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冬季休暇に入ったその年、私は七日間の休みを実家で過ごすことにしました。

 実家のことはほとんど覚えていないのです。

 実家のある田舎には中学校がなく、それを不便に思った両親は小学校入学時点で私を都内の親戚に預けられ、そして毎年2ヶ月程度両親がその親戚宅に滞在する、という変わった家族関係でした。それから都内で社会人として働き始めて五年が経ち、初めての帰省となります。


 実家は東北地方の山間にある小さな集落にあり、最寄り駅から車で四十分ほどかかります。雪が降れば外界と隔絶されるような土地で、携帯電話の電波も場所によっては不安定でした。私が育った頃から過疎は進んでいましたが、今では集落に残る家も半分以下になっています。


 家そのものは、祖父の祖父の代に建てられたという古民家です。太い柱と梁がむき出しで、床はところどころ軋み、冬になると廊下は外気とほとんど変わらない冷え方をします。私にとっては懐かしい場所であると同時に、いつからか説明できない違和感を抱く場所でもありました。


 特に、家の「奥」に対してです。


 玄関から続く廊下の途中には客間や仏間、台所があります。そのさらに奥、突き当たりに一室だけ、常に襖で閉め切られた部屋がありました。幼い頃から、そこは自然と避ける場所でした。入るなと言われたことは一度もありません。ただ、近づこうとすると足が止まり、胸の奥がざわつくのです。

 初日は特に変わったことはありませんでした。雪の中を車で帰宅し、両親に迎えられ、夕食を囲みました。母の作る鍋料理を食べ、父と仕事の話を少しして、そのまま疲れて床につきました。


 異変は、二日目の朝に訪れました。


 夜中に何度か目を覚ました記憶はありますが、はっきりとした理由は思い出せません。ただ、何かを聞いたような、あるいは聞かされたような感覚だけが残っていました。

 朝、布団から出て廊下に出た瞬間、違和感を覚えました。空気が違うのです。冷たい、というよりも、澱んだような感触でした。冬の古民家では珍しくありませんが、それはいつも感じる冷え方とは違ったように記憶しています。


 原因はすぐに分かりました。


 「奥」。


 奥の部屋の障子は、いつも通り閉まっていました。隙間もありません。それなのに、そこだけが異様に冷えている。まるで冷蔵庫の扉を開けたときのような、無機質な冷たさでした。

 私は近づくべきではないと思いながらも、数歩だけ前に出ました。床板がぎしりと鳴り、その音がやけに大きく感じられました。音は奥へ吸い込まれていくように響き、返ってきません。


 襖の前に立った瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われました。中に誰かがいる。根拠はありませんがそう感じました。気配、というよりも、そこに「在る」という圧力です。

 私は咳払いをして、無理やり背を向けました。考えすぎだと自分に言い聞かせ、台所へ向かいました。

 母はすでに起きており、朝食の準備をしていました。何気なく奥の部屋のことを尋ねようとしましたが、言葉が出ません。聞いてはいけない気がしたのです。


 その日は特に予定もなく、私は雪かきを手伝い、近所を少し散歩しました。集落は静まり返り、雪を踏みしめる音だけが響きます。子どもの頃、ここで遊んでいた記憶が、現実味を失った映像のように浮かんでは消えました。

 夜、布団に入ると、天井裏から音がしました。何かが這うような音です。最初は動物だと思いましたが、音は規則的で、一定の間隔を保っています。右から左へ、また戻る。その動きは、まるで人が歩いているかのようでした。

 息を潜め耳を澄ますと、音はぴたりと止まりました。その直後、奥の部屋の方向から、かすかに何かが軋む音がしました。


 私は目を閉じました。見なければ、感じなければ、何も起きていないのと同じだと思ったのです。

 しかし、眠りに落ちる直前、誰かに名前を呼ばれた気がしました。

 翌朝、私は妙な夢を見た記憶とともに目を覚ましました。内容ははっきりしません。ただ、暗い部屋と、何かを見下ろす視線だけが残っていました。

 布団の横に、濡れた足跡がありました。

 泥と雪が混じったような足跡が、私の布団を囲むように点在し、廊下の奥へと続いていました。大きさは人の足ほどですが、指の形が曖昧で、どこか歪んでいました。

 慌てて両親を呼びましたが、二人が来たときには、足跡は薄くなり、やがて消えてしまいました。

 母は首をかしげ、「何か動物でも入ったんじゃない?」と言いましたが、その声はどこか硬く、視線は奥の廊下に向けられていました。


 断片的な映像が流れる。なんなのだろう、これは。

 頭が痛い。胸も苦しい。思考ができない。何かが浮かび上がってくる。


 気づくと、私は布団に横になっていました。真冬にも関わらず汗だくです。

 ですが不快感はありません。そして断片的に思い出しました。


 幼い頃、確かに私は、あの奥の部屋に入ったことがあるのです。誰にも言わず、誰にも見られずに。

 そこで何を見たのか、何をしたのか。ただ一つ、確かな感覚がありました。


 私は、触れてはいけないものに、触れてしまった。


 そしてそれは今もなお、この家の奥で、私を待っている。


 その夜、奥の部屋の襖が、わずかに開いていました。

 

ここからが、現在進行形の話になります。

この物語には、明確な怪異の説明は登場しません。

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