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薬の注意書きから始まる短編集

水または十分な水分とともにお飲みください

掲載日:2026/08/29

※本作は『用法・用量を守って正しくお使いください』の続編です。


前作の結末を含む内容となっていますので、先に前作をお読みいただいた方が、より楽しめると思います。


前作はシリーズ一覧からお読みいただけます。

 十年前、村に四人の旅人が来た。

 そのうちの一人は、井戸のそばで何度もこめかみを押さえていた。


「どこへ行くの?」


「砂漠の奥だよ」


「何しに?」


「神殿があるらしい。そこに頭痛薬があるんだと」


「砂漠なのに?」


 男は少し笑った。


「そうらしい」


「水、あるの?」


 一瞬だけ、男が黙った。


「さあ。神殿なんだから、あるんじゃないか」


 翌朝、四人は村を出た。

 帰ってこなかった。

 それから十年後。

 成人した朝、私にも神罰が来た。

 どくん。

 頭の奥で何かが鳴った。

 その瞬間、十年前の男の顔を思い出した。

 あの人も、こんな音を聞いていたのだろうか。

 三日で嫌になった。

 十日で腹が立った。

 一月経つ頃には、考えることすら億劫になっていた。

 それが何より許せなかった。

 私は昔から、分からないことをそのままにするのが嫌いだった。

 なのに今は、考えようとするたびに頭の奥で音が鳴る。

 どくん。

 砂漠。

 神殿。

 帰ってこなかった四人。

 そして、十年前の自分の声。

 水、あるの?

