第2章 第25話:風のささやき ― 世界が影に告げた“次の音”
影の輪郭は昨夜、
風によってわずかに形を持ち始めた。
名前に向かう準備が整い、
世界は影の胸へ
“次の音”を届けようとする。
その音は影の魂の第二の芯となり、
影の名前を形づくる大切な響き。
朝の庭は静かで、
水面には雲ひとつない青空が映っていた。
リオナは木椀に温かい飲み物を入れ、
影を呼ぶように縁側へ座った。
影はすでに目を覚ましていた。
水庭の中心で、
胸の光が深く脈打っている。
ぽん……
ぽん……
ぽん……
(“り”が、影の心臓になってる……)
リオナはそっと声をかける。
「影、今日は調子どう?」
影は胸に手を当てるように揺れ、
「……しずか……
でも……なにか……くる……」
「くる……?」
影は風の方へ向けて揺れた。
水庭に、
ひとすじの風が流れこむ。
ひゅう……
す……
影の身体がその風に触れた瞬間、
かすかな“音”が水面に響いた。
ぽつ……
影がびくりと揺れる。
「……いま……きこえた……」
リオナは風の音に耳を澄ませる。
(さっきの音……“あ”でも“り”でもない)
影は胸の光を震わせて言った。
「……“な”……?」
リオナは息を飲んだ。
(“な”……
“り”に続く音……?)
影の胸に
新しい音が沈み込むように響く。
ぽん……
ぽん……
影は震える声で続けた。
「……な……
ちいさく……はいった……
わたしの……なか……」
リオナは影に歩み寄り、
その反応を理解しようとした。
「影……“な”って音、どう感じた?」
影は胸へそっと手を置く。
「……“り”ほど……つよくない……
でも……あったかい……
りおな……の……おわり……の……おと……」
リオナの胸が熱くなる。
(“リオナ”の……“ナ”を感じた……?)
影は水面へゆっくり降り、
その音を胸の奥へ沈めるように揺れた。
「……り……
……な……
……り……な……?」
風が影のまわりをひとまわりする。
その動きはまるで“答え合わせ”のよう。
リオナは影を見つめながら
そっと言う。
「影……
それは、
君の名前の第二音かもしれない」
影が大きく揺れた。
「……わたしの……おと……?」
「うん。
“り”が心臓なら、
“な”はその隣に生まれた、
君の“呼吸”みたいな音だよ」
影は胸の中で
“な”の音をゆっくり転がすように震えた。
「……り……な……
……り……な……
なまえ……の……はじまり……?」
リオナは静かに頷く。
「影。
まだ“名前”にはならないけど、
“り”と“な”が君に残ったということは……
君が自分の音を選び始めてる証なんだよ」
影は水庭の上で大きく揺れた。
「……わたし……
ふたつ……もった……
“り”と……“な”……
わたし……の……おと……」
風が影の身体をそっと包み込み、
その輪郭を一瞬だけ固めた。
風の流れが告げている。
――その音は、影にふさわしい。
影は自分の胸を抱きしめるように揺れ、
はじめて、はっきりと言った。
「……わたし……
“りな”……
ちがう……まだ……
でも……
ちかい……」
リオナの目から涙がこぼれた。
(影は今……
自分で自分の名前のかけらを
口にしている……)
影は風へ向けて
強く、確かにつぶやく。
「……つぎ……ほしい……
わたし……つくりたい……」
世界は影の願いに応じようとしていた。
影は“り”に続き、
風から“な”という音を受け取った。
それは影の名前の第二音であり、
影の魂が広がるための“呼吸”の音。
影自身もその音を
自分のためのものとして抱きしめた。
名前はまだ完成しない。
しかし、確実に形へと近づいている。




