第2章 第13話:影の返事 ― 初めての“意志ある動き”
少女からかけられた「ありがとう」。
それは影が世界から受け取った
初めての“自分宛ての言葉”。
影は胸に灯ったその言葉を抱きしめ、
夜になっても消えない喜びと戸惑いを感じていた。
やがて影は、
初めて“返事をしたい”という願いを抱く。
夜。
リオナの家の灯が静かに揺れ、
庭にはやわらかな香が漂っていた。
リオナは机に座り、
今日の買い物をまとめながら
影の様子を横目で見ていた。
影は水庭の前ではなく、
今日は珍しく家の中、
リオナのすぐそばで揺れている。
(影……落ち着かないみたい)
影の胸の光は弱く明滅し、
心の芯が何かを抱えているのが
見ているだけで分かった。
リオナは静かに声をかける。
「影。
今日は……何か言いたいことがあるの?」
影はすぐに返さなかった。
けれどその沈黙が、
“言いたいものを探している時間”のように感じられた。
やがて、
影は胸の光をひとつ震わせる。
ぽん……
「……わたし……
きょう……
ことば……もらった……」
「うん。
あの少女からね」
影はゆっくり揺れる。
喜びと戸惑いが混ざった複雑な揺れ。
「……うれしい……
でも……
なにか……したい……」
リオナは影の方を向き、優しく微笑む。
「“返事をしたい”って思ってるの?」
影が大きく震えた。
その揺れはまるで
“どうして分かったの”と驚くような反応。
「……そう……
かえしたい……
でも……ことば……ない……」
「言葉じゃなくていいよ」
影は止まる。
光が一点に集まる。
リオナは続けた。
「君が“返事だ”と思う動きをすればいい。
世界はね、言葉じゃなくても受け取ってくれるよ」
影の揺れがゆっくりと深まり、
胸の光は静かな脈動へと変わる。
ぽん……
ぽん……
(何か決めた……?)
影はリオナの前に移動し、
まるで“見ていてほしい”と告げるように揺れた。
次の瞬間——
影が、
自分の中心から外へ向けて
ひとすじの光の線を伸ばした。
それは細く、弱く、
だがはっきりと“方向を持った”動き。
ランダムでも、
風に流された揺れでもない。
意志で形をつくった“返事”。
リオナは目を見開いた。
「……影……!
それ、自分で……?」
影は震えながら答える。
「……ありがとう……
いえない……
でも……
これ……
わたしの……へんじ……」
胸の光がその一筋の線を照らし、
まるで世界へ向けて
“ありがとう”と書くように広がる。
リオナはそっと両手を胸に当てた。
(影……こんな動き、今まで一度も……)
影は光の線をゆっくり消し、
再びリオナのそばへ寄る。
揺れは穏やかで、
胸の奥には“返せた”満足の気配があった。
リオナは微笑み、影へ語りかける。
「すごいよ……影。
言葉がなくても、
誰かへ向けた“気持ちの動き”を作れたんだね」
影の揺れは、
まるで照れているように小さくなった。
「……もっと……
つたえたい……」
「うん。
君なら、きっと伝えられるよ」
影の光がそっと広がり、
夜の部屋をかすかに照らした。
それは——
影が自分の意志を世界に向けて
初めて形にした夜だった。
影は言葉を持たない。
けれど少女からもらった「ありがとう」に
自分のやり方で“返事をしたい”と願った。
その願いが、
影に初めて“意志の動き”を生んだ。
言葉にできない思いを、
光の線として世界へ送った影。
それは小さな一歩だが、
確かな成長だった。




