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[Die funfte Nacht]『セインティア』――光輝の行方 5

[5]

「……大丈夫か?」

 まるで先刻と同じように、ファウストはそう尋ねてきた。

「? 何が?」

 何のことか分からなかった。いや、むしろ案ずるべき事柄の方が多かったから、特定出来なかっただけかも知れない。

「恐怖はないか、とな」

 その言葉に、リリスは苦笑した。確かに、心配されても仕方ない。初めて出会った夜は勿論、ほんの数日の間に、どれだけ不甲斐ない姿を見せて来たのか分からない。

「そうね、怖いはずなんだけど。不思議と落ち着いてるわ」

 それは嘘ではなかった。この男の腕の中にいると、鼓動が高鳴るけれど――より以上に、不思議と安らいだ気持ちになる。天鼠の少年が言っていたのと同じ気持ち。そして同時に、自らの視野が広がったような、大きな自信をも感じるのだ。

「それは何よりだ。しかし、油断はするなよ」

 苦笑を交えながら、ファウストが言う。

「気力の充実は恐怖心を打ち消すが、慎重さをも忘れさせる。奴の力が弱まったわけでも、お前の地力が劇的に増したわけでもない。それを忘れるな」

 リリスは、その言葉の意味を噛み締めながら、しっかりと頷いて見せた。

「ええ、もちろん。奴は、このアイナで――そしておそらく、近隣の集落でも。それこそ、数え切れないヒトビトの血を啜ってきた。それだけ、『魔力』も増大しているはず。それを忘れるほど、愚かではないつもりよ」

 だが実際、そのメカニズムについてリリスはよく知らない。「吸血鬼」が活動するには人血が必要で、吸血を繰り返すほどに強力になっていく。そんな、誰でも知っているような民間伝承に毛が生えた程度の知識しかない。

 ただ仇敵と闘争していれば良いだけだった少女にとって、それは無用な情報だった。無駄な知識だった。学ぶ必要のないことだった。

 ――けれど、今は違う。それがどんな分野のどんな情報であれ、知らないことが多いと言うことがどれだけ危険であるか知っている。それが未熟さの証明であると言うことを知っている。

 だが……今は、尋ねている暇もない。いずれ、教わる日も来るだろう。教えてくれる日も来るだろう。それをじっと待つのも、一興だと思った。

「――よし。ここで捕らえよう。森へ逃げ込まれると空からの追跡が困難になる」

 地上を睨みながら、ファウストが言った。

 アイナ郊外。いよいよ、暗い森林地帯へと差し掛かろうとしていた。

「獲物に縄を掛けるのは『狩人』の仕事だ。……出来るな?」

 問われて、少しだけ逡巡する。けれど、すぐに理解した。

「……ええ、任せて」

 言うと、地上の闇を駆けるケモノへと手を差し向けた。紡ぐ『聖句ことば』は決まっている。

「――父と子と聖霊の御名に於いてミヒャエル・セインティアが願い奉る。狩猟の守護聖人フーヴェルトゥスよ、我らが主に仇なす者へ聖なる戒めを与え給え……!」

 聖女の手から光の縄が伸びて行く。それは文字通りの光の速さで闇を分断し、間もなく獲物の元へと達する。蛇の如く首元に絡み付き、きつく締め上げる聖なる捕縄。

 けれど、それは止まらない。

「っ……! アルっ! だめ、止まらないっ!」

 猛烈な力に引っ張られ、思わずファウストの体から手が離れかける。

「大丈夫だ、落ち着けセインティア」

 咄嗟にリリスを支える手に力を込めながら、ファウストは諭すように言った。

「傷付けることは出来ぬやも知れぬが、お前ならば奴の戦闘力を制限することが可能なはずだ」

「っ……どう言うことっ……!?」

「我々アウトサイダーの戦闘力と言うものは、全て体内を循環する『魔力』によって増幅されている。特に、ヴァンパイアやノスフェラトゥの『魔力』は基本的に無尽蔵だ。条件さえ整えば、無限の力を得ることが出来る。――しかし、その無限に湧き上がる闇も、同等の陽光で照らしてやれば、どうなるか」

