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火曜日の朝、私は目覚ましが鳴る前に目を覚ましており、眠っていたのかどうかも判然としないまま天井を見つめながら、今日でこの場所を離れるのだという事実だけを、何度も頭の中で反芻していた。

 四日間の調査の最終日。今日が終われば、私は日常に戻る。

 そのはずだった。

 だが、前夜ほとんど眠れなかった身体は重く、起き上がろうとすると内臓がわずかに遅れてついてくるような感覚があり、私は一度ベッドに座ったまま動かずに、深く息を吸ってから吐き、ここがN集落ではなく駅前のビジネスホテルであることを、わざとらしいほど丁寧に確認した。


 安全な場所だ。境界の外だ。

 そう言い聞かせる必要がある時点で、すでに何かがずれているのだと、私は理解していた。


 この日は集落に行かないつもりだった。

 昨日、私は十分すぎるほど、触れてしまった。第三者であるという立場はまだ守られているが、その輪郭は明らかに摩耗している。

 だから今日は記録を整理する日にすると決めていた。


 駅前の図書館に戻り、前日に目を通した郷土資料をもう一度最初から読み直す。そこに新しい情報があるとは思っていない。

 重要なのは、私自身の認識をN集落という空間から切り離すことだった。

 だが図書館に向かう途中、私は無意識に昨日とは違う道を選んでいた。


 そのことに気づいたのは歩き始めてからしばらく経ってからだ。

 駅前の通りから一本外れた、住宅と空き地が混在する細い道。通学路なのか、地元の人しか使わないような道なのか分からない。


 私は、引き返さなかった。

 理由はない。ただ、足が止まらなかった。


 その道の先に小さな建物があった。

 古い公民館のようにも見えるし、倉庫のようにも見える。入口の横に色あせた掲示板があり、「地区資料室」と書かれた紙が貼られていた。


 鍵は、かかっていなかった。

 私はその時点で引き返すべきだったのだと思う。誰に止められたわけでもない。禁止されているわけでもない。

 必要のない一歩だった。

 中は埃の匂いがした。湿気と紙の古い匂い。


 棚には寄贈された古文書のコピーや手書きのノート、昭和期の写真が無造作に並んでいる。

 私はそこでも「座」という文字を探してしまった。

 探すつもりはなかった。目が勝手に拾ってしまう。

 手書きのノートの一冊に簡単な間取り図が描かれていた。


 家屋配置図。年代不明。

 

 描き方が奇妙だった。

 居間、土間、納戸。それらは文字で書かれている。しかし家の最奥部にあたる位置には何も書かれていない。

 空白だ。そこに丸が描かれている。

 説明はない。凡例もない。それを見た瞬間、私ははっきりと恐怖を感じた。

 昨日までの恐怖とは質が違う。これは理解や推測から来るものではない。一致してしまった恐怖だ。


 Aが語った「奥の部屋」。郷土資料に残された「座」。そして、この、説明されない空白。


 私はノートを閉じた。

 それ以上、見てはいけないと身体が判断していた。

 その時、背後で、床がきしむ音がした。振り返ると誰もいない。

 建物は無人だ。それなのに、私は強烈な視線を感じた。集落で感じたものと同じだ。

 ここは、集落ではない。駅の近くで、人の生活圏だ。

 その事実が逆に恐怖を増幅させた。資料室を飛び出した。


 外の空気は冷たく、現実的だった。車の音も聞こえる。それでも胸の奥に残ったものは、消えない。

 この恐怖は、持ち帰れる。そう直感した。

 午後、私はAに連絡を入れたが詳細は話さなかった。


 「少し、分かったことがある。でも、今は言葉にできない」

 

 そう伝えるのが、精一杯だった。

 Aはそれ以上聞いてこなかった。その沈黙が何よりも重かった。

 夕方、私は駅に戻り帰りの電車を待った。N集落へは結局、この日は足を踏み入れていない。

 それでよかったのかどうかは分からない。なぜなら私はもう、知ってしまったからだ。


 恐怖は、場所にあるのではない。出来事にあるのでもない。

 配置にある。語られないことの並び方にある。

 Aが触れてしまったものは、特別な何かではない。

 それは、ずっとそこにあり、人がうっかり、正しい位置からずれた時にだけ、輪郭を持つ。

 私は第三者であり続けている。当事者にはなっていない。

 この恐怖は、私の中に、確かに残った。

 忘れることはできない。

 それだけは、はっきりしていた。

似ている、という感覚そのものが、判断を誤らせることもあります。

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