表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/21

19

 以下に記すのは、私がN集落およびその周辺地域に関して収集した、断片的な証言、聞き書き、郷土資料の余白への書き込み、そして私自身がそれらを読み解く過程で付した注釈であるが、あらかじめ断っておくならば、これはいわゆる一次資料集ではなく、むしろ「整理されてしまったものの記録」であり、どこまでが他者の言葉で、どこからが私の解釈なのか、その境界は、すでに曖昧になっている。


証言一

(N集落・70代男性・聞き書き)

 「“座”いうてもな、別に何かを置いとく場所やないんよ。座るもんがあるわけでもない。家の奥にあって、使わん部屋や。昔から、そういうもんやって、わしらも子どもの頃は入るな言われとったけど、なんでかは誰も言わんかった。言わんいうより、言えんかったんかもしれんな」

【注】この証言の特徴は、「座」が物理的な対象ではないことを、証言者自身が強調している点にある。 置く場所ではない。座るものもない。それでも「座」と呼ばれる。

 名称が先にあり、用途が後から失われたかのような印象を受ける。


証言二

(郷土誌・昭和四十年代編纂/編集後記より抜粋)

 「各家屋の間取りにおいて、最奥部に記載されない空間が存在する例が散見されるが、これは調査不能というより、調査対象外とされた可能性が高い。住民の多くが『書かなくてよい』『そこは部屋ではない』と回答したためである」

【注】調査不能ではなく、調査対象外。この一文を読んだとき、私は資料室で見た、説明されない空白を思い出した。

 存在するが、数えない。あるが、部屋ではない。「座」は、常に定義から外されることで存在している。


証言三

(N集落出身・女性・40代・電話インタビュー)

 「子どもの頃、あの家に遊びに行った時、奥の部屋の前で、よく大人が立ち止まってたのを覚えてます。入るわけでもなく、拝むわけでもなく、ただ、立って、少し黙ってから戻るんです。あれ、何してたんだろうって、今でも思います」

【注】行為が不完全であること。入らない、拝まない、使わない。それでも「立ち止まる」。

 私はここで、「座」を装置として考え始めた。人が、特定の振る舞いをしてしまう場所。


証言四

(Aの発言・私のメモより)

 「俺さ、あの部屋に入った時、自分が何をしに来たのか分からなくなったんだよ。気づいたら、そこに“居ていい”気がしてた。怖いとかじゃなくて、落ち着いてた。それが、後から一気にきた」

【注】この証言を、私は何度も読み返した。

 「居ていい気がした」という感覚。それは、恐怖よりも危険だ。座は、人を拒まない。むしろ、正しく受け入れる。


証言五

(集落外縁部・古老の談話/書き起こし)

 「昔はな、家には“人の場所”と“そうでない場所”があった。今みたいに全部が生活のための部屋やなかった。座は、人が住む場所やない。けど、家の中には要る。無いと、落ち着かん」

【注】要るが、住まない。使わないが、無いと困る。この矛盾が、座の核心に近い。


 ここまで証言を並べて、私はようやく、自分が何を恐れているのかを、言葉にできる気がした。

 「座」は、何かを祀る場所でも、閉じ込める場所でもない。忌避されながら、必要とされている。

 それは、人が人であるために切り離したものを、置いておくための空間なのではないか。

 感情、衝動、役割、あるいは、誰のものでもない視線。それらを、生活の中心から少しだけ外した位置に、しかし完全には排除せず、家という構造の中に組み込む。

 座とは、忘却のための部屋ではない。

 忘れないために、触れない場所だ。

 だからこそ、そこに近づいた者は安心し、そして、後から壊れる。

 私は、この証言集をまとめながら強烈な既視感に襲われていた。

 N集落だけの話ではない。これは、どこにでもある。

 名前を失い、用途を失い、それでも残っている場所。

 私たちは、それを見ないふりをして生活しているだけだ。

 第三者であるはずの私が、ここまで理解してしまったという事実が、何よりも恐ろしかった。

 なぜなら、理解とは、立ち位置を変える行為だからだ。

 私はまだ、座に入っていない。だが、座がどこにあるのかをはっきりと知ってしまった。

 そして、それは、物語の終わりを、静かに指し示していた。

距離を保とうとする行為そのものが、関与である場合もあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