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腕をもがれた仏

 

「それで次の日にソリアとベアタはきたのですか?」

 僕は訊いた。

「もちろん来てくれたさ。翌朝、目覚めた私はカフェへおりて前の日とおなじようにコーヒーとフランスパンのサンドイッチのモーニングセットを頼んだ。甘い物はあまり好きではないのだが、疲れていたのだろう、体が糖分を欲しがっているようだったからコーヒーに練乳をつけてもらった。コーヒーのなかに練乳を入れ、よくかきまぜてから飲むのが東南アジア式なんだ。甘ったるい味でコーヒー飴みたいだったが、それはそれでおいしかったよ。布施を求める少年僧の姿をぼんやり眺めていたらすこし心が和んだ。たまたまカナダ人の女の子と相席になったのだが、彼女はNPO法人の職員になって地雷除去をしているそうで、カンボジアの農村での地雷除去の話を聞くことができた。青い瞳にきれいな栗色の髪をした女性だった。

 カンボジアでは内戦の間に六百万ともいわれる地雷が埋められた。ポル・ポトは地雷のことを『完璧な兵士』と称賛していたそうだ。文句も言わずに敵をやっつけるから、当然だろうな。内戦が終わってからずいぶん経った今でもまだ相当な数の地雷が埋まっていて毎月何百人もの犠牲者が出る。カンボジアの大地に埋まっている地雷のほとんどは対人地雷といって、足だけを吹き飛ばすようにできているんだ。ひどいものだよ。足を奪われた人間は当然、戦闘に参加する兵士にはなれない。つまり、敵の兵力が減るわけだ。さらに足が不自由になった人間は満足に農作業もできないから敵の生産力も減る。周囲の人々はその人を養わなければならなくなり生活水準をあげることはむずかしくなる。こうして何重にも敵の戦力や経済力を削ぐように考えて作られた地雷なんだ。

 ところで、地雷探知機を使って一日がかりでどれくらいの面積の地雷を取り除くことができると思う?」

「さあ、見当もつきませんけど、サッカーコートくらいですか?」

「そんなにはむりだ。せいぜい畳六畳分くらいだそうだ」

「たった六畳分ですか。六百万の地雷だなんて除去するのにものすごい時間がかかってしまいますね」

「十年、二十年では終わらないだろうな。しかもせっかく地雷を除去しても、土砂降りの雨が降り続く激しい雨季の間に泥流が流れこんで、それと一緒によそから地雷が流れついてしまうそうだ。だから、一度きれいにしたからといって安心はできない。雨季が終わればまた一から地雷を探して取り除かなくてはならない。気の遠くなるような作業だ。ポル・ポトが解き放った悪霊が地雷に姿を変えて、今もカンボジアの大地に眠っているのだよ。

 カナダ人の彼女が去り、ひとりで日記を書いているうちにソリアとベアタがやってきた。ソリアは昨日と同じように活発そうだ。ベアタはソリアの後ろへ隠れるようにして恥ずかしそうにしていたよ。

 お寺参りする前にソリアの家へ行こうというので連れていってもらうことにした。一〇〇ccのバイクに三人乗りさ。ソリアが運転して、その後ろにベアタが乗って、私がいちばん後ろに坐った。ソリアは大通りをすいすいすり抜ける。どうも前になにかがあると追い越したくなる性質のようで、自転車やバイクや三輪荷車を次々と抜かしていった。バイクは市街地を抜けて田園地帯を走る。田んぼにには水牛がのんびりと坐っていたりしていた。どういうわけか田んぼの真ん中に椰子の木がそびえていたりする。木陰を作ると稲の生育にあまりよくないと思うのだが、なにか理由があるのかもしれない。私は太腿でしっかりバイクを締めつけて落ちないようにして、それから手を広げた。掌や腕にあたる風が心地良かったよ。ベアタは幼子のようにソリアにしがみついたままだった。かわいらしかったね。

 ソリアの実家は農家だった。木造の高床式の家さ。床下には農具がしまってあって、その上に人が住んでいる。庭先に鶏と鴨が走り回り、裏手に回れば豚小屋と水牛小屋があった。土と肥料の匂いが漂っていた。私たちが到着したちょうどその時、農家の人たちが帰ってきた。朝の農作業が終わってこれから食事だという。私はソリアの両親に挨拶をして、梯子を上がって家のなかへ入れてもらった。