 そこまで考えたところで、また痛みが思考を押し潰した。


「もう……!」


 こめかみを押さえる。

 いつもそうだった。

 何かを掴みかけるたびに痛みが強くなる。

 考えるなとでも言われているようで、余計に腹が立った。

 頭痛薬を求めて砂漠へ行くと決めた。

 同行してくれるのは、幼馴染のハルトたち三人だった。

 食料、天幕、砂除けの布。

 そして水。

 砂漠を往復するなら八袋ほどあれば足りると言われた。


「十二持っていく」


 ハルトが荷を見た。


「多すぎるだろ」


「分かってる」


「重くなるぞ」


「それも分かってる」


「じゃあ、なんで」


 帰ってこなかった四人。

 砂漠の奥にある薬。

 子どもの頃に自分が尋ねた水のこと。

 そこまで並べたところで、また痛みが押し寄せた。


「……分からない」


「は?」


「分からないけど、嫌なの。水だけは余分に持っていく」


 理由になっていない。

 自分でも分かっていた。

 それでも減らす気にはなれなかった。

 砂漠へ入った初日、神殿はすぐに見つかった。

 陽炎の向こうに白い建物が立っている。

 思っていたよりずっと近い。


「明日には着けそうだな」


 ハルトが言った。

 私もそう思った。

 次の日になっても、神殿は同じところにあった。

 三日目も。

 四日目も。

 歩いている。

 足は痛い。靴の中には砂が入り、肩には荷の重さが残っている。

 それだけ進んだはずなのに、白い神殿は昨日と同じ大きさで立っていた。


「ねえ、おかしくない?」


「砂漠だから距離感が狂うんじゃないか」


「でも――」


 昨日。

 一昨日。

 その前。

 神殿はどのくらいの大きさに見えていた。

 太陽はどこにあった。

 私たちはどれだけ歩いた。

 比べれば何か分かるはずだった。

 どくん。

 痛みが全部まとめて押し潰した。


「っ……!」


 思わず頭を抱えた。


「大丈夫か?」


「大丈夫じゃない」


 腹が立った。

 神殿にも。

 頭痛にも。

 まともに考えられない自分にも。

 五日目、水の減りが予定を超えた。


「予備を開けよう」


 ハルトが言った。


「駄目」


「まだ四袋あるだろ」


「これは残す」


「何のための予備だよ」


「だから、何かあったときのために――」


「今が何かあったときだろ」


 言い返せなかった。

 喉は乾いている。

 皆も疲れていた。

 ここで飲む方が正しいのかもしれない。

 でも、神殿を見る。

 すぐそこにあるように見える。

 昨日もそうだった。

 一昨日も。


「……嫌」


「何が?」


「ここで飲むのは嫌」


「だから理由を――」


「分からないって言ってるでしょ!」


 声を荒げた瞬間、頭の奥を強く叩かれた。

 視界が揺れる。

 膝に手をついて耐えた。

 考えたい。

 どうして嫌なのか。

 どうして水だけは残したいのか。

 自分のことなのに、頭が痛いせいで答えまで行かせてもらえない。


「……ごめん」


 息を整えながら水袋を抱えた。


「でも、神殿まで持っていく」


 ハルトは何も言わなかった。

 六日目。

 喉が焼けるように乾いた。

 唇が切れた。

 予備の水はある。

 栓を抜けばいい。

 一口飲めば楽になる。

 何度も手を伸ばした。

 そのたびに十年前の声が浮かんだ。

 水、あるの?

