っても既に遅く、傍まで寄ったイヲンは腰を落としパサと目線を合わせ彼女の顎をとると、じっと瞳を覗き込んで来た。
(近い、近いっ)
「……うん、大丈夫。目に傷は無いみたいだ。熱を持ってるようなら濡らした布で冷やせ」
フゥ、と鼻から抜ける安堵の息をついて彼は立ち上がった。
顔が遠ざかってホッとしたパサの頭に、今度はふわりと、圧力はそれ程感じないやさしい重みが降りて来る。視線だけ上向かせると、それはイヲンの掌だった。思ってたよりも、大きい。
「――本当は、泣いていたんだろう? 怖い夢でも見たのか?」
「そんな、違……」
違う。違わない。怖いんじゃない、怖かった、あれは――。
どちらだと答えようか迷っている内にまた目玉の奥が熱を持ち始めてくる。あぁ、動揺してる、お茶が足りない。
急いでゴクゴク飲み干しても、溢れる涙は止まらなかった。余計に焦る羽目に。
「これは……違うの、大丈夫。ダイジョウブな涙、だから!」
声が震える。自分はまた何を言い出すんだろう。震えながらも冷静な部分の自分が自分に突っ込む。
「動悸と、震えと、表情と。どれも俺の知ってる”大丈夫”に当てはまらない、パサ」
何も答えられずしおしお俯くパサは、手燭の仄灯りの中で急に闇に覆われた。
「やっ……」
軽く混乱してしまったパサだったが、それに構わず次にぎゅうと頭と肩背中の辺りを後方から苦しくはならない程度の力で圧迫され、布越しの硬い壁に押し付けられた。壁に押し付けられた額はじんわりと熱を感じ始める。自分から発しているのではなくて、相手から与えられている熱だ。これは、人より高めの、お昼にも感じたイヲンの体温。
トク、トク、と規則的な鼓動も感じる。心に広がっていた粘着質な靄のようなものが徐々に収縮してゆく。
「心がとても慌しくなった時は、父さんがよくこうやって治めてくれた」
パサは頭から肩背中にかけてイヲンの胸に抱きこまれていた。
トク。トク。トク。
涙はもう止まってる。
トク、トク、トク。
落ち着く匂いと鼓動のリズムが続く。
抱き込んでくるイヲンの腕と胸から与えられる少し高めの体温は、上掛けをしていなかったパサの冷え始めの体に優しく馴染んだ。
気持ち好いな。少しだけ、ほんの少しだけ目を閉じても良いかな? イヲン優しいから、許して、くれ、る、よ…………ね。
無意識の内イヲンに半体重を預け、ゆっくりと瞼を閉じきったところで、パサは完全に意識を手放した。
■ ■ ■ ■
耳に慣れた小鳥たちの囀りで意識が浮上する。
「……んん」
少し身動ぎパサは瞼をゆっくりと持ち上げる。心なしか、体だけでなく心も軽く感じられる。
――と、そこ迄感じたところで カッ! と目を見開き次いでガバッと一気に上体を起こした。
「えっ? えっ??」
ここは。自分が寝ていたこの部屋、寝台はルンスの……だ。
自分の寝ていた寝台の余ったスペース、シーツには彼女の他に人ひとりが居た事を主張するように皺が寄っていた。
「まっ、ままま……」
少しの間一時停止してから、休む間も無く今度は顔が紅潮し始める。
変な汗がっ。
まさか、アタシ、イヲンと一緒に……!?
イヲンの姿は無かった。その皺が無ければまるで初めから存在しなかったかのように、パサの家から居なくなっていた。