『薄明の迷宮、銀の視線』
スライムの核を食らってから一週間。シュウの放課後は、地獄のような特訓と、吐き気を催すほど生臭い「食事」に占められていた。
「……九十九、百! ……よし、次だ!」
ガストンの怒号が飛ぶ。背中に括り付けられた鉄板は、いつの間にか二枚に増えていた。シュウの指先は短剣の柄を握りすぎて血が滲み、全身の筋肉は常に悲鳴を上げている。だが、不思議と足取りは以前より軽い。
【条件達成:『泥粘土(スライム』の累計捕食数 100/100】
【全ステータスが 10.00 上昇。身体能力『微増』を確認】
脳裏に響く無機質な通知。アルトリウスの『2,500』という山に比べれば、まだ足元の小石を積み上げた程度だ。それでも、シュウには分かっていた。自分の体が、確実に「人間」の枠組みを外れ、魔物の強靭さを取り込み始めていることを。
「……シュウ、今日は少し奥まで行くぞ」
ガストンが珍しく真剣な面持ちで言った。
「一層の奥に『跳ね兎』の群れがいる。スライムより速いが、肉の質は上だ。……お前の包丁、試してみるか?」
ガストンが差し出したのは、廃材の魔銀を叩き直して作った、無骨な出刃包丁だった。
「短剣より重いが、お前の『魔物喰い』にはこいつの方が似合っている」
迷宮の第一層、少しずつ陽光が届かなくなる薄暗いエリア。
そこには、強靭な脚力を持つ魔獣『跳ね兎』が縄張りを張っていた。通常、新入生が三人一組のパーティで挑む相手だ。
シュウは一人、包丁を握りしめて茂みに潜む。
カサリ、と音がした瞬間、白い影が弾丸のような速さで突進してきた。
「――見えた」
以前のシュウなら、反応すらできずに吹き飛ばされていただろう。だが今の彼は、スライム百体分の生命力を宿している。
横に跳んで回避し、すれ違いざまに包丁を叩きつける。
不格好な一撃。しかし、重みを乗せた刃が兎の首を深々と断った。
絶命した魔物を前に、シュウは荒い息をつきながらその場で「解体」を始める。
サバイバルで培った手際。皮を剥ぎ、魔力が集まる心臓部を切り出す。
「……食べるのか。それ」
背後から響いた、鈴を転がすような、けれど感情の欠落した声。
シュウが反射的に包丁を構えて振り向くと、そこには岩陰にうずくまる小さな影があった。
猫耳をぴくりと動かし、銀色の瞳でこちらを見つめる少女。
猫耳獣人のミーニャだ。彼女は学園でも屈指の斥候としての才能を持ちながら、その無口さと独特の雰囲気から、どのパーティにも馴染めず孤立していた。
「…………」
彼女の視線は、シュウの手元にある兎の肉に釘付けになっていた。よく見れば、彼女の服は汚れ、腹の虫が小さく鳴っている。
斥候という役割上、彼女は常に最前線に立たされるが、戦果のほとんどはパーティの「騎士」や「魔道士」に奪われ、まともな食事すら与えられていないのだろう。
「……不味いぞ。生だしな」
シュウは短く答え、魔核を口にする。
ミーニャは鼻先をひくつかせ、シュウに一歩近づいた。
「……シュウ。……変な匂い。でも……強そうな匂い」
「俺を知っているのか」
「……ゴミスキルの、シュウ。有名。……でも、今のシュウは、ゴミじゃない」
彼女は鋭い爪を隠した手を伸ばし、シュウが切り分けた兎の「足の肉」を指差した。
「……それ、焼いたら、もっと強くなる?」
「さあな。だが、焼いた方が食いやすいのは確かだ」
シュウは無言で、手近な枝を集めて火を熾した。
ガストンから教わった「効率的な火の熾し方」。
アルトリウスのような豪華な魔法の灯りではない。煙たくて、小さくて、けれど温かい本物の火だ。
パチパチと爆ぜる火を囲み、学園の落ちこぼれたちが、迷宮の片隅で静かに肉を焼く。
フィオナやエレインといった華やかな令嬢たちが決して立ち入らない、泥臭い境界線上の食事。
「……おいしい」
ミーニャが初めて、小さく口元を緩めた。
まだパーティではない。ただの「腹を空かせた者同士」の偶然の邂逅。
だがその様子を、遠くから忌々しげに見つめる目が一つ。
演習の帰りに通りかかったアルトリウスが、薄暗い迷宮の奥で「平民と獣人」が火を囲んでいる光景を目にしていた。
「……ふん。獣は獣同士、掃き溜めで身を寄せ合うのがお似合いだ」
アルトリウスはイヤミな笑いを浮かべ、その場を去る。
彼には聞こえていなかった。
肉を喰らったシュウの体内で、次の『境界線』へのカウントダウンが、静かに加速する音を。
【条件達成:『跳ね兎』の初捕食を確認】
【固有能力:『脚力強化・初級』の兆しを検知しました】
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