第2章 第9話:朝靄の誓い ― 影が初めて“言いたい”と思った言葉
影の胸に灯った光は、
夜が明けても消えなかった。
その光は揺れながら、
ひとつの想いを形にしようとしていた。
まだ言葉にはならない。
しかし——
影は初めて“言いたい”と願った。
朝靄が庭を薄く覆い、
水庭の水面に白い霞が漂っていた。
リオナは早く目覚めて、
庭に出て軽く深呼吸をした。
寒さよりも先に、
胸の奥に昨夜の余韻が残っている。
(影の心……まだ私の中にも灯ってる)
不思議な鼓動が胸に染みていて、
忘れたくない温度だった。
その時、庭の隅で、
霧の内側がふっと揺れた。
影が来ていた。
(今日は……揺れ方がちがう)
いつものように静かに寄るのではなく、
影はゆっくり、
慎重にリオナへ向かってきた。
リオナはしゃがみ、
影の高さに目線を合わせる。
「おはよう」
影は震えず、
まるで言葉を探すように揺れた。
「……あさ……」
「そう。
きれいな朝だね」
影は胸の中心をそっと光らせた。
その光は昨日より柔らかく、
でもどこか“決意”のような色をしている。
リオナは息を飲む。
(何か……伝えようとしてる?)
影は揺れを深くし、
周囲の霧がわずかに吸い寄せられる。
風がないのに、
影の揺れが空気を動かしている。
やがて影は、
胸の光をほんの少しだけ押し出すように震えた。
リオナは目を細める。
「……言いたいことがあるの?」
影はすぐに揺れることをやめた。
その代わり、光がまたひとつ脈打つ。
ぽん……
ぽん……
「……りおな……」
かすれた、音にも満たない声。
けれどそれは——
影が誰かを呼ぼうとした、
**初めての“呼びかけ”**だった。
リオナの胸に熱が走る。
「……私を……呼んだの?」
影が震える。
震えの意味はわからない。
けれど、胸の光は消えず強く脈動する。
ぽん……ぽん……ぽん……
「……りおな……」
「……わたし……」
リオナは影のそばに、
胸を重ねるように手を置く。
触れない。
触れられない。
でも、その距離だからこそ伝わるものがある。
「……どうしたの?」
影は胸の光を揺らし、
言葉にならない音を震わせる。
「……ことば……で……でない……」
「……でも……つたえたい……」
リオナの息が止まる。
(言葉に……ならない?
でも伝えたい?
影が……伝える意思を持っている……?)
影は胸の“芯”を揺らし、
世界に向かって小さく呼吸した。
朝靄が影に吸い寄せられ、
その中心に静かに溶けていく。
影が震えながら言う。
「……りおな……
わたし……」
リオナは、
影が言おうとしているものを
直感で理解してしまった。
まだ言葉にはならない。
でもその奥には、
確かに“約束”の影があった。
リオナは優しく微笑む。
「言わなくていいよ。
君の言葉は、もう届いてるから」
影はその瞬間、
胸の光を柔らかく膨らませた。
世界は静かで、
風も息を潜める。
影が初めて抱いた“伝えたい”という願いが、
朝靄の中でそっと世界へ溶けた。
それはまだ誓いではない。
愛でも友情でもない。
でも、確かに“ふたりだけの心の約束”だった。
影は初めて、
誰かに“伝えたい”と願った。
言葉にはならない。
形にもならない。
だがその願いは、
影を影のままに留めず、
心ある存在へと静かに変えていく。
リオナの胸にもその願いは届き、
ふたりの境界がさらに薄くなる。
名前のない存在が、
名前の前に“想い”を得た朝。




