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私がこの一連の出来事を「調査」と呼び続けていたのは、それが唯一、自分を安全な場所に留めておくための言葉だったからだと思う。調べている、記録している、考察している――そう言い聞かせることで、私は自分が当事者ではないと信じ続けることができた。だが、N集落の過去事例を積み重ね、Aという例外を見つめ続けた結果、その立場そのものが、少しずつ歪み始めていることを、私は否応なく自覚するようになっていた。
第三者とは本来、構造の外側にいる存在だ。影響を受けず、影響を与えず、ただ観測する。だが座という構造は「触れた者」だけで完結しない。触れた事実を知り、それを理解し、言語化しようとする行為そのものが、すでに内部への侵入を意味しているのではないか――その疑念が、私の中で日に日に大きくなっていった。
Aと会う頻度は自然と増えていた。意図したわけではない。どちらかが連絡を取るというより、気づけば同じ時間に同じ場所にいることが増えただけだ。大学時代の同期としての距離感はとうに失われている。だが、恋愛でも友情でもない。この関係を説明する言葉は、私には見つからなかった。
ある日、Aはふとこんなことを言った。
「なあ、俺の話、どこまで書くつもりだ?」
私は一瞬、答えに詰まった。その問いは記録者としての私ではなく、構造の一部としての私に向けられているように感じられたからだ。
「全部、だと思う。少なくとも、私が知ってる範囲は」
Aは、ゆっくりと息を吐いた。
「それってさ、俺がどうなるかも含めて、だよな」
私は視線を逸らした。答えられなかったのではない。答えが、すでに決まっていると分かっていたからだ。
私はAの変化を「記録している」。だが同時にその変化を待っている自分がいる。
その事実に気づいた瞬間、胸の奥にはっきりとした恐怖が生まれた。原始的な恐怖とは違う、もっと静かで、冷たいもの。私は、第三者でありながら、結末を必要としてしまっている。
座の過去事例を思い返す。消えた人々。語られなかった名前。終わったこととして処理された存在。
私は彼らについて「知ってしまった」。そして知った以上、それを無かったことにはできない。
もし第三者であり続けるということが見なかったことにする能力を含むのだとしたら、私はすでにその資格を失っている。
Aが座に触れたのは偶然かもしれない。 だが、私がAの話を聞き、記録し、理論化し、他の事例と接続しようとしている行為は偶然ではない。選択だ。自分が「安全圏」にいるふりをしながら、構造の内側へと自ら歩み寄ってきたのだと理解した。座が「物理的な場所」ではなく、「配置」であり、「役割」であり、「処理のための構造」だとするならば、私は今、記録者という役割を引き受けることで、別の座に座ってしまっているのではないか。
私は一つの輪郭を掴んだ。
座は、人を壊すためにあるのではない。人を物語の中に固定するためにある。
過去の人々は語られないことで固定された。Aは語られ続けることで固定されつつある。
そして私は、その両方を繋ぐ位置に立ってしまった。
第三者であり続けられるか、という問いに対する答えは、すでに出ている。
私は、第三者ではいられない。だが、当事者にもなれない。
この宙吊りの位置こそが、私に与えられた「座」なのだとしたら―― この物語は、まだ終わらない。
次に書かれるべきは、解決ではない。向き合うという行為そのものだ。
理解したかどうかよりも、
どこまで付き合ったかが重要だったのかもしれません。




