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『不純なる階層、孤高の毒』

学園の『試練の迷宮』第二層。

 そこは、一層のような明るい岩場ではなく、常に紫色の霧が漂う湿地帯だった。

 新入生たちには「五人以上のパーティを組み、治癒術師を同行させること」が厳命されている危険区域。

 だが、シュウはそこに一人で立っていた。

「……はぁ、はぁ……っ」

 肺が焼けるように熱い。霧に含まれる微弱な毒が、じわじわと体力を削っていく。

 現在のシュウのステータスは、スライム百体と跳ね兎数体の捕食を経て、ようやく『150』を超えたところだ。

 一般生徒の平均『800』、そしてアルトリウスの『2,500』に比べれば、依然として赤子同然の数値。

 だが、シュウの体は一週間前とは別物だった。

 ガストンの鉄板二枚を背負って走り込み続けた脚力と、魔物の肉を血肉に変えた強靭な筋肉。それは数値以上の「生存能力」として、彼の内に宿っていた。

「――来たか」

 ぬかるんだ地面から、音もなく現れたのは『沼毒蛇マーシュ・ヴァイパー』。

 その牙に触れれば、並の戦士でも数分で全身が麻痺し、生きたまま喰われる。

 シュウは腰を落とし、ガストンが打ち直した重い出刃包丁を正眼に構えた。

 魔術的な防護壁バリアも、毒消しの薬もない。あるのは、剥き出しの殺意と、胃袋を焦がす飢餓感だけ。

「シャアアッ!」

 蛇が矢のような速さで飛びかかる。

 シュウは最小限の動きで頭部をかわすと、泥にまみれながら地面を転がり、蛇の胴体へと包丁を叩きつけた。

 ガギィッ!

 鈍い音が響く。蛇の鱗は、一層の魔物とは比較にならないほど硬い。

 反撃の尾がシュウの脇腹を打ち抜き、彼は大きく吹き飛ばされた。

「……がはっ、……っ!」

 口の中に鉄の味が広がる。毒が傷口から回り、視界がチカチカと明滅する。

 これが、スキルのない者の限界か。アルトリウスなら、聖剣の一振りでこの霧ごと蛇を消し飛ばしていただろう。

 ふと、遠くの通路から声が聞こえた。

「あら、あそこにいるの……あの特待生じゃない?」

「ふん、無謀な。治癒師も連れずに二層へ入るなど、自殺志願者だな」

 視察訓練中のアルトリウス一行だ。

 先頭を行くアルトリウスは、聖剣を抜くことすら面倒そうに、取り巻きに命令を下している。

 彼の後ろで、エルフのエレインが冷ややかな、けれどどこか「違和感」を覚えたような瞳でシュウを見つめていた。

(……おかしいわ。あのステータスで、なぜまだ動けているの?)

 エレインの『精霊王の寵愛』は、周囲の魔力の流れを敏感に察知する。

 彼女の目には、シュウの体内で「不純で、どす黒い魔力」が、必死に毒と抗い、筋肉を無理やり動かしている異様な光景が映っていた。

 だが、アルトリウスは鼻で笑って背を向けた。

「放っておけ、エレイン。ゴミが勝手に土に還るだけのことだ。我々は最下層を目指すぞ」

 一行が去っていく。

 シュウは泥の中に跪きながら、彼らの背中を――いや、目の前の獲物だけを凝視していた。

「……逃がすかよ」

 シュウは毒で痺れる腕を、己の歯で強く噛んだ。激痛で意識を強制的に引き戻す。

 蛇がトドメを刺そうと大きく口を開けた瞬間。

 シュウは重い包丁を捨て、懐から取り出した「骨のナイフ」――自ら仕留めた跳ね兎の骨を削った武器――を、蛇の開いた口内へと突き立てた。

「死ねッ!!」

 全体重を乗せた一撃。ナイフは蛇の脳天を貫き、泥水の中に巨体が沈んだ。

「……はぁ、……はぁ……っ」

 シュウは震える手で、蛇の喉元を切り裂いた。

 中から現れた、毒々しい紫色の『魔核』。

 常人なら触れることすら躊躇う毒の結晶を、シュウは迷わず口の中へ放り込み、噛み砕いた。

 ――瞬間。

 火を飲んだような熱さが全身を駆け巡った。

【条件達成:『沼毒蛇マーシュ・ヴァイパー』の初捕食を確認】

【固有能力:『微弱毒耐性』を獲得しました】

【身体再構築:神経系の強化を開始します】

 全身の痺れが、嘘のように引いていく。

 ステータスの数値が、今、初めて『200』の壁を突破した。

「…………」

 立ち上がったシュウの背中には、以前の弱々しさは微塵もなかった。

 泥にまみれ、毒に侵されながらも、彼は確実に「人間」を超え始めていた。

 その様子を、迷宮の天井付近の影から、銀色の瞳が見つめていた。

 ミーニャだ。彼女はアルトリウスたちのパーティに斥候として同行していたが、こっそりと抜け出し、シュウの戦いを見ていたのだ。

「……シュウ。……また、強くなった」

 彼女は小さく呟き、満足そうに鼻を鳴らすと、音もなく闇の中に消えた。

 学園の最底辺。

 誰からも顧みられない不純なる階層で、一匹の怪物が、静かに牙を研ぎ始めていた。

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