「! そうか、分かったわ!」

 ハッとして声を上げる。そうして、一度唾を飲み込んでから、その『聖句』を告げた。

「父と子と聖霊の御名に於いてミヒャエル・セインティアが願い奉る! 公正の守護天使ミヒャエルよ、戒めの捕縄に神の慈悲を与え給えっ……!」

 瞬間、その輝きを増す光の捕縄。既に森の中へ逃げ込んでいた獲物の姿は見えなかったが、彼方の闇の中から、ぎゃあ、と言う呻きが聞こえた。

 同時に、捕縄へ掛かっていた負荷が消える。

「やった!」

 ほっとして、思わず声が漏れる。

「よし、降りるぞ」

 満足げに頷くと、ファウストはリリス共々地上へと降下した。

 眼前には、月の光も通さない鬱蒼とした森。光の縄を手繰りながら、奥へと進む。

 やがて、闇の先に、木々の隙間に、今や光の塊となった獲物――ノスフェラトゥの姿が現れた。

「っ……」

 ごくり、と思わず唾を飲み込んだ。

「……怖いか?」

 問われたが、そうではない。

「……いいえ。ただ、私の『聖徒祈祷法』を受けて、本当に斃れないアウトサイダーがいるなんてね。……分かっていたことだし、己を過信しているわけではないけれど……少し、ショックなの」

 軽くかぶりを振りながら答えたリリス。ファウストは気遣うように軽く髪を撫でた。

「それでも、動きは完璧に封じている。……上出来だ」

「……うん」

 頷いて、リリスは再び歩みを進める。

 あとほんの数歩と言う距離までやって来た時、ようやくノスフェラトゥは顔を上げた。

「――小娘がぁ……」

 憎々しげなその言葉。けれど、全身を黄金色の輝きに拘束され、無様に蹲るケモノに、それ以上出来ることなどない。

「……観念しなさい。大人しくすれば、苦しまないように葬ってあげるわ――って、これ、アルの台詞だったわね」

 なんて、戯けて見せる余裕すらリリスにはあった。

 それが腹立たしかったのか、

「――がああああああああああああああッ……!」

 そんな絶叫と共に、ノスフェラトゥは力を振り絞って立ち上がった。同時に振り上げられる豪腕。

 咄嗟に身構えるリリスとファウスト。

 ノスフェラトゥの動きは素早い。

 ……しかし、それがリリスを捉えることはなかった。拘束されたノスフェラトゥのそれよりも、リリスのそれの方が上回っていた、と言うのもあるが、それ以前に、今のリリスには、ノスフェラトゥの動きを予測することが出来たのだ。

 ノスフェラトゥの豪腕が振り下ろされる寸前、その豪腕が数瞬後に描くであろう軌跡が、黒い『魔力』の帯として金の瞳に映った。リリス自身は無自覚であったが、それは限られた『聖徒』だけが覚醒することを許される、超感覚的知覚。それに従えば、ノスフェラトゥの攻撃を紙一重で躱すことなど造作もなかった。

「いい加減にっ……大人しくしなさいっ!」

 言うと、リリスは手にした手綱を勢いよく引き絞った。

 抵抗する術もなく、無様に下草の上へ這いつくばるノスフェラトゥ。

「ぐっ……人間ふぜい、がっ……」

 苦々しく呟くが、最早起き上がる気力も尽きたのか、体は投げ出されたままだ。

「……終わりよ」

 俯せに倒れ伏すノスフェラトゥを見下ろしながら、静かに呟く。

 もう心配は要らぬと思ったのか、ファウストも警戒を解いて、リリスの数歩後ろへ控えるように立っていた。

 しかし、動きを封じているとは言え、このノスフェラトゥは強力だ。外部からの攻撃では、こうして弱らせる以上の効果は期待出来ないだろう。

 ――だが、斃し方が分からないわけではない。むしろそれは、不器用なリリスには単純明快で分かり易い方法だ。すべきことは、『魔力』生成の中枢である心臓へと楔を打ち込み、それを触媒に直接体内へ『聖霊力』を放出すること。

