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ここから先は、出来事そのものではなく、それを「どう扱おうとしたか」の記録になります。
Aの様子がおかしい、と思ったのは新年会が始まって十五分ほど経った頃だった。
大学時代の同期が集まる、毎年恒例のやつだ。場所は変わらない。駅前の雑居ビルの三階。料理はまずいが、個室で長居できる。そういう理由だけで選ばれ続けている店だ。
私はAの正面に座っていた。その日もいつも通り、肘をテーブルにつき、ビールをちびちび飲んでいた。
Aは、乾杯のときから様子が変だった。
笑ってはいた。相槌も打っていた。けれど、どこか、体がそこにない感じがした。視線が合わないわけではない。合っても、すぐに抜ける。こちらを見ているのに、何も見ていない。
大学時代、Aはもっと覇気のある男だった。前に出るタイプではないが、話を聞くときは真剣で、冗談を言うときはきちんと笑った。
今は違う。何かを消耗しきった人間の顔をしていた。
「……で、Aは年末年始どうしてたの?」
誰かがそう聞いた。
「実家に、ちょっと」
Aはそう答えた。それだけだった。その返事が妙に引っかかった。
“ちょっと”ではないはずだ。Aの実家は東北だ。年末年始に帰るならそれなりの日数になる。
私は、ビールを一口飲んでから、少しだけ身を乗り出した。
「実家、久しぶり?」
「……まあ」
歯切れが悪い。
「何かあった?」
この聞き方は、大学時代からの癖だ。詮索ではなく、確認。
Aは一瞬だけ黙った。その沈黙がやけに長く感じられた。
「……いや、何も」
嘘だ、と直感的に思った。
嘘をつく人間の反応ではなかった。むしろ、「何も」と言い聞かせている人間のそれだった。
その後もAはあまり飲まなかった。酔う様子もない。笑い声もどこか遅れている。
一次会が終わり、数人が帰ったあと私はAと二人で外に出た。
夜風が冷たかった。ビルの隙間を抜ける風が妙に強かった。
「ちょっと歩く?」
私がそう言うと、Aはうなずいた。
特に目的地はなかった。店の前で立ち話をするのは嫌だった。
歩きながら私は横目でAを見た。やっぱり顔色が悪い。
「……実家、何かあったでしょ」
今度は、断定に近い聞き方をした。
Aはすぐには答えなかった。しばらく歩いてから、ぽつりと言った。
「……変な話、していい?」
「いいよ」
私は即答した。
昔から変な話には慣れている。仕事の傍らで都市伝説系のウェブサイトを運営しているくらいだ。
もっとも、誰にも言っていないしアクセスもほとんどない。趣味だ。
「信じなくていいから」
「最初から信じる前提で聞くよ」
そう言うと、Aは少しだけ息を吐いた。
「実家に……奥の部屋がある」
「奥の部屋?」
「誰も使ってない部屋。子どもの頃、近づくなって言われてた場所」
Aの声は淡々としていた。感情が乗っていない分、逆に気味が悪かった。
「今回、帰ったとき……なんか、おかしくて」
「おかしい?」
「……うまく言えない。あるはずのものが、違って見える、みたいな」
私は、歩きながら考えた。
帰省。古い家。奥の部屋。
正直、ありがちな話だ。けれど、Aの語り方には作り話特有の軽さがなかった。
「それで?」
「それで……」
Aは言葉を探すように何度か口を開いては閉じた。
「……子どもの頃のこと、思い出した気がした」
その言葉を聞いた瞬間、私は足を止めた。
「“気がした”?」
「思い出した、って言い切れない。映像みたいなのが、断片的に」
私は、Aの方を見た。
街灯の光の下で、Aの顔は、ひどく疲れて見えた。
「それ、いつの話?」
「帰省中。二日目の夜」
「……今も、続いてる?」
Aは、首を横に振った。
「分からない。続いてるのか、もう終わったのかも」
その答えを聞いて私は確信した。
これは単なる怪談ではない。
少なくともA本人にとっては。
「ねえ、A」
「何」
「その話、ちゃんと聞かせて」
Aは、少し驚いた顔をした。
「……興味ある?」
「あるよ」
私は、はっきり言った。
「あと、たぶん、一人で抱える話じゃない」
そのとき、Aは初めて私の目を見た。
覇気のなかった目に、ほんの少しだけ色が戻った気がした。
このとき私はまだ知らなかった。
この話が集落全体の沈黙や、記録に残らない歴史や、そしてAという人間の生涯そのものに繋がっていくことを。
ひとつだけはっきりしていた。
私は、この話を聞いてしまった。そして、聞いた以上、途中でやめる気はなかった。
続きます。