 部屋へ入った私はどきりとした。片隅で五歳くらいの男の子が遊んでいたのだが、右膝から下がないんだ。

『地雷にやられちゃったんだよ』

 ソリアが言う。

『外で遊んでいて、踏んづけてしまったんだ。去年のことさ』

『この近くにも地雷が埋まっているのか?』

『このあたりは大丈夫だけどね。この子はここからバスで二時間ほど行ったところの村に住んでいる親戚の子なんだ。うちで引き取ったんだよ。おいで』

 ソリアが手招きすると、男の子は嬉しそうにはにかみながらソリアに近づいた。ソリアは男の子に話しかける。男の子は好奇心に満ちた目で私を見つめた。きっと、ソリアが私は遠い日本からやってきたのだと言ったに違いない。私が英語で挨拶すると、男の子は恥ずかしがってソリアの後ろに隠れてしまった。

『子供も地雷の被害に遭うとは思わなかった』

 私は言った。

『けっこう多いんだよ。子供は走り回って遊ぶから踏みつけやすいんだ』

『気の毒に』

『命が助かっただけよかったよ。傷口が壊死して生きるか死ぬかだったそうだから』

 私はその子の将来を思うといささか暗い気分になった。それなりに生き抜いてはいくのだろうが、普通ではあれば背負い込まなくてもいい苦労をさせられることになるのは目に見えている。内戦が起きるというのはこういうことかと考えさせられたよ。次の世代までも戦争の禍根を背負わさせられるんだ。

 食事は長細い米と野菜や肉の炒め物だった。ありがたくいただいたよ。食事が終わってからソリアとベアタと連れ立って村の寺へお参りに行った。

 村の外れに大きな榕樹の木が二本生えている。榕樹の間の小道を入るとそこが寺だった。寺といっても塀で囲ってあるわけでもない。ただ、榕樹を目印にしてそこから先は寺の敷地という感じだ。境内には蜜柑色の袈裟を着た少年僧たちが七八人いて、箒で庭を掃き清めていた。庭を掃く箒の音以外はなにも聞こえない。ひっそりと静まった寺だった。小さな村だからみんな顔見知りのようで、ソリアとベアタは少年僧たちと挨拶を交わしていたよ。ソリアが私を日本人だというものだから、彼らは嬉しそうな顔をして私を見る。

『日本も仏教の国なんだって。僕は知っているんだ』

 少年僧の一人が言い、ソリアが英語に通訳してくれた。そんなふうに言われるとどこか後ろめたくなってしまう。日本の仏教は世俗化が進んで形骸化してしまっているからね。

『日本にもたくさんお寺があるよ』

 そう答えると少年は目を輝かせ、

『仏教の国はやさしいよね。日本はたくさんカンボジアを援助してくれているから、みんな感謝しているんだよ』

 と言う。ほかの大勢の国もカンボジアを支援しているのだが、日本に好意を持っていてくれているようで嬉しかったよ。彼らの素朴な好意を壊したくなかったから『そうだね』とだけ答えておいた。少年たちと話してみると自衛隊がカンボジアで道路を作ったりしたことはみな知っているようだった。海外援助といっても純粋なものではなく、その背後に様々な政治的思惑があるとはいえ、ともあれこうして感謝されるのはいいものだと思ったよ。少なくとも誰かの役に立っているわけだからな。

 お堂の前でソリアが用意してくれた大きな線香を焚いて、大きな鼎の線香立てに挿した。その横には人の背の高さくらいの小さな祠があって、小さな仏像が置いてある。その祠の屋根からはいつも水が流れる仕掛けがしてあって、屋根の端から水がこぼれていた。仏像には親指大ほどの小さな金箔がぺたぺたと貼り付けてある。ソリアはずた袋から小さなビニール袋に入れた金箔と細い竹の棒を取り出して渡してくれた。ベアタが楽しそうに金箔を某の先につけて仏の肩に貼り付けたので、私も見様見真似で金箔を貼り付けた。傍にあった柄杓で水を掬って仏へかけ、そして拝んだ。

 お堂の階段の前の両脇に象の石像と亀の石像が置いてあった。靴を脱いでお堂へ上がった。なかは広々としていたよ。村人全員をなかへ入れられるように作ってあるようだ。お堂の両側の壁には仏陀の生涯を極彩色で描いてあり、奥には黄金色の光り輝く大きな仏像が据えてあった。東南アジアの仏像はどれも金ぴかだ。日本の仏像はほとんどくすんだ地味な色をしているから、初めはとまどってしまうが、もとはといえば大昔に日本へやってきた仏像はみな金ぴかだった。日本へ伝来した仏像はそのうち金箔がはげて地色が出てしまい、そのほうが日本人の趣味にあうものだから地味な色のほうが主流になっただけのことでな。仏の顔は目も鼻も唇も大きくてカンボジア人のようだった。仏像の顔貌はその国の人に似るんだな。つまり、日本仏教があるようにそれぞれの国でそれぞれの仏教が花開くというわけだ。もちろん、そうなって当然なわけだが、こんなことも旅をしてみて初めてわかったよ。