 即ち、ノスフェラトゥの心臓に杭を打ち込めばそれで終わる。

 手にするのは、亡き父から受け継いだ金十字の短剣。子供の頃から玩具代わりにして来た、手に馴染む相棒だ。常に己の『聖霊力』を吸い上げ、魔を討つ力へ変えているのを感じる。リリスが手にしている限り、リリスの『聖霊力』が充実している限り、この短剣はどんな聖剣よりも強力な、最強の対魔の剣なのだ。

 この刃で、眼の前に這いつくばるノスフェラトゥの胸を貫けば、全て終わる。……いや、これが始まりなのか。リリスの長い『狩人』としての人生は、今日この時から始まるのかも知れなかった。

 戦いは終わらない。

 ……しかし、それでも。

 それを、感慨深く思わずにはいられない。

「…………」

 このアウトサイダーは強かった。それこそ、リリス独りでは到底敵わなかった。それどころか、初めて遭遇したあの夜に、リリスは殺されていただろう。

 ……そう。これはヒトを殺す「化け物」なのだ。人類を脅かす敵なのだ。一体残らず滅ぼすべき、人類の――『聖徒』の、宿敵なのだ。

 リリスの、セインティアの――両親の。


 ――許されざる仇、なのだ。


 ……自覚した瞬間。ぞわり、と。

 ――怒りが、湧いた。憎悪が、湧いた。

 こんな無様で醜悪な化け物に、父が、母が、殺されたと言うのか。父と、母と、己の人生を、めちゃくちゃにされたと言うのか。

 ……許せない。

 ……憎い。

 憎い、憎い、憎い。……殺してやりたい。


 ――殺して、やる。


 忘れていた怨嗟の声が、少女の心から溢れ出した。

 ――その時だった。

 ふっ……と、辺りが暗くなったように感じた。視界が狭くなり、体が重くなり、あらゆる感覚が鈍くなったように感じた。

 何が起きたのかに気付けたのは――眼の前で這いつくばっていたはずのノスフェラトゥが、何事もなかったかのように、眼前に立っていたからだ。

「……え?」

 だが、頭は上手く働かない。それが、そう言うことなのだと分かっているはずなのに、何も考えられない。体も動かない。まるで、あの夜のように。

「――セインティア!」

 悲鳴にも似た声が、背中を打った。

 ――そんな必死な声を出さないで欲しい。貴方は、どんな状況でも余裕たっぷりに、皮肉げな笑顔を浮かべている方が似合っているのだから。……そんな場違いなことが脳裏を過ぎった瞬間、リリスの体は、遙か後方へと引き倒されていた。

「――っ……!?」

 強かに背中を打ち付けて、声を出すことはおろか、呼吸すらまともに出来ない。

「っ……うっ……ごほっ……げほっ……! ――なん……なのっ……?」

 幾度か咳をして、眼を白黒させて、ようやく正気を取り戻す。

 そうして、彼女が眼にしたのは。

「――え……」

 一瞬、何が起こっているのか分からなかった。けれど、すぐに分かった。「彼」に肉薄していたノスフェラトゥがその豪腕を引いた瞬間、その手から紅いモノが散った。見れば、夥しい量の紅い何かが、ノスフェラトゥの腕を染めている。

 何か? ……そんなのは分かり切っている。ごまかしたところで、下草に滴り緑を朱に染めてゆくそれを、リリスは知っている。

 ――血、だ。

「アルっ!」

 今度はこっちが悲鳴を上げる番だった。慌てて彼の元へ駆けるリリス。

 ファウストに傷を負わせたノスフェラトゥだったが、未だリリスへの警戒は解いていないのか、ケモノの速度で飛び退ると、闇の中に紛れて姿を隠した。

「! アルっ……!?」

 リリスが到着すると同時に、ファウストは姿勢を崩した。慌てて支えてやりながら見やると、彼の腹部中央に、大きな風穴が空いているのが分かった。

 夥しい量の鮮血が、ぼたりぼたりと絶え間なく下草へと滴り落ちる。

「アルっ……こんな……酷い……っ……」

 思わず、そんな言葉が嗚咽混じりに漏れる。

 だが、ファウストはそんなリリスの肩を力強く抱きながら、

「っ……泣いている場合では、ない……とにかく、出来るだけここから離れ……一時、身を、隠すのだ……っ……」

 荒い息で、絞り出すようにそう言った。




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