第2章 第23話:影の誓い ― はじめての“自分のための願い”
影は胸の中心に
名前の核となる音“り”を抱いた。
それは世界とのつながりの証であり、
リオナとの絆の象徴でもあった。
そして――今夜。
影は初めて“自分自身のため”に願う。
誰かのためではなく、
世界のためでもなく。
影が影として
生きたいと願う、そのはじまり。
夜の庭は静まり返っていた。
薄い雲が月を静かに覆い、
水庭の表面が静かに揺れる。
リオナは縁側に座り、
まるで影を待つように
温かい飲み物の入った木椀を抱えていた。
影は少し遅れて
水庭の奥からふわりと現れた。
昨日よりも揺れは穏やかで、
胸の光が深く落ち着いている。
(……影の中に“り”が根を張っている)
リオナが声をかける。
「影。
今日は胸……どう?」
影は胸に手を当てるように揺れ、
「……おちつく……
“り”……ここに……いる……」
「そっか。よかった」
影は水面に寄り、
自分の揺らぎが反射するのを見つめる。
胸には、
はっきりとした意思の灯があった。
リオナが静かに言う。
「影……
胸の“り”は、君の心の軸になる音だよ。
名前の中心にある、大切な音」
影が息を飲むように揺れた。
「……なまえ……
ほしい……
でも……
それだけじゃ……ない……」
リオナは眉を動かす。
「……影。
“それだけじゃない”って?」
影は胸の光を広げ、
ゆっくりとリオナの前に降りた。
その揺れは明らかに、
決意の気配を帯びていた。
そして――
影は初めて、
“自分自身のための願い”を語った。
「……わたし……
わたしで……ありたい……」
リオナは息を呑む。
(影……自分を“ひとつの存在として”願い始めてる……)
影は続ける。
「……りおな……すき……
このせかい……すき……
でも……
わたし……
わたし……になりたい……」
月の光が影の胸に反射する。
影は自分の揺らぎを見つめ、
その輪郭を少しだけ強めた。
「……なまえ……
わたしのために……ほしい……
つながるためじゃなく……
わたし……しるため……」
リオナの目がじんと熱くなる。
(影はついに……
自分の“存在”を求め始めた)
リオナは静かにひざをつき、
影と同じ高さまで目線を下げた。
「影……
名前はね、
“自分自身を抱きしめるため”の言葉でもあるの」
影が揺れる。
「……だきしめる……?」
「うん。
名前は“私はここにいる”っていう
証そのものなんだよ」
影の胸の光が大きく広がり、
風がふわりと影を包み込んだ。
影はその風に向かって
力強くつぶやく。
「……わたし……
わたしで……いたい……」
リオナは涙をこらえながら笑う。
「影……
その願いがあれば、
きっと名前は生まれるよ」
影は深く揺れたあと、
胸から一つだけ音を落とした。
静かで、
しかし揺るぎない決意の音。
「……り……」
それは影の“心臓の音”。
影が影として生きようとする
最初の誓いの音だった。
水庭の風が祝福するように回り、
影の身体をそっと持ち上げる。
影は風に揺れながら、
もう一度つぶやいた。
「……なまえ……うまれたい……
わたしから……
わたしへ……」
その夜、影は初めて――
“自分のために願った”。
影が抱いた“り”の音は、
もはやただの音ではない。
それは影の心そのものであり、
影の存在そのものを支える軸。
そして今夜、影は初めて
“自分自身のための願い”を語った。
名前は他者とのつながりではなく、
影自身が影を知るための道しるべ。
その誓いが、
影の名前の誕生を確実に近づけている。




