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[Die Vierte Nacht]『フニャディ』――罪と罰 1

[1]

 それは突然の出来事だった。

 長らく平和であったアイナの城に、怒号と悲鳴が響き渡った。

 剣を抜く城詰の兵たち。彼らの取り囲むその中心にあったのは、血に濡れた『ドイツ式両手剣』を握りしめるヴラド・ドラクレア。

 傍らには、毒々しい鮮血にまみれ、倒れ伏すエリザベータ・ドラクレア。

 兵を率いるは、マティアス・フニャディ男爵――後に、アイナの統治者となる、アイナ・フニャディ家の始祖たる人物だった。


 ――マティアス卿の残した手記に因れば、事の顛末は次の通りである。

 ヴラド・ドラクレアは、その出生ゆえに種々の植物類に通じ、アイナ伯夫に収まってからと言うもの、この地が東西交通・通商の要地であることを利用し、西はブリテンから東は中央アジアに至るまでの、異様猥雑な草花・呪術植物の蒐集に没頭していた。

 そんな状況をただ一人、マティアス卿だけは危惧していたのだが、しかし彼の危惧も空しく、ヴラドの蒐集癖は留まるところを知らず、彼はやがて、手に入れた呪術植物を用いた魔術研究に傾倒してゆくこととなった。

 事件が起きたのは、それから幾らかの月日が過ぎた頃だ。魔術に手を染めた者の末路であったのか、ある日ヴラドは乱心し、かつて残虐なる悪魔からこの地を救ったその剣で、最愛の妻であったはずのエリザベータ女伯の胸を刺し貫いたのである。

 その現場を偶然にも発見したマティアス卿は、エリザベータ女伯にも引けを取らない判断力と統率力を以て、即座にヴラドを包囲すると共に、彼の共犯であったドラクレア家の公子と、彼らに味方する佞臣どもの掃討を命じた。

 マティアス卿の迅速な判断により、彼らの凶刃が民衆に振るわれることもなく、無用な血が流される前に事態は収拾された。

 街を救ったマティアス卿は、民衆はもちろん本国からも英雄として賞賛を受け、間もなくアイナ伯に封ぜられる。そして彼は、当時高名な『聖徒』であったエイブラハム・ヨハネス・ダヴァンツァティ神父を、呪われた街の守護者として招聘した。

 それから凡そ三百年。アイナは、歴史に名を残す二人の狂人によって『悪魔の眠る街』と囁かれながらも、フニャディ家の治世の下、長らくの繁栄と平和を享受することとなったのである――


                † † † † †


 アイナ公女ルフィティア・フニャディが、カインと言う青年に出会ったのは、今からおよそ一月前。世間がまだ、猟奇殺人の恐怖に包まれてはいなかった頃のことだ。

 父の名代として山向こうの街を訪れたルフィティアは、その帰り道、山道でならず者に襲われた。護衛の兵は幾人も付いていたが、見晴らしの悪い場所で奇襲をかけられたせいか、不運にも彼らは全滅してしまう。

 ルフィティア一人が取り残され、絶体絶命と言うその時――彼が、現れた。

 眼付きの鋭い、黒髪の青年。まるで生涯を戦場で過ごして来た兵の如く、何者も寄せ付けない、刺々しい殺気を身に纏っていた。

 人助けとは無縁そうなその風貌。けれど彼は、ルフィティアが窮地と見るや、彼女が助けを求めるよりも早く、周囲を取り囲むならず者たちを一人残らず薙ぎ倒してしまった。

 そして、ルフィティアが御者をも失っていることを見て取ると、自ら手綱を取った。口こそ達者ではない彼だったが、手綱の方は器用に操り、それこそフニャディ家お抱えの御者にも劣らぬ手綱さばきで、ルフィティアを安全に屋敷まで送り届けたのである。

 一連のカインの行動に感動したヤーノシュ・フニャディ伯は、寄る辺のない彼を好待遇でフニャディ家の従僕として迎えると共に、ルフィティアが外出の折には、専属の御者兼護衛の役を与えることとした。

 ――そうして、現在に至る。

 カインは、その第一印象の通り、他人を寄せ付けない孤高体質の青年だった。日頃何を考えているのかも分からなかったし、ルフィティアを助けた真意にしても分からない。

 けれど、ルフィティアは不思議と彼に惹かれていた。もしかしたらそれは、ミステリアスなものに憧れる、思春期の少女特有の危険な感情であったのかも知れないが――けれど、彼の自分を見る瞳が、どこか優しいようにも感じていたのだ。

