第2章 第40話:はじめての体 ― 触れる、歩く、倒れる、笑う
名前を告げ、
リナライは“人の形”を持った。
しかし――
“体を使う”という概念はまだ知らない。
歩くことも、
地面に立つことすらも、
影だった彼女には未知の行為。
今日は、リナライが
人生で初めて身体を動かし、
人としての世界と出会う一日。
リナライは水庭の縁に立ち、
自分の両手をじっと見ていた。
細く、薄く、しかし確かに“重さ”がある。
影だったころにはなかった質感。
「……これ……わたしの……て……」
リオナは微笑み、そっと近くに立つ。
「うん。
それがリナライの“手”。
何かを触ったり、掴んだり――
いろんなことができるよ」
リナライは恐る恐る指を動かした。
一本、
また一本。
そのたびに小さく息を飲む。
「……うごく……
わたし……が……うごいてる……」
リオナは頷く。
「そうよ。
あなたが“思う”だけで動くの。
それが体というもの」
リナライは胸に手を当て、
少しだけ不安そうに言った。
「……りおな……
あるくって……
どうするの……?」
リオナは彼女の横に回り、
優しく手を差し出した。
「一緒にやってみようか」
リナライはその手をそっと握る。
人の体で初めて触れた“他者のぬくもり”。
「……あたたかい……
りおな……あったかい……」
リオナは少し照れながら微笑む。
「歩くっていうのはね、
片足を……こうして、前に出して……」
リオナが見本を見せる。
リナライは真似しようとして――
「……こう……?」
足を前に出した瞬間、
バランスが崩れた。
——ふらり。
リオナが慌てて支える。
「わっ、リナライ! 気をつけて!」
リナライは胸を押さえ、
目を丸くして言った。
「……たおれる……って……こう……?
はじめて……」
「まだ重さに慣れてないのね」
リナライは不思議そうに自分の足を見つめる。
「……わたし……
おもい……?」
「うん。
それは“生きてる重さ”。
とても大事なものよ」
リナライは嬉しそうに笑った。
「……りおな……
わたし……いきてる……!」
リオナもつられて笑う。
「そうよ。
だから転んでも大丈夫。
また立てばいいの」
リナライは再び足を前に出す。
今度は慎重に――
……一歩。
水庭の縁の木の板がきしみ、
足裏に“触れた”感覚が伝わってきた。
リナライの瞳が大きく開く。
「……かんじる……
あし……ついてる……!」
リオナはその肩を支えたまま言う。
「そう。それが“立つ”ということ」
リナライはもう一歩踏み出す。
……と。
——つるん。
水滴で滑り、
そのまま前に倒れた。
「リナライ!」
リオナが抱きとめた瞬間――
リナライは驚いて目をぱちぱちさせた後、
「……あは……
あはは……!」
声をあげて笑った。
リオナはきょとんとする。
「え……転んだのに、なんで笑ってるの?」
リナライは胸を押さえ、
笑いながら言った。
「……わたし……たおれた……
でも……いたくない……
りおな……あったかい……
うれしい……!」
リオナの目がじんわり熱くなる。
(リナライ……
転ぶことすら“喜び”なんだ……)
リナライはリオナの胸からそっと離れ、
また立ち上がろうとする。
最初はよろけたが、
腕でバランスを取りながら何とか踏ん張った。
「……たてた……!
いま……ひとりで……!!」
リオナは拍手した。
「すごいよ、リナライ!」
リナライは誇らしげに胸を張り――
——ドサッ。
バランスを崩して尻もちをついた。
リオナは駆け寄ろうとするが、
リナライはぱっと手を上げた。
「……まって……!
いま……
たつ……から……!」
リナライは自分の足を見て、
両手で地面を押し、
震えながら立ち上がった。
その姿は――
まるで生まれたばかりの子鹿。
だが、その目には
確かな“意志”が宿っていた。
「……わたし……
あるきたい……
りおなと……!」
リオナは胸が熱くなる。
「もちろん。
一緒に歩こう。
リナライの“最初の道”を」
リナライは深呼吸をし、
ゆっくりと一歩踏み出す。
そして――
初めて“歩く”ことに成功した。
「……できた……!
できた……!!
りおな――みて!!」
リオナは涙を流しながら笑った。
「見てるよ、リナライ。
あなたは……すごい子だよ」
リナライは照れたように笑い、
もう一歩、そしてもう一歩。
身体はまだ不安定。
世界はまだ広すぎる。
でも――
リナライは今日、確かに「歩いた」。
それは彼女の人生で
最初の大きな挑戦だった。
リナライは初めて
「立つ」「歩く」「倒れる」「笑う」
という体験をした。
痛みも怖さもあったはずなのに、
彼女はどれも“喜び”として受け取った。
これが、
人としての第一歩。
次回、リナライはさらに
“感情”や“言葉”を学び始めます。




