病の箍、八夜目。有意義なお昼と、残念な着痩せ再び。
2014/09/02加筆修正
「すまない、パサ」
何を? と返す間も無かった。イヲンは言うなりパサの家の入り口扉を結構な豪快さで蹴り開けたから。パサを抱きかかえていて両手が塞がっていたとは言え、……まあ、ウチの扉が内開きで、そして丈夫で良かった。なんて腕の中で固まりつつも暢気に頭の中で壊れなかった扉にホッとしていたパサだった。
家の中に入ったふたりは、というかイヲンは少しして立ち止まった。
「…………」
「…………」
外からは小鳥の囀りやら、やわらかな風音やらが聞こえてくる。
「…………」
「…………」
呼吸以外では微動だにしないイヲンに、パサは何だか不安になってきた。
「……あの、イ、ヲン?」
「…………」
「そろそろ、降ろして欲しいなぁ……、なんて」
パサは今現在の抱っこ状態にいい加減慣れてしまって、すっかり緊張は解けていた。
「……ん?ああ。」
その様子は、まさに、心此処に在らずといった状態から今帰還してきたような口ぶりのイヲンさんだった。
「どうかした?」
もう素面で話し掛けられる程にパサも眼福的上半身には慣れてきている。
「いや……」
「とりあえず椅子に座りたい、かな」
「――わかった」
ようやく彼は脚を動かし始める。
パサをテーブル椅子の傍で解放してやると、ゆっくりと腰掛けさせた。ひと心地着いたらしく、フゥ~と長い息を吐きながらパサはテーブルの上に凭れて体重を預けた。
「パサ、着替えは、……良いか?」
ルンスの部屋を指差してイヲンが伺いをたてる。行って良いか? と。
上に着るものを借りたい、ということだろう。
「あ、うん。好きなの着て良いよ。イヲンが選んでる内にお昼の準備始めてるね」
「すまない。パサ、脚は?」
「大丈夫、緊張が解けたら楽になれたから」
「緊張?」
首を傾げるイヲン。
「コッチの話っ」
アセアセな声風だったが、パサにひとつ頷き彼はルンスの部屋へ向かう。ふと、その背中にパサは違和感を覚えた。
あ、下がずって半ケツになった! アハハ、ずり上げてるずり上げてる。
――じゃなくて、それは置いといて。確か今日来たばかりの時の、お風呂に入る前までのイヲンは……。
————何か、足りない? 彼の後ろ姿に。
イヲンがルンスの部屋に消えた。
「ま、後でいっか!」
さて、と本日二度目の気合い鼻息を吐き、パサはお昼の準備に取り掛かった。いつもならお昼は軽く済ませて終わらせてしまうパサだったけれど、今日はイヲンのために無い腕奮うと決めたのだ。
「また来てね」って言っちゃダメだ、来るのを待ってちゃダメだ、……とは思いつつ、今日みたいな来訪を期待して、誰かと一緒にゴハン食べたりする時が来てもいいように。
パサは地下収納に仕込んでおいた、特製のタレに漬け込んだ——こうするとセミ保存食にもなる——厚切りお肉を出してきて、フライパンの上で香草油と一緒に焼き始めた。焦げ目を付けつつ両面とも肉汁がじわりと滲み出てきたら、蓋をして蒸し焼きにする。
葉野菜はザクザクと大雑把に切って、根菜数種類を繊切りにするとコチラは別のフライパンで軽く炒めた。
オーブンで温めたパンをナイフでパクッと中途半端に切れ込みを入れて開く。
そこに準備していたお肉と、野菜をはさんで出来上がりだ。
お茶も淹れて……ヨシ! と振り返ったところで「ワッ!!」とパサは驚き、声を上げる。
この場面の既視感……。
少し離れたところに、突っ立ってこっちをじっ、と見ているイヲンが居た。
いつ部屋から出てきたのかは分からない。全く気配を感じなかったから。
「少し時間を掛けた」――――の割には彼が選んで着てきたのは貫頭型で七分丈の黒いシャツだった。
シンプル、だけど。
「イヲンって、黒いのが似合うねぇ」
肌が白いからかな。パサはニコニコ素直な感想を思ったまま述べた。
「ん……。ああ。」
