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第一節 資料群の整理と前提

 本調査報告は、以下の一次資料を基に構成されている。

1. 記録者本人による私的記録群(青年期・中年期・老年期を通じて断続的に書かれた覚え書き)

2. 集落住民による証言集(聞き書き、匿名記録、口承の文字起こし)

3. 記録者死後に集落内で発生した事象に関する観察記録

4. 過去の民俗資料・地方史・神社縁起・廃寺記録

 なお、調査班は本件を「怪異現象」あるいは「超常現象」として扱わない。あくまで、土着信仰体系における人間の役割変化として整理する。

 ただし、以下に記す内容は、従来の民俗学的枠組みでは説明が困難な点を多く含む。そのため、本報告は「結論」ではなく、現時点での最も慎重な整理に留める。


第二節 最終記録に対する注釈

 記録者の最終記録は、宗教的告白でも、信仰告白でもない。むしろ、自己の位置の最終確認と呼ぶべき性質を持つ。

 注目すべき点は、以下の三点である。

1. 「神性」を人格化していないこと

 記録者は一貫して、神を「意思ある存在」「裁く存在」として記述していない。

 これは、東北地方の山岳信仰・屋敷神・塞ノ神信仰と強く符合する。すなわち、神とは「働き」であり、「機能」である。

 境界を保つ。均衡を崩さない。人が越えたときに、歪みとして返る。

 記録者は、これを恐怖ではなく事実として受け入れている。

2. 「選ばれた」という言葉を拒否していること

 多くの口承では、座に触れた者は「選ばれた」と語られる。しかし、記録者はこれを明確に否定している。

 これは重要である。

 なぜなら、選択性を否定することで、本件が倫理や価値判断の外側にある事象であることが明確になるからだ。

 入った。触れた。結果として、関係が生じた。

 それ以上でも以下でもない。

3. 「役割」を引き受けたという自覚がないこと

 記録者は、自身を守り人とも、媒介者とも呼ばない。ただ「境界に立っている」と表現する。

 これは、集落の語る「座に近い者」と完全に一致する。

 座る者ではない。祀る者でもない。立ち続ける者である。


第三節 記録者の死後に起きた変化

 記録者の死亡は、病院で確認されている。死因は自然死とされ、異常はない。

 しかし、集落では、死亡が確認された翌日から、明確な変化が観察された。

1. 奥の部屋の変化

 最も顕著だったのは、実家の古民家である。

 長年、物理的には存在していた「奥の部屋」が、内部の改修や破壊を伴わずに、生活動線から完全に消えた。

 これは建築的消失ではない。

 図面上、部屋は存在する。測量上も空間はある。

 しかし、 

 ・襖が見えない 

 ・入口に至る廊下が認識されない 

 ・住人が「そこに行こう」と思考できない

 という現象が、複数人に確認された。

 集落の古老は、これをこう表現した。


 「閉まったんだ」


2. 祭祀行為の消滅

 これまで、明文化されない形で続いていた小規模な行為―― 供物を置かない、名を呼ばない、視線を向けない、といった暗黙の了解が、不要になった。

 誰も気にしなくなった。

 それは信仰が薄れたのではない。

 気にする必要がなくなったのである。


3. 集落の語りの変化

 最も興味深いのは、語りの変化である。

 記録者が生きていた頃、集落では「座に触れた人間がいる」という認識が共有されていた。

 死後、その語りは消えた。

 代わりに、こう言われるようになった。

 「昔、そういう人がいたらしい」

 現在形から、過去形へ。これは、土着信仰において極めて重要な転換である。


第四節 研究者としての暫定結論

 本件において、我々は以下の結論に至っている。

1. 記録者は「神を鎮めた」のではない

2. 記録者は「身代わりになった」のでもない

3. 記録者は「役割を全うした」とも言い切れない

 ただし、神性と個人が長期にわたり接続され、その接続が個人の死によって自然に解消されたという現象は、確かに起きた。

 これは供犠や断絶とは異なる。

 むしろ、人が境界として機能し続けた結果、境界そのものが不要になったと考えるのが、最も整合的である。

 この意味で、記録者は、

 ・英雄ではない 

 ・犠牲者でもない 

 ・選ばれた者でもない

 ただ、境界であり続けた人間であった。


終節 記録の扱いについて

 本資料群は、公開されるべきか否か、議論が分かれている。

 理由は単純である。

 読む者が、「理解してしまう可能性」があるからだ。

 理解は、信仰を生む。信仰は、接続を生む。

 我々は、次のように結論づける。

 この記録は、怪談として読まれる限り、安全である。

 事実として読まれ、生活に照らされ、自分の足元と結びついたとき、それは再び、境界を生む。

 記録者が生涯をかけて避けたことを、我々が軽率に再現してはならない。

 以上をもって、本報告を暫定的に閉じる。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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