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[Die Vierte Nacht]『フニャディ』――罪と罰 2

[2]

 アイナヴィリスナート総督子女のバースデイ・パーティーには、多くの来賓が訪れる。近隣の街や村の領主、有力な商家の者、フニャディ家の庇護を受ける各種技術者、学者、芸術家、その子弟など。

 また、学院で教鞭を執る教職者たちも自由に参加することが出来た。もっとも、教員と言えど修道女であるので、実際は一部の指導階級が挨拶に訪れる程度であり、煌びやかなドレスを身に着けることもない。

 例年であれば、その他にも中央からの参列者が多く訪れるところなのだが、今年は街で起きている事件のこともあり、多くはアイナに向かう途上で本国へ踵を返した。アイナ外からは、贈り物を携えた使いの者が来訪するに留まった。

 ――しかし、辞退した者たちの代わりを務めて余りあるゲストが一人、在った。

 ファウスト・アルカード特使伯、そのヒトである。飛び入りとは言え、国の要人である彼を宴に招くのは当然であったし、むしろ彼を招待することはホストとして大きな名誉であると言える。彼がそこに在ったのは、ごくごく自然な流れだったのだ。

 彼には三人の同伴者があった。傍仕えとしては最も位の高いヨシュアを筆頭に、あとはリーヴェにアベル。だが、リーヴェは従者として連れて来たと言うよりも、特使伯権限でゲストの一人としてねじ込んだと言った方が正しいだろう。

 地味な従者のなりでホールの隅に控えるヨシュアらと違い、リーヴェは他の貴婦人たちと同じように、煌びやかに着飾って人海のただ中にいる。ファウストの用意したドレスを身に纏った彼女は本当に美しく、ダンスの誘いを断るのに必死と言う風情だった。

 当のファウストであるが、こちらはいつもの時代遅れな外套を脱いでいるだけで、特に着飾ってはいない。いつものシックなフロックコートだった――が、それでも元が元の貴公子である。やはりこちらも、強烈に貴婦人たちの眼を惹く存在だった。

 だが、リーヴェとは違い、ファウストに声を掛けようとする女性はいない。何故なら、彼の傍には既に、いかな貴婦人とて近寄ることを許さない、神々しいまでの美しさを誇る美女が佇んでいたから。

 ――その女性を、リリスは遠くに眺めていた。

 彼女が気にならないわけではない。もっと近くで見てみたいと言う気持ちはある。けれど、近付くことは出来ない。それはそうだ。しれっとした顔で隣りに佇むあの男と、昨日の今日で笑って顔を合わせるなど、リリスには出来ない。

 ……ただ。こうして遠くから見ている限り、異常はないように思える。以前の――温もりすら感じさせた彼のように思える。

 今ならば、昨夜のことを問い詰められるかも知れない。……本当に聞きたかったことも。

 だが、そう考えては首を振る。今はまだ、だめだ。昨夜の鬼気迫る彼の姿が脳裏に焼き付いて離れない。とても、彼の眼を見て話すことなんて出来やしない。

 ……迷いを抱きながらも、けれど、遠くの二人から視線を外すことは出来なかった。

 ――そんなリリスの視線に気が付いたのか、人海の向こうの彼女がリリスの方へ顔を向けた。そうして、僅かに紅潮した顔で柔らかく微笑んでくる。優しげなのだが、どこか気恥ずかしげなその笑顔。何とも言えない違和感に、背中がむず痒くなってくる。

