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[Die erste Nacht]『アイナ』――光陰の潜む街 2

[2]

 ――十八世紀半ば。

 三方を山脈に囲まれた東欧のとある地方アイナヴィリスナートに、その街はあった。

 アイナの街(Stadt von INAH)。北方にある、起伏に富んだ街の景観の中でも飛び抜けて背の高い崖、その上に立つ古城が歴史を感じさせる、古い街だ。

 歴史を感じさせるものは他にもあって、例えば、現在アイナヴィリスナート総督邸となっている広大な屋敷もそうだし、街中を少し歩けば、年季の入った橋や塔や教会が散見される。

 ――だが、何と言っても一番の象徴は、街の中央の小高い丘に立つ『学院』だった。

 十五世紀。その場所には、小さな教会があるだけだった。しかしある時、都市の守護者として一人の司祭が招聘されてから、その場所は大きく様相を変えた。

 まず、教会が改修・増築され、大聖堂と呼べるまでに豪奢なものへと姿を変えた。

 次に、時のアイナ領主マティアス・フニャディの末娘、ベアトリクス公女の提唱により、『ベアトリクス=アイナ女子修道会』が設立され、同時に、大聖堂に併設する形で修道院が建てられた。

 そして時代が更に下ると、今度は『ベアトリクス会』で育まれたアイナ独自の神学をアイナ市民に伝えるため、神学校の設立が求められた。

 最終的に、大聖堂、女子修道院、女子神学校、寄宿舎を集合した、巨大な修道・修学施設が生まれ――それは広く、『学院』と呼ばれることになる。

 正式名称は、聖ダヴァンツァティ修道学院。アイナ神学の祖にして、アイナの守護聖人たる、聖エイブラハム・ヨハネス・ダヴァンツァティ神父に因んだ名称だった。

 ――そして、現在の学院長を務めるのが、ラピニール・マリア・フェアシュタント。若干三十四歳にして、この歴史ある学院の長を務める才気煥発な女性である。

 彼女は、ほぼ生まれついての修道女であったが、娘が一人在った。と言っても、それは彼女自らが産んだ子ではない。つまりは、養女である。

 養女の名は、リリス。……キリスト教に於いて、禁忌とされ得る名を持つ少女を、されどシスター・フェアシュタントは、心から愛していた――


                † † † † †


「……さて」

 ぴかぴかに磨かれた机の上で手を組みながら、凛とした声音で仕切り直すように義母――ラピニールは言った。

「っ……はいっ……!」

 びくりと背筋を伸ばしたのは、他でもなく黄金色の少女――リリス。

 そこは、院長室である。清貧を旨とするカトリックの施設らしく、華美な装飾品こそ並んではいなかったが、それなりにセンスの良い本棚や上着かけ、聖者が悪魔を退ける様を描いた宗教画などが設えられていた。

 そんな落ち着いた室内にあって、リリスの落ち着かなさ加減は、一種異様であったかも知れない。

 ラピニールもそんな娘の姿に呆れたのか、一つ嘆息して語気を和らげた。

「……リリス、何をそんなに緊張しているの。別に怒ったりはしないから、少しは肩の力をお抜きなさい」

 そんな言葉に、リリスは信じられない思いで眼を丸くした。

「へ? え……いいの? てっきり居眠りを怒られるものだとばかり……」

「普段ならば勿論そうですが、今は特別です」

 言ってから、ラピニールはコホンと一つ咳払いをして続けた。

「……貴女、近頃少し無理をしているのではないかしら」

 多分に心配げな、その言葉。

「――……」

 リリスは少しだけ俯いて、思いを巡らすようにそっと眼を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、半月ほど前から度々街で起きている、とある奇怪な事件。


 ことの発端は、街の各所で異様な変死体が発見され始めたことだった。遺体はどれもが血を抜かれ、まるでミイラのように干からびてしまっていた。

 ――そして、その首筋には、穿たれた二点の傷痕。

 それは、誰の眼から見ても真っ当な『ヒト』による犯行ではなかった。

 しかし、発展目覚ましいこの十八世紀の世の中で、警吏たちとて、いつまでも迷信に振り回されるわけにはいかない。彼らはそれが『ヒト』の犯行であると信じて、警吏隊の総力を挙げて必死の捜査を行った。

 ……が、結局犯人の検挙には至らず、それどころか、警吏自身が被害者となるケースすら報告されるようになった。

 それだけではない。アイナヴィリスナート総督子女のバースデイを数日後に控える今になって、まるで何かを訴えるかのように、干からびた死体が総督邸敷地内に投げ込まれると言う事件が起きた。