 七日目の昼。

 ようやく白い階段の前に立った。

 近くに見えてから、七日も歩いた。


「……何なのよ」


 神殿を見上げた。

 腹が立った。

 周囲には砂しかない。

 木もない。

 草もない。

 井戸もない。

 川などあるはずもなかった。

 白い神殿だけが、何事もなかったように立っている。

 中へ入る。

 外の暑さが嘘のように涼しかった。

 入口に人骨があった。

 その先にもあった。

 祭壇へ近づくほど増えていく。

 刃物で傷ついた骨。

 砕けた頭蓋骨。

 別の骨の腕を掴んだまま残っている手。


「これ……魔物じゃないよな」


 ハルトが言った。

 分かっている。

 でも、どうして。

 ここまで来た。

 薬を見つけた。

 そのあとで、なぜ仲間同士で――。

 どくん。

 また痛みが考えを叩き潰した。


「もう、邪魔しないでよ……」


 誰に言ったのか、自分でも分からなかった。

 祭壇には小さな箱が四つ並んでいた。

 どれにも同じ文字がある。


『頭痛薬』


 その横に薄い板が置かれていた。


『頭痛薬は、本神殿外への持ち出しを禁じます』

『本神殿への入殿は、生涯に一度限りです』

『服用の際は、水または十分な水分とともにお飲みください』

『用法・用量を守ってお飲みください』


 水。

 その文字だけが目に残った。

 十年前。

 井戸のそば。


『水、あるの?』


 寒気がした。

 私は荷を下ろした。

 残していた水袋を取り出す。

 手が震えていた。

 もし、あのとき開けていたら。

 神殿がすぐそこだからと飲んでいたら。

 外にある骨。

 祭壇の前にある骨。

 刃物の傷。

 嫌でも意味が見え始める。


「……もういい」


 箱から薬を取った。

 口に入れる。

 水で流し込んだ。

 少し待った。

 どくん。

 もう一度だけ鳴った。

 それきり、何も聞こえなくなった。

 痛くない。

 目の奥も。

 こめかみも。

 頭の奥も。

 静かだった。

 考えても、痛くならない。

 なら。

 考える。

 砂漠へ入ったときから見えていた神殿。

 すぐ近くに見せて、七日も歩かせた。

 その間に水は減る。

 ようやく着いても、周囲に水はない。

 薬は持ち出せない。

 入れるのは生涯に一度。

 それなのに、服用には水分を要求する。

 ここまで来た人間は薬を目の前にして、水がないことを知る。

 そして。

 仲間を見る。

 床の骨を見る。

 十年前、帰ってこなかった四人を思い出した。

 あの人たちも、ここまで来たのだとしたら。


「……最低」


 声が漏れた。


「どうした?」


「最低」


 祭壇を見た。


「最低。最低、最低……! 何が神罰よ!」


 拳を叩きつけた。声が白い神殿に響いた。


「頭を痛くして、薬があるって教えて、こんなところまで歩かせて!」


 水を削る。

 薬を見せる。

 水分が必要だと最後に教える。

 仲間の身体には水分がある。

 追い詰められた人間なら、いずれそこへ行き着く。


「これをさせたかったんでしょう!」


 骨を指さした。


「殺したいなら自分で殺せばいいじゃない!」


 声が震えた。

 涙が滲んだ。

 悲しいからではなかった。


「なんで私たちに殺させるのよ!」


 返事はない。

 白い壁が声を返すだけだった。

 それがまた腹立たしかった。

 祭壇を睨んでいるうちに、四つの箱が目に入った。

 四つ。

 私たちも四人。


「……待って」


「どうした?」


「箱が四つある」


「俺たちも四人だな」


「そうじゃなくて」


 もし。

 四人で入ったから、四つなのだとしたら。

 神はここへ入った人数を知っている。

 全員分の薬を用意できる。

 全員を助けられる。

 それなのに。

 水だけは用意しない。

 胃の奥がひっくり返りそうになった。


「確かめたい」


「薬の数を?」


「うん」


「でも、お前はもう入れないぞ」


 板を見る。

 生涯に一度限り。

 最後までよくできている。


「私が入らなきゃいい」


 村へ戻った。

 次に頭痛に耐えられなくなった男が神殿へ向かうと聞き、私は同行した。

 砂漠の入口からは神殿を見ず、歩いた日数と方角を頼りに進んだ。

 私は入口で待った。

 男は一人で中へ入った。

 戻ってきた男に尋ねた。


「箱はいくつあった?」


「一つだけど?」


 次は二人。

 二つだった。

 三人なら三つだった。

 何度確かめても同じだった。

 神は知っていた。

 何人入ったのか。

 全員分の薬を用意していた。

 水だけを、用意しなかった。

 もう偶然とは思えなかった。

 あの神殿そのものが、神罰だった。

 頭痛を与えるだけでは終わらない。

 救いを目の前に置き、人間が何をするのかまで含めて罰にしている。

 そう思ったら、また腹が立った。

 頭痛はもうない。

 だから今度は、その怒りの行き着く先まで考えられた。

 私は村長のところへ行った。


「砂漠に道を作りたいです」


「神殿まで?」


「はい」


「神罰に逆らうつもりか」


「きちんと神殿には行きます。薬もそこで飲みます」


 それは変えられない。

 でも。


「どこまで苦しむかまで、あいつに決めさせるつもりはありません」


 私はそれから最初に杭を立てた。

 神殿は見ない。

 次の杭だけを見る。

 一定の距離ごとに水用の壺を置いた。

 屋根だけの休憩所を作った。

 帰ってきた者には、壺の水が減っていれば村へ知らせてもらった。

 やがて、水を運ぶために砂漠へ入る者も現れた。

 何年もかかった。

 ある日、砂漠へ向かう夫婦とすれ違った。

 二人とも、ときどき額を押さえている。

 荷車には水袋が積まれていた。


「神殿は、この道で合っていますか?」


「合ってます」


 私は砂漠の向こうを見た。

 白い神殿は、今日もすぐ近くに見えている。


「あれは見ないでください」


「え?」


「杭だけを見て進んでください。最後の水は、必ず神殿まで残して」


 二人は頷いた。

 杭を追って砂漠の奥へ歩いていく。

 その背中を見ながら、十年前の四人を思い出した。

 あの人たちには、道がなかった。

 最後に水が必要だとも知らなかった。

 神殿が嘘の距離を見せることも。

 今は違う。

 神は変わらない。

 神罰も変わらない。

 薬の注意書きも変わらない。

 なら、こちらが変わればいい。

 神は薬を持ち出すことを禁じた。

 水を持ち込むなとは、一言も書いていなかった。

 やがて白い神殿へ続く道には、薬を求める者よりも多くの人間が、水を運ぶために行き来するようになった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


『水または十分な水分とともにお飲みください』は、前作と同じ頭痛薬の注意書きから考えた短編です。


与えられた理不尽は変えられない。

それでも、その中でどう生きるかまでは決められない。


そんな人間なりの抵抗を描いた物語として書きました。


少しでも印象に残りましたら、評価やブックマークなどで応援していただけると嬉しいです。

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