 そんなリリスの気持ちを知ってか知らずか、彼女は隣の男に何事か耳打ちすると、何のつもりか彼を伴ってリリスの方へ歩み寄って来た。

 ぎくりとして、リリスは思わず、手にしたグラスを取り落としそうになってしまう。慌てて姿勢を正すが、その間にも二人との距離はどんどん短くなってゆく。

 早鐘のように胸を打つ鼓動。それに押されて、無意識に一歩、後退った。

 その時だった。

「きゃっ!? ちょっとリーリエ、急に後退らないでっ」

 そんな、背後からの声。そっと肩を押さえる、か細い手。

 肩越しに振り返れば、この場の誰よりも煌びやかな姿をした、親友の姿があった。

「ルフィ……ティア」

 呆けたような声音を漏らすリリス。

 ルフィティアは嘆息混じりに苦笑した。

「大丈夫? 精気が抜けたような顔をしているわ」

 精気が抜けた――。事件のこと、或いは昨夜のことを考えれば、それはわりと洒落にならないブラックジョークだったのだが、今のリリスにそれを指摘する余裕などなかった。

「あ……れ? ……ルフィ、来賓への挨拶に登壇するんじゃなかったの……?」

 相変わらずの呆けた声に、ルフィティアは少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせた。

「まあ、リーリエったら、わたくしの挨拶聞いていなかったの? わたくしのつまらない挨拶なんて、疾うに済ませましたわ」

 ぷんぷん、なんて、大げさに怒って見せるルフィティア。それがおかしくて、少しだけリリスは正気を取り戻した。

「ごめんなさい、ルフィ。ちょっと……考えごとをしていたものだから」

 苦笑混じりの言葉に、ルフィティアは心配そうに眉根を寄せる。

「そう言えば、今日はずっと思い詰めた顔をしていたわね。……何か悩みがあるのなら、聞かせてはくれない?」

 だが、話せるわけがない。フニャディ家が招いた客の中に『人外のモノ(アウトサイダー)』が複数紛れていて、その内の一人に殺されかけました、などと。

 ……殺されかけた。おそらくは、それが真実。あの時の彼に理性はなかった。ならば、後に残るのは『闇の魔獣』としての本能だけ。殺戮を望む、魔性だけ。

 ――本当のことを言えば。話せなかったのは、ルフィティアやフニャディ家のためではない。ただ、「彼」が『そんなモノ』だなんて、口に出したくなかった。口に出してしまったら、誰かに話してしまったら、全てが終わってしまう気がしたから。

 だから、リリスは独り、口を噤んだ。誰にも何も語らなかった――敬愛する、義母にさえも。

「ううん、ごめんなさいルフィ、何でも――」

 何とかはぐらかそうと顔を上げたリリスだったが、

「――リリス?」

 そんな呼び声が、リリスに先んじて陰の差すその場の空気を霧散させた。

 振り返れば、そこには件の美女とヴァンパイア。少し気後れしつつも、リリスは何とか笑顔を作って彼女を迎えた。

「あ、えと……ご、ご機嫌よう――お義母さま」

 ぎこちない挨拶を返す我が子に、美女――シスター・ラピニールは、たおやかに微笑んで見せた。

 そう、それは他でもなく、リリスの義母にしてダヴァンツァティ学院長、シスター・ラピニール・フェアシュタントだった。

 だが、事情を知らぬ者が見たら、それが彼女だと、すぐには理解出来なかっただろう。

 顔立ちの美しさこそ皆が知るところだったが、その煌びやかなドレスは、彼女本来の慎ましやかなイメージとはあまりにも掛け離れていたし、大きく開いた胸ぐりから覗く豊満なバストはあまりにも蠱惑的で、とても聖職者の肉体とは思えなかった。

 そして、何よりヒトの眼を惹くのは、その流れるような美しい髪だ。黄金色に輝く、日頃は頭巾に隠され人眼に晒されることもない、希少な秘宝である。その美しさたるや、本場ネーデルラントの人々も裸足で逃げ出し兼ねない。

 ――血こそ繋がってはいなかったが、その美しい髪はリリスのものと良く似ていた。

「良かった、ようやく会えたわ。ずっと探していたのに、見付からなくて。リリスったら、何か悪いことでもしてわたくしから隠れていたの? ……なんて」

 相変わらずの上気した顔で、楽しげに話すラピニール。彼女らしからぬ、どこかはしゃいだようなその言葉は、どちらかと言うとリリスではなく、隣りで涼しげに笑っている男に向けられているようでもあった。

「存外、その通りなのかも知れませんよ、シスター。彼女はヒトの制止も聞かず、思いつきや感情のまま、無茶をするのが得意ですからね」

 しれっと、そんなことを言って退けるファウスト。まるで昨夜の出来事などなかったかのような振る舞いも手伝って、無性に腹立たしい。

 けれど。

「……ふんっ」

 結局は、そんな風に吐き捨てて、顔を背けることしか今は出来なかった。

 と、そんなリリスに何を思ったのか、ファウストは「ふむ」などと一つ頷くと、ふいに彼女へと歩み寄った。

「なっ、なにっ……!?」

 事情を知らぬ二人がいるのに、思わず警戒心丸出しで身構えてしまう。

 だが、緊張するリリスをよそに、ファウストは優しげな苦笑を浮かべて、言った。

「……そのように強ばった顔をするな、折角の綺麗なドレスが台無しだぞ」

 来賓としてこの場にいる以上、当然リリスもドレスを身に纏っている。そう華美ではないが、清楚なイメージのデザインは思いの外リリスに似合っている。纏めて結い上げた髪は多分に大人びて見え、その鮮やかな黄金色も相俟って、同年代の子女の中では一際眼を惹く存在だったろう。