 和尚が出てきた。痩せた老人だった。よく修行をされた僧侶だということは姿を見てわかった。瞳も肌も艶がいい。小さな体から柔らかな光がにじみ出るようだった。ソリアとベアタはカンボジア風に合掌する。私も和尚に向かって手を合わせた。

 和尚は私の顔見てよくきなさったという風に微笑み、手で丸い座布団を指して私たちを坐らせた。和尚は仏像へ向き直る。仏像の前にはいろどりどりの花を供えてあった。仏像の後ろはカラフルな色遣いで鹿野苑の菩提樹の森が描いてある。年老いた和尚は読経を始めた。

 カンボジアの言葉なのでなにを唱えているのかはわからなかったが、私は仏陀に祈った。呼吸を整えて心を鎮めると、かえって昨日のことが思いだされて胸が苦しくなった。無意識――仏教の言葉で言えばアラヤ識の底へ沈めて忘れようとした記憶が暴れ出したんだ。行き場のない、重苦しい、哀しい叫びが胸にこだまする。喉がいがらっぽくなり、肺を締め付けられるようだった。

 昨日言葉を交わした囚人の亡霊や赤い腕章をつけた少年少女の看守の姿が目の前でぐるぐる回り出す。激しい耳鳴りと頭痛がする。私は脂汗を流しながらじっと耐え、和尚の読経の声だけに集中しようとした。それしか私に救いの手を差し伸べてくれるものはなかったからな。そうして、彼らが成仏してくれることだけを、ただそれだけをひたすら祈った。

 ふつりと経を読む声がやんだ。眼を開けると和尚が私の顔をじっと見つめていた。彼の目には悲しみが宿っていた。耳鳴りと頭痛は治まったが、どうにもやりきれない重苦しい塊が胸にわだかまってた。

『業の深い方ですな』

 和尚は私に言う。もちろん、ソリアが通訳してくれた。

『昨日、私の心に抱えている地獄がトゥール・スレーン刑務所博物館で共鳴してしまいました』

『そのようですね。読経している間、私にも囚われ人たちの姿が見えました。あなたが苦しんでいることもわかりました』

『どうして彼らはあれほどまでに苦しまなくてはならなかったのでしょうか』

『なにかの因縁なのでしょうね。が、どういう因縁でそうなったのかは私ごときの智慧ではわかりません。ただそうなってしまったとしかいいようのないことなのです』

『それでもなぜと考えてしまいます』

『その問いかけはおそらくあまり意味がないでしょう。人間である以上、大なり小なり苦しまなくてはならないのです。我執や欲望といったものに囚われているかぎり』

『彼らは救われるのですか』

『発心さえすれば。苦しくとも自分の力で立ち上がるよりほかにありません。釈尊は教え導くことはできますが、彼らのかわりに人生を歩いてあげることはできません。私たちはただ釈尊の歩かれた道をたどるだけです。いつか釈尊のたどり着いた境地に到達したいと願いながら修練を重ねるよりほかに術もありません。囚われた彼らも同じです』

『失礼ながらずいぶんと厳しい意見のように思えます』

『あのような地獄を作り出したのは、彼ら自身であることをお忘れなく。そうして、私もまたその一人だったのです。すべては繋がっています。人々の業が寄り集まってある日突然暴走してしまったのです』

『あのような地獄を作り出した者たちこそ、批難されるべきだと思いますが』

『もちろんそうでしょう。ポル・ポトやクメール・ルージュは人々を罪へ走らせました。釈尊の対極にいる人たちです。私も、昔は彼らに対する憤りと許せない気持ちでいっぱいでした。ですが、彼らはこの世に溜まりに溜まった業を暴走させるきっかけを作ったにすぎません。重い罪ではありますが、この世の業がなくならないかぎり、いつかまた彼らのような輩が現れ、この世の人々が溜めた業を爆発させます』

『それをとめる手立てはないのでしょうか』

『ありません。この世の人々がみな仏になれば、そんなこともなくなるでしょうが。全体を救おうとしても土台無理な相談です。それよりも、あなた自身が救われることが肝要なのでは?』

『それはそうかもしれません』

『許せないという気持ちもまた我執です。できるだけそこから離れるようになさったほうがよろしいでしょう。あの悲劇は人々が悟っていないからこそ起きたのです。人にはみな仏性が備わっています。その気になれば仏になることができるのです。とはいえ、人はなかなか仏になれるものでもありません。悟っていないという悲しみをよくよく噛みしめる必要があると思います』

『悟っていない悲しみ……』

『そうです。昨日、あなたはさぞショックだったことでしょう。それはわかります。ですが、もしあなたが悟っていれば、このように囚われることもなかった。囚われは別の囚われを呼びこみます。それはあなた自身の苦しみを増すことでもあり、この世全体の業を増やしてしまうことでもあるのです。我執を捨てるようになさい。それしか解決の道はないのです』