 事ここに至り――警吏たちは、とうとう膝を突いた。

 怪奇な出来事を治めるには、その道の専門家に依頼するより他にない。それは火薬と銃器の発展する現代に於いても変わらない。そして、こと西欧・東欧に於いて怪奇と相対するに最も適した勢力は教会に他ならず、それはこのアイナでも同様だった。

 相談を受けたのは、今眼の前にいる彼女――聖ダヴァンツァティ、そしてベアトリクス公女の意志を継ぐ、シスター・ラピニール・フェアシュタントに他ならない。元より事態の深刻さを察していた彼女は、即座に名のある専門家を招聘しようと考えた。

 だが、それを咎めた者がいた。他でもない。義母の迅速で賢明な判断を妨害したのは――リリス・ミヒャエル・セインティア。彼女自身だった。

 何故か。それは、彼女自身がその専門家――教会内に於いて、『聖徒セイント』と呼称される、特殊な能力をその血に宿した存在であったから。


 愛娘の願いを聞き入れ、一時自身の判断を保留したラピニールだったが、しかし彼女には、けして小さくはない懸念があった。

「……この十年、貴女の成長を見守って来たのは他でもなくわたくしです。だから、戦いたいと願う貴女の気持ちは誰よりも良く分かるつもり。

 それに、その見事なまでの黄金色が示す通り、貴女に秘められた力の大きさは疑いようがない。素養だけを考えれば、貴女の意志も間違いではないわ。

 けれど、それでも、教会所属の『聖徒』ではなく、あくまでもフリーランスである貴女には、専門的な修行経験がありません。

 ……わたくしが至らなかった部分はあります。わたくしは、貴女のように肉体的には恵まれていなかったから、実戦に身を置けるような『聖徒』ではなかった。理論を教えることは出来ても、貴女の手本となることが出来なかった。

 だからこそ、思うのです。やはりここは、経験のある『聖徒』を招聘し、その方に全てを任せるか、指示を仰ぐべきなのではありませんか?」

 そんな母の言葉に、リリスは首を振った。

「……お義母さまの言われることは、良く分かる。

 確かに私には、実戦経験と呼べるものがない。こと、物理戦闘に関しては修行も独学。……無理をしていると言うのも、そうかも知れない。

 居眠りをしてしまったのも、毎晩の夜回りに加えて、毎夜何の成果も上げられない自分にどうしようもない焦燥を感じて、眠れない日々が続いているから。……けれど、だからこそ、私の力で何とかしたい。

 ……私は、産まれた土地を故郷とは呼べない。家のことも、両親のことも、何も覚えていないから。だけど、十年前お義母さまと共に渡って来たこの街を、私は愛してる。故郷と呼べる場所があるのなら、きっとここなんだと思う。

 私は護りたい。この愛すべき故郷を。故郷一つ護れなくて、何のための力なの?

 ……きっと、天国の両親も、私が戦うことを望んでる。私が勝つことを望んでる。『闇の魔獣(ヴァンパイア)』を討つことを、望んでる。

 だからお願い。……私は、戦いたいの。亡き両親の意志を継ぐ――『闇 の 狩 人ヴァンパイア・ハンター』として」

 故郷のために――そして、自らと、亡き両親の誇りのために。

 噛み締めるように、淡々と告げられた言葉。しかしそこには、けして揺らがない『狩人』としての確かな決心が伺えた。

 ラピニールは今一度嘆息すると、苦笑混じりの、されど多分に慈愛を含んだ笑みを浮かべて言った。

「……分かりました。もうしばらくは様子を見ましょう。けれど、貴女の身が本当に危険だと感じたら、もう待ちません。貴女を寝台に縛り付けてでも、大人しくして貰います。……だから。けして無理はしないで――……でも、頑張ってね……リリス」

 厳しくも、暖かな言葉。そこには、血の繋がりなど超越した、確かな娘を思う母の想いが溢れていた。

 そんな義母の言葉を噛み締めてから、リリスはゆうるりと眼を開けた。

 ――その刹那。

「……あ、それはそうと――セインティアさん。貴女に居眠りの罰としてレポートの提出を命じます。題目は、『光と闇、その定義と考察』にしましょう」

「……は? って、お義母さま? 怒らないってさっき……」

 ふいな義母の言葉に、リリスは表情を強張らせて顔を上げた。

 果たしてそこには、満面に笑みを広げた学院長の姿があって。

「怒りはしないと言ったけれど、罰は罰ですから。期限は……そうね、事件が一段落するまでは、待ってあげてもいいかしら。頑張ってね、セインティアさん?」

 にっこり、と。

「うっ……うぅ……こっ、この悪魔ぁ~っ……!」

 そう恨めしそうに叫ぶ娘に対しても、シスター・フェアシュタントの聖女の笑みが崩されることはなかった。




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