 けれど、リリスはそんな自分の姿には無自覚である。

「悪かったわね、どうせ馬子にも衣装ってものですから」

 そんなことを、本気で思っているのだ。

 だからこそ――その言葉は、衝撃的だった。

「何を言う。私は、表情が残念だと言っているだけだ。笑顔でさえあれば、お前はどんな煌びやかなドレスにも負けぬ、眩き宝石だ」

 瞬間、何を言われたのか分からなかった。言われたこともなければ、言われることを想像したことすらない言葉だ。

 言葉と、意味が、繋がらない。

 だが、それが繋がるに連れ、やがてリリスの顔は赤く染まった。

「っ――ばっ、馬鹿なこと言わないでっ! 決まりだから一応着てるだけで、本当なら私、こんなドレスなんてっ……!」

 赤い顔で拳を握るリリスに、ファウストはとどめとばかり続けた。

「馬鹿なことがあるか。お前の浮かべる笑顔の前には、天の太陽すら顔を伏せよう。……それをここで見られぬのは残念だが――しかし、それでも良く似合っている。……綺麗だぞ、セインティア」

「――――」

 顔を真っ赤にしたまま、もはや言葉が出て来ないリリス。

「そうよリリス、とっても、とっても綺麗だわ。きっと、会場中の殿方が貴女を見ているわ。今も、皆さんダンスに誘おうと、うずうずしているのではないかしら」

 助け船のつもりだったのか、屈託のない笑顔でそんなことを言うラピニール。

 だが、半ば放心するリリスの耳には届かない。

「――それは、シスターが仰っても複雑な気持ちになるだけですわ」

 代わりに答えたのは、静かに成り行きを見守っていたルフィティアだった。

 苦笑混じりの言葉に、ラピニールはハッとして表情を改める。

「これはルフィティア様、ご挨拶が遅れて申しわけありません。お誕生日、おめでとうございます。ヒトビトへの感謝と愛が伝わる、素晴らしいスピーチでしたわ」

「おめでとう、ルフィティア公女。シスターの言う通り、堂に入った素晴らしい演説だった。貴女のような女丈夫がおられるなら、このアイナの将来も安泰だな」

 ファウストも続いて祝辞を告げる。

「ありがとうございます、シスター。アルカード様も――」

 ルフィティアは機嫌良く頷いたが、

「……ですけど、リーリエになさったようには、褒めて下さらないのですね」

 少しだけへそを曲げたように、ぷいと顔を背けた。

 だが、それが彼女のウイットであるのは誰の眼にも明らかだ。ファウストも、

「勿論、公女の美しさとて眼も眩むほどさ。然れど、元より公女はアイナの至宝。今更言葉にするまでもあるまい。違うかな?」

 などと、わけ知りな笑顔で宣った。

 淀みない余裕ある返しに、ルフィティアもにこりと笑う。

「まあ、本当に口のお上手なお方。そうやって、いったいどれだけの女性を泣かせて来たのでしょう」

「これはこれは、人聞きの悪い。もし私が女性を「泣かせる」とすれば、それは――いや、年若い女性の前で言うことではないかな」

 と、思わせぶりなファウストの言葉。

「? どう言う意味ですの?」

 如何な才媛と言えど、仮にも令嬢であるルフィティアには、ファウストの言葉の意味は分からない。

「さて、どう言う意味だろうな――なあ、シスター?」

「え? ……そ、そんなこと、わたくしに聞かないで下さいっ……!」

 意地悪な質問に、顔を真っ赤にするラピニール。

 ルフィティアはますます分からなくなって、

「まあ、お二人だけで理解なさって、ずるいですわ。――ねえ、リーリエ? いったい、どう言う意味なのかしら?」

 そう、未だ沈黙の続く友人に声を掛けた。

 その頃には、リリスも何とか正気を取り戻していた――が、元よりそんな質問には答えられるわけがない。

「しっ……知らないわよ、ばかーっ!」

 相変わらずの、いや、より以上の真っ赤な顔で声高く吐き捨てると、リリスは独り、何処へともなく駆け出した。

 ――それは、ただ気恥ずかしかったからじゃない。

 わけが分からなかったのだ。昨日の今日で、あんな顔をするあの男が。あんな飄々と、軽口を叩くあいつが。あんな笑顔で――あんな言葉を掛けてくれる、彼が。

 だけどそれ以上に、自分が分からない。あれほどに恐れていたのに、あれほどに悲しかったのに。今は、より以上の気恥ずかしさと――嬉しさで、一杯だった。

 彼が掛けてくれた、さっきの言葉を思い出すだけで顔が熱くなる。胸が熱くなる。胸が……痛くなる。

 後ろからルフィティアが追ってくるのが分かったけれど、足を止められない。振り返れない。

 だって――とてもヒトには見せられない、無様な顔をしていると思ったから。




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