フイ、と外方を向かれてしまった。パサは目をぱちくり。イヲンは少し落ち着かない様子で視線をさ迷わせていて、よく見れば頬にうっすらと紅みが差しているように見えた、……気がした。
パサは一層笑みを深くする。
「ゴハンにしよっ。ご苦労様」
ふたりで手分けしてゴハンとお茶セットと例の焼き菓子をテーブルに運んだ。
尚もソワソワしているイヲンが席に着く。
「いただきまーす」
「い、ただきます」(ぽそ)
パンの、ガワのカリカリと中のフワフワ。タレの好く染みた肉汁タップリ香草の風味も効いてるお肉に合った、香ばしい根菜。瑞々しい菜っ葉。
おいしいなぁ、自画自賛だけど。パサにっこり。
「イヲンどう? おいしい??」
「むん。」
うん、と言ってるらしい。
◆◆◆◆◆◆◆◆
おいしいゴハンに忘れ掛けていたパサだったが、落ち着いたところで思い出した。さっきのイヲンの後ろ姿に抱いた違和感。
「ねぇ、イヲン」
「ん?」
焼き菓子の四個目に手を伸ばそうとしていたイヲンは、応答と共に視線をつとパサに向ける。
「イヲンって、アタシの記憶が正しければ後ろ髪、伸ばしてた、よね??」
「…………」
視線を落とすイヲン。
「あ……聞いちゃ、イケナイ種類の話だった?」(アセアセ)
「……ああ、コレか」
イヲンは何も無い後頭部辺りに、見えない何かがあるかのように手を添えた。
「忘れてた」
「へ?」
スッ、と席を立つと、彼は浴室に入って行き、またすぐに出てきた。手に細長い管のようなものを持っている。
「別に、もう安定しているし、無くても良いモノなんだが……」
「ん?」
「父さんがくれた物だから、捨てずに持ってる」
イヲンが目を細めた、ような気がした。微笑んでいるようにも。
「……安定?」
「ん、ああ。俺は生まれてすぐの頃はキョウダイより若干体温が高めで不安定だったから……。コレを、こう、——」
シュポッと音をさせて、細長い管のようなものはイヲンの後頭部辺りにくっついた!
「!!」
メンタマを剥くパサ。
「——装着させることで、この管が体温を調節してくれる。まぁ、極端に暑かったり寒かったりする土地では重宝するから、これからも捨てるツモリは無いが」
「髪の毛が生えてる……」
イヲンの頭にくっ付いている管の先端部分とは反対側には、確かにイヲンの頭髪に似た毛束が揺れている。
「うん、ただ管がくっ付いてるだけだと不自然だからと、父さんが毛を生やかしてくれた」
「……すっ」
メンタマを剥いたままのパサが何か言おうとしている。
「……す?」
それにオウム返すイヲン。
ふたりして口を窄める。
「すっごーーーーい! イヲンのお父さん!! 発明王!? 天才!! 売ってたらアタシ買っちゃう! お金あんまし無いケド!」
パサは目をキラッキラさせている。それからしばらくはイヲンの後ろ頭からスッポンスポン! と着けたり外したり、結んで開いて、その便利道具を堪能していた。
パサの感嘆シャワーを浴びてすぐは目をぱちぱち瞬いていたイヲンだったが……。次の瞬間。
今度こそ、「気がした」では無く彼は確かに目を細めて口の端を僅かに持ち上げていた。フンワリと、笑った。
興奮して騒いでいたパサはもちろん見逃してしまったけれど。
そうしてイヲンの表情の変化にも気付かず騒いでいたパサだったが、興奮も収まった頃、それにしても、とパサは再びまじまじ彼を観察してみた。
やっぱり着痩せ具合がハンパ無いわ。わざわざ細く見えるように黒いの選ばなくても良いのに……。ハァ、モッタイナイ。
――――こんな感じで、以前より更に打ち解けた感じのふたりだったけれど……その後もイヲンはやっぱり口数多くはなくて、でも、パサは全然気不味くなんてなかった。
彼の服が乾くまでのんびり続けたお喋りは、彼女にとってはとても有意義な時間に感じられたのだ。
少し前に心の中で諍っていたものが、滓になって残ってはいても。