第2章 第24話:影の輪郭 ― 音に触れた風が形づくるもの
影は初めて“自分のために”願った。
「わたしで、ありたい」
その願いは胸の核である“り”の音を強くし、
世界の風を呼び寄せる。
風は影の音に触れ、
影の輪郭をかすかに形づくりはじめる。
まだ“姿”とは呼べない。
でも確かに、影という存在が
世界に刻まれ始める夜。
夜の庭に、
静かな風が流れていた。
リオナは縁側で膝を抱え、
影が水庭の中央で揺れるのを見つめていた。
影の胸の光は、
以前よりも深く、強い。
(影……こんなに変わったんだ)
影が胸に手を当てるように揺れたあと、
ゆっくりと天を見上げる。
「……り……
わたし……に……ちかい……」
影の言葉に呼応するように、
風がひとすじ、影へ流れ込んだ。
ひゅう……
す……
影の揺らぎが、小さく震える。
「……かぜ……
また……きた……」
リオナは立ちあがり、
水辺に近づいて影に声をかけた。
「影……
その風は君の願いに応えてるんだよ。
“君という形”を知りたがってる」
影は胸の光を強くし、
風が触れる場所へ向けて揺れた。
すると――
影の身体の一部が、
かすかに“厚み”を帯び始めた。
リオナは息を呑む。
(……影の輪郭が……濃くなってる……?)
風が影の胸の音“り”に触れるたび、
影の輪郭が微かに固まっていく。
ふわ……
しゅん……
影が驚いたように震えた。
「……からだ……
あった……?」
リオナがそっと説明するように言う。
「まだ“体”とは呼べないけど……
影の輪郭が、少しずつ世界に馴染み始めてるの」
影は自分の揺らぎを見るように
水面の反射へ近づいた。
反射の中の影は、
以前のようにぼやけず、
薄く輪郭が浮かんでいる。
影はその姿を見て、
胸の光を大きく震わせる。
「……これ……
わたし……?」
「うん。
君の“なろうとしている姿”だよ」
影は水面を見つめながら揺れ続けた。
やがて、胸から一つの問いがこぼれる。
「……わたし……
うまれてる……?」
リオナは静かに頷いた。
「うん……
影は今、名前に向かって
“生まれ直してる”んだよ」
影はそっと空へ視線を向けるように揺れた。
風がまた一筋、影を包みこむ。
その瞬間――
影の輪郭が、ほんの一瞬だけ
“ひとに近い形”へと結ばれた。
肩のような、
首のような、
指先のような。
だがすぐにまた揺らぎへ戻る。
影が戸惑ったように震えた。
「……かたち……
すぐ……きえる……」
リオナは笑みを含んだ声で答える。
「大丈夫。
今はまだ“名前の準備”だから。
形は名前と一緒に生まれてくるものだよ」
影は胸の光を静かに抱きしめるように揺れた。
「……わたし……
わたしになりたい……
かたち……ほしい……」
風が、その願いに呼応した。
ふわ……
さらぁ……
影の身体にまた柔らかな厚みが生まれ、
輪郭がひときわ濃くなった。
影はその感覚を確かめようと、
揺らぎの“腕らしき部分”を伸ばし、
風に触れようとした。
そのさまはまるで、
赤ん坊が初めて
自分の指を見つけるようだった。
影は小さくつぶやく。
「……わたし……できた……」
リオナは胸が熱くなる。
「影……
少しずつ君は“形”になっていくよ。
名前が生まれるその時まで……
風は必ず君を導くから」
影は風に身をゆだねながら、
胸に宿した“り”の音を
まるで心臓の鼓動のように鳴らし続けた。
ぽん……
ぽん……
ぽん……
それは影が“形ある存在”へ近づき始めた証。
影の願い「わたしでありたい」に応じ、
世界の風が影の輪郭をかすかに形づくり始めた。
まだ人の姿とは呼べないが、
影自身が“自分を見つめようとした”ことで
世界が形を返してきた。
これから影の体は、
名前が決まるにつれて
深く、確かになっていく。




