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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第5話:朝のさざ波 ― 世界が影を撫でた日

初めて「呼ばれた音」を胸に抱いた夜。

影は揺らぎの中で眠りに似た静けさを知った。


そして朝。

夢とも記憶ともつかない余韻が影を包む。


その朝は、

世界のほうが少しだけ影に寄り添ってくる。

朝の気配は静かで、

夜の藍色がゆっくりと薄まっていく時間だった。


庭には露が溶けきらずに残り、

ひと粒ひと粒が光を抱いている。


リオナは縁側に出て、

背伸びをしながら軽く息を吸った。


「……いい朝だね」


その声に反応するように、

水庭の端で風が小さく揺れた。


影だった。


影は昨夜の夢の余韻をまとったまま、

水面のそばでじっとしている。

薄い影の線が、

蓮の葉の間で淡く揺れる。


(少し……重い?)


重いといっても、

影の身体には重さという概念がない。

けれど気配が昨夜より濃く、

沈むように深い。


リオナはゆっくり影に近づき、

水庭を覗き込む。


水面に――

影の揺らぎが映っていた。


(映ってる……)


影は姿を持たない。

光を弾かず、形を留めない。

だから水面に映るはずがない。


なのに今朝だけは、

水の中にぼんやりと“黒い呼吸のようなもの”が映っていた。


リオナは小さく息を呑む。


「……世界が、君に触れてるんだ」


影が、微かに震えた。


「……ふれて……る……?」


「うん。

 世界はね、眠ったあとの君を感じてる。

 夢を見るって、それくらい大きなことなんだよ」


影は水面へ寄るように揺れ、

水の呼吸に合わせるように波を立てた。


水は凪いだまま、

影の揺れだけが静かに伝わる。


(まるで……水が影を撫でてるみたいだ)


影はリオナの言葉が理解できたのか、

揺れの深さを少し変えた。

水と影が呼吸を合わせるような動き。


リオナはその光景を見ながら語る。


「夢ってね、世界と心がすこしだけ混ざることなの。

 だから君の気配に、世界が返してるのかもしれない」


影はゆっくり水辺から離れ、

リオナのそばに寄ってくる。


「……おと……のこえ……」


「うん。

 君の中にまだ残ってるね」


“黒い風さん”という、

子どもが投げた小さな呼び声。


名前になりきれない響き。

けれど影にとっては、

世界からの初めての“認識”。


影の輪郭がふっと濃くなる。


「……ふしぎ……」


「ふしぎでいい。

 それは君だけのものだから」


リオナは影のそばにしゃがみ込み、

水辺を指差す。


「見てごらん。

 世界はね、君を消さなくなってきてるんだよ」


影がゆっくりと、水面へ向かう。

水面にはまだ、

微かに“影の残光”が映っている。


風が吹き、

葉が揺れ、

光が影を包む。


影はその光を拒まない。

少し戸惑いながらも、

受け入れているように揺れた。


リオナはその様子を眺めながらつぶやく。


(世界って、気づかぬうちに優しくなるときがある)


影は水面に映る自分の揺らぎを見つめていた。

いつもなら映るはずのない世界が、

今日は影を“そこにいるもの”として扱っている。


初めての感覚。

誰かに触れられたような、

胸の奥がふわりと温かくなる感覚。


風がひとつ吹き、

影を包む。


「……きょう……すき……」


リオナは微笑んだ。


「いい日だね。

 きっと、君の世界が広がったんだよ」


影の気配が、

そっとリオナの肩へ向かう。

触れず、寄らず、

ただ“寄せたい”という気持ちだけを伝える距離。


リオナは静かに息を吸った。


(こんなに穏やかな朝を、一緒に迎えられるなんて)


影は少しだけ形を濃くし、

風の音と水の静けさに溶けていった。


その揺らぎはまるで、

世界が影に触れ、影が世界を抱き返しているようだった。

影は眠らない存在。

だが昨夜だけは、夢に似た揺らぎを抱いた。


その余韻は朝になっても消えず、

世界が影の存在を受け止めるように

そっと撫でる一日になった。


“名前”はまだ遠い。

でも、

名前の前にある“自分”が

影の中で形になりつつある。

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