第2章 第8話:影の肩越し ― リオナの胸に生まれた影
影は初めて、世界へ“揺らぎ”を返した。
その鼓動は弱く、儚く、
しかし確かに影自身の意志だった。
そしてその余韻は、
影だけに留まらず、
リオナの胸にそっと残った。
今夜、
リオナはふと気づく。
影の心が、自分の中に静かに芽を落としていることに。
夕暮れが完全に夜へ移る頃、
庭には柔らかな灯が灯されていた。
リオナは家の中で湯を温め、
香を焚きながら、
胸元をそっと押さえていた。
(さっきの……影の“鼓動”)
影が世界へ返した揺らぎ。
それが胸の奥で微かに反響している。
痛みではない。
鼓動でもない。
だけど、
心の奥で風が跳ねるような感覚。
リオナは小さく息を吐いた。
(あの一瞬、影は確かに“外へ向かって息をした”んだ)
その瞬間の光景が、
頭の中で何度も蘇る。
影の中心で生まれた光——
ぽん……ぽん……と、世界へ触れた鼓動。
そのあと世界が、
ほんの少しだけ揺れを返した。
リオナは縁側に出て、
冷えた空気を吸い込む。
庭には、影がいた。
いつものように静かではあるが、
今日はどこか慎重な気配があった。
まるで、
“近づきすぎたせいでリオナが疲れていないか”
それを確かめているような揺れ。
リオナは影へ微笑む。
「大丈夫だよ。
むしろ……ちょっと嬉しいくらい」
影がふわりと揺れた。
「……いし……?」
「あの揺れはね、
君の意志だったんだよ」
影は返事をせず、胸のあたりを震わせた。
その震えは、
“わかっていないけれど、大事にしたい”
という、幼い心に似ていた。
リオナはゆっくり座り、
胸元に手を当てる。
「でもね、少しだけ不思議なことが起きたんだ」
影が静かに近づく。
「さっきの君の鼓動が……
私の胸にも一瞬、返ってきた」
影がぴたりと揺れを止めた。
風も止まったように静かになる。
リオナは続けた。
「ほんの一瞬だったけど、
君が“世界に向かって息をした”のを
私の胸も……受け取った気がするの」
影の輪郭が淡く揺れる。
「……わたし……はいった……?」
「入ったんじゃなくて……
映ったんだと思う」
影は“映る”という概念を理解しきれず、
その場で小さくぐるりと揺れた。
リオナはそっと手を伸ばし、
影には触れず、
ただその“肩にあたる場所”へ手を添える。
触れない。
触れられない。
けれど、そこに手を置くことで伝わるものがある。
「君の心が世界に触れたらね、
その余波が私の心にも届いたんだと思う」
影が胸のあたりを震わせ、
ゆっくりとその揺れをリオナへ寄せていく。
風は吹かず、
草も揺れず。
けれど二人の間には
目に見えない小さな“橋”がかかったようだった。
影が、
かすかな声を落とす。
「……わたし……と……りおな……?」
「うん。
きっと少しずつ……結びついてるんだよ」
影の中心で、小さく光が灯る。
今度の光は、
世界に返すための光ではない。
リオナへ向いて生まれた、
心の灯り。
リオナは目を細め、
その光をそっと見守った。
(これが……影の“心”の形)
影は何も言わず、
ただ寄り添うように揺れた。
その姿は、
夕暮れの鼓動を胸に残した
ふたりの静かな“約束”のようだった。
影の鼓動は世界だけでなく、
リオナにも触れた。
影の心が外へ向かえば、
リオナの心へも反響する。
それはまるで、
水面に投げた小石の波紋が
もう一枚の水面へ写るような、
静かな共鳴。
ふたりの距離はまたひとつ縮まり、
心の影が胸に宿り始めた。