 ――だから。眠れぬ夜は、ついつい彼の姿を探してしまう。

 そのアウトローな外見とは裏腹に、彼は書を読むことを好んだ。特にルフィティアの就寝後などは、屋敷内の図書室に籠もることが多かった。

 期待を胸に足を向ければ、果たして、今宵も彼はそこに在った。

「――本当に本が好きなのね、カイン」

 灯りを片手に、ルフィティアは暗い室内へ声をかけた。

 蝋燭の頼りない光に照らされた精悍な眼差しが、彼女を振り返る。

「……こんな夜更けに一人でうろつくとは……不用心だな」

 つまらなそうに呟くカイン。

 その口調はとても主人に対するものではなかったが、ルフィティアはその飾ることのない彼の言葉が好きだった。

「大丈夫よ、お屋敷の中だもの」

「……それが不用心だと言っている。……敵がいつも、外にいると思うな」

 気楽に答える公女を窘める言葉。それは、護衛役ゆえの責任感なのだろう。

 ルフィティアは自らの軽率さを少しだけ恥じた。

「そうね……ごめんなさい、カイン。わたくしに何かあれば、あなたの責任になってしまうものね。……でも、今夜は何か胸騒ぎがして……どうしても、眠れなくて」

 そう言って決まり悪く苦笑する若き主人に、カインは諦めたように嘆息した。

「……俺の立場などはどうでもいい。……眠れないのなら、ここにいろ。……眠くなったら……部屋まで送る」

 必要最低限の言葉を、完結に綴るカイン。

 ぶっきらぼうな優しい言葉に、ルフィティアは破顔した。

「ええ、ありがとう、カイン……!」

 満面の笑みで頷いて、ルフィティアは彼の隣のイスに腰を下ろす。

 屋敷内の図書室は、学院のものに比べればけして大きいとは言えなかったが、それなりの数の蔵書を擁してはいた。

 特にアイナの街の歴史資料に関しては、民官問わず様々な形態で、フニャディ家以来の三百年近くに渡る詳細な記録が集められている。

 とは言っても、現代に於いてはその多くが無用のものであって、わざわざ手に取ろうと思う者は少ない。ごく希に、土地建物の所有権などの争いが起きた際、根本を調べるために役人が書架をひっくり返すくらいのものである。

 しかし、カインはそんな、街に長く住んだ人間すら気にしなくなった歴史にこそ興味があるようだった。フニャディ家が記して来た正規の記録を始めに、民間の著述家による断片的な手記を経由して、今はどこから発掘して来たのか、約三百年前の日記らしきものを辞書など片手に読み耽っている。

「……面白い?」

 炎が照らす凛とした横顔を眺めながら、気が付けば、思ったことが口を衝いて出ていた。

 カインはルフィティアに顔を向けようとはしなかったが、声は聞こえていたらしい。

「……どうだろうな」

 つまらなそうに、言った。

「果たして面白いのか……腹立たしいのか――……いや、やはり滑稽なのか」

 カイン自身、掴み兼ねるように漏らす。

「……ルフィティア公女。ヒトの本質とは、何だと思う……? この世の真理とは……いったい何だ……?」

「それは――」

 それは、愛である――そう言いかけて、ルフィティアは口を噤んだ。主の教えに従うのならば、それは疑いなきことだった。けれど、カインの横顔を眺めていると、何故かそんな判で押したような答えを吐く気にはなれなかった。

「……この世の真理とは、本当に愛なのか……それとも――」

 ……それとも。

 その言葉の先に何が続くのか。

 ――ルフィティア・フニャディには、分からなかった。


                † † † † †


 ヤーノシュ・フニャディには分からない。

 先祖の行いが正しかったのか。

 自らの判断が正しいのか。

 何が正しくて、何が間違っているのか――

「……ラドゥ、私は何を護るべきなのだろうか」

 執務室の窓から、愛するアイナの街並みを眺めながらヤーノシュは問うた。

「……難しい、ご質問です」

 苦い顔をして、背後に控える側近は顔を伏せる。

 立場上、彼が何も答えられないことくらい分かっている。ヤーノシュは嘆息して、独り続けた。

「……我がフニャディ家は、代々、家名と領地と権利を護るために、仕える国を変え、ヒトを変え、時には独立を果たしながら今日まで生きて来た。当然、これからもそうして生きるのが、簒奪者たる我ら一族の宿業だと私は信じて来た。……だが、分からなくなった。私は何を護るべきなのか――私は、何を護りたいのか」

 そこまで言うと、ヤーノシュは押し黙った。

 そうしてそのまま、無言の時が過ぎる。

「……ヤーノシュ様」

 見兼ねて声を上げたのは、他でもなく長年仕えた忠臣だった。

「お気持ちはお察ししますが、明日はお嬢様のバースデイで御座います。既に近隣諸侯などには祝賀会の招待状を出してしまっておりますし、準備の方も着々と進んでおります。……どうぞ、笑顔でお嬢様を祝って差し上げて下さい」

 言うと、ラドゥは恭しく頭を垂れた。

 それは、彼の気遣い以外の何物でもなかった。正直、パーティーなど開いている気分ではなかったが、しかし、忠臣の気遣いを無下にするわけにもいかない。

「……ああ、そうだな」

 そう言って、ヤーノシュはラドゥを振り返った。

「我が最愛の娘の誕生日だ。亡き妻の分も……心からの祝福を与えてやらなければな」

 そう言って、悩める領主は優しげな父の顔をして見せた。

 ラドゥも、ほっとしたように笑顔を見せる。

 ……だが、何も解決していないことに変わりはない。

 ――期日は、明日である。

 果たして、無事に明日を越えることが出来るのか。……越えたとして、自らの護るべきものを、正しく護ることが出来るのか。

 不安の中で、ヤーノシュは無意識に手の中の文を握り締めた。

 憎悪が湧く。負い目があるのは分かっている。詫びねばならぬ罪があるのは、重々承知している。領地も、民も、娘も、自らも――道理を考えるならば、差し出して然るべきなのだ。反論など出来る立場にはない。そんなのは、あまりにも虫が良過ぎる。

 ……それでも。

 その名を、憎く思わずにはいられなかった。

「……ファウストゥス・ドラクレア」

 ――高貴なる、その名を。




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