 和尚は合掌して立ち上がった。私も合掌を返した。

 お堂の外へ出ても私は重苦しい気分のままだった。私の気持ちを察してくれてか、ソリアとベアタも黙りこくった。和尚がいうように『悟っていない悲しみ』はよく考える必要があるだろう。私自身、悟っていないからこそ、こうしてさまよっている。が、あまりにも突き放したものの考え方で救いがない。いや、救いはあるのだが、それが遠くにありすぎる。それにあれほどまでに強烈な地獄を出現させた責任を括弧に入れて個人の救済だけを説くのはなかなか納得がいくものでもない。もっとも、責任を問うという考え方は和尚が言った我執の道だ。私の思考は堂々巡りを繰り返した。

 ふと、ベアタが蓮の実を差し出してくれた。気がつくと私はお堂の裏手へ回っていた。私はベアタが剥いてくれた蓮の実を齧った。お堂の裏には膝の高さくらいの仏像が二十体ほど並べてあるのだが、そのどれもが傷ついていた。腕がもげたり、足を打ち壊されたりしていたんだ。

『これは……』

 私は仏像を見渡した。

『ポル・ポトが支配していた時代に壊されたんだよ。仏教はいらないってね』

 ソリアが言った。よく見てみると、どの仏も体の一部を失いながらも顔に微笑みを浮かべている。その時、私ははっとしたんだ。ポル・ポトが支配していた時代、カンボジア人ばかりでなく仏も苦難にあった。もしかしたら、仏が人間の身変わりになって打ち壊され、人を救ったことがあったかもしれない。いずれにせよ、仏は人々の傍にあって寄り添い続けていた。

 私は気分がすうっと軽くなるのを覚えた。和尚の言うように、仏が人を悟らせることはできない。悟るのは人自身だ。だが、仏は寄り添い続ける。それが釈尊が説法した意味なんだ。腕をもがれた野の仏が私へ向かって柔和に微笑みかけた。気のせいではなくて、本当にそれが見えたんだ。さっきまでいだいていた重苦しさがすっかり解けた。私はベアタが差し出してくれた蓮の実をいくつも口へ入れほおばった。私が野の仏の体をさすると、ソリアとベアタは嬉しそうに笑ってくれたよ」

「ショックを受けた須藤さんにも仏様が寄り添っていてくれてたのでしょうね。それで仏様が須藤さんをソリアとベアタとに引き合わせたような気もします」

 僕は言った。

「まったく私もそう思うんだ」

 須藤さんはそう言いながらデジタルカメラのボタンを押し、腕をもがれた仏様たちの写真を見せてくれた。腕をもがれ、顔が欠け、足を失った仏像が生い茂った草むらを背景にして写っている。どれも安らかな顔をした仏様だった。

「どうしてあんな地獄ができてしまったのか、今でもよくわからない。和尚の言うことが正しいのかもしれないし、もしかしたら仏性のかけらもない絶対悪が実在して、その絶対悪のなせる業なのかもしれない。が、いずれにせよ、人は生きてゆかねばならない。どんな酷いことがあったとしても、なにがあったとしても、生きなくてはいけない。今の日本だってずいぶん酷い世の中だから、これからいろんな目に遭わされるのだろう。それでも御仏かなにかそのようなものがそばにいてくれると思えば、多少はほっとする。

 それからソリアとベアタといろいろ話したよ。実は、村人たちはあの壊れた仏像を新しいのに取り替えようとしたらしい。あまりにもむごたらしい格好しているので仏様に申し訳ないといってね。だが、和尚がとめたそうだ。仏もまたありのままの姿がいいと。私と話した時、和尚はかなり厳しいというか理想的な見解を述べていたが、ほんとうのところは、和尚もわかっているのだろうね」

「仏もまたあるがままですか」

「ああそうだ。腕をもがれればそれもまた仏、足を折られればそれもまた仏。たとえ私が仏道へ戻ったとしても、こんな私がそのような境地に達することはないのだろうがな。遥かな道だ。それから五日ほどプノンペンに滞在して彼らと池へ釣りに行ったり、街中を散歩したりしてのんびり過ごした。私はタイへ引き返すことにした」

 カンボジアの話を終えた須藤さんは急に酔いが回り始めたようだった。おしぼりで火照った頬を拭う。

「話を聞いてくれて嬉しかったよ。重い話だし、びっくりさせて悪かったけどな」

「面白かったですよ」

「そう言ってもらえると助かる。また旅へ出て、なにか興味深いことに出くわしたら話を聞いてもらうよ」

 それから少しだけ話をして、お勘定をした。僕は須藤さんと別れて京香を迎えにすずらんへ行った。僕たちはいつものように夜道を並んで歩いて帰った。


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