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プロローグ

 

 しゃぼん玉がいっせいに咲いた。

 生まれたばかりの小さな夢たちは、風船のようにふわりと舞い上がる。

 しばらくは楽しげに揺れながら漂っていたけど、風に吹かれて、風に流され、つぎつぎ割れる。

 わずか一瞬のはかない命。

 恋は、しゃぼん玉みたいに割れてしまった。

 ずっと大切にとっておきたいのに、冷たい風にゆらいで消えた。ふたりの気持ちを守りとおせなかったのは、僕の責任なのだけど。

 ベンチに腰掛けながらぼんやりあたりを眺めた。真冬の公園は底冷えがする。今日は特別寒いみたい。ストローの先を小さなプラスチック容器に入れ、しゃぼん液に浸す。買ったばかりなのに、もう半分くらいに減っていた。

 彼女と別れてから、こうしてしゃぼん玉ばかり飛ばしている。

 どうしてこんなことをするのか、自分でもよくわからない。よくわからないのだけど、飛ばさずにはいられない。

 かけがえのない人を失った後は誰でもそうなのだろうけど、心にぽっかり穴が開いたようで、なにをするにも張り合いがない。喜びも悲しみも、僕だけのもの。それではなんだか味気ない。ほんのささやかなことでも気持ちを分かち合う人がいるだけで、人生はずいぶん彩りがでるものだと、別れて初めてった。なんとなく眠たい日々が続いている。

 しゃぼん玉をまた吹かしてみる。

 言葉にならない想いが心に浮かんでは消える。薄れゆく想いの断片を甦らせてみれば、どれも彼女のことばかり。鈍い痛みとせつなさが心の底でうずくまる。いっそのこと、全部忘れてしまったほうがいいのかも。

 今度のしゃぼん玉は、地面を這うようにして流れていった。

 お下げ髪の少女がはしゃぎながら鞠球のように転がるしゃぼん玉を追いかける。小さな夢を摑まえようと差し出した指先をすり抜け、しゃぼん玉は割れてゆく。最後のしゃぼん玉の消えたあたりで、少女は両腕を頭のうえにかざし、楽しそうに踊った。夢は、追いかけている時のほうが楽しいものだけど。夢は、たとえ消えてしまったとしても、またいつか生まれるものだとわかっているけれど。僕はふと空を見上げた。

 澄んだ冬空にひび割れた雲が浮かんでいる。雲はじっとしたまま、凍えるように立ちすくんでいた。

「遥」

 思わず、彼女の名前をつぶやいてしまった。

 元気にしているの?

 つらい夢をみたりしていない?

 しあわせになれたの?

 僕は、遥のいない暮らしにまだ慣れていないみたい。君のことしか考えてこなかったから。

 それでも、僕は自分の倖せを見つけなくっちゃいけないんだよね。夢の跡のなかで暮し続けるわけにはいかないから。夢の廃墟に住み続けるわけにもいかないから。

 別れたのは二か月ばかり前。クリスマス直前で街が華やいでいた時期だった。遥は、中三の時から六年半も想い続けた女の子だった。恋人になれそうな、友達のままでいたほうがいいような、そんな付き合いをずっと続けて、そうして一年すこし前にようやく結ばれたばかりだった。僕としてはこの先もいっしょにいたかったし、遥にしてもそうだったと思うのだけど、いろんなことがうまくいかなくて別れることにした。嫌いになったわけじゃない。嫌われたわけでもない。だから、どうしているのかとても気がかりだった。遥のことを想うと、しんみりしてしまう。

 ひょっとすると僕は、こうしてしゃぼん玉を吹かしながら、ちらかってしまった自分の心をすこしずつ整理しているのだろうか。そうして、大切ななにかを待っているのだろうか。出会うべき人ややらなくてはいけないことを待ち受けているのだろうか。ちょうど、次のバスをあてどなく待つ旅人のように。

 木枯らしが音を立てて吹きぬける。遠い空の雲がにじむ。

 僕は大きなしゃぼん玉を作ろうとして、そろりと息を吹きこんだ。

 しゃぼん玉が徐々にふくらみ、表面の虹色が大きくのびる。

 ふっと、遥の顔がしゃぼん玉に映る。

 遥はさびしそうに微笑み、小さく手を振る。

 はっと息を飲んでストローの吸い口を放したとたん、しゃぼん玉はさよならも言わずに弾けた。

「お兄ちゃん、もっとしゃぼん玉を飛ばして。ねえ、もっと」

 さっきのお下げ髪の少女が僕に駆け寄り、白く煙った息を吐きながらねだった。

「いいよ」

 僕がうなずくと、

「わーい」

 と、少女は叫んで目を輝かせた。

 僕はベンチに坐ったまま、ひたすらしゃぼん玉を飛ばし続けた。


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