第2章 第1話:静かな風の門 ― 外の世界へ触れたい
庭というゆりかごの中で、
影は安心と呼べる静寂を知った。
けれど、世界は庭の外にも続いている。
“見てみたい”
まだ声にはならないその想いが
影の中でそっと膨らむ。
そしてある朝、
風の向こう側に、影は目を向ける。
朝の光は柔らかく、
水庭の水面が金色に揺れていた。
リオナは茶を淹れながら、
小さな気配の揺れに気づく。
(今日の影は……静かに波打っている)
いつものように庭に立つ影。
けれど今日は、その揺らぎの向きが違った。
いつもはリオナへ、
水庭へ、
ここへ、留まる揺らぎ。
だが今は――
外へ向かっている。
街の音が、遠くから響いてくる。
車輪のかすかな音、
子どもの笑い声、
パンを焼く香ばしい匂い。
影はゆっくりとその方向へ揺れた。
風が草を撫で、影の輪郭を薄く伸ばす。
リオナは気配にそっと声を向ける。
「行ってみたいの?」
影は言葉を持たない。
けれど、揺らぎが答えた。
ゆらり。
それは、迷いながらの肯定。
(怖さもある……でも、それ以上に知りたい)
影の震えは、
恐れではなく期待。
気づかぬうちに抱いた願い。
リオナはゆっくり縁側を降り、
影のそばに立つ。
風がふたりの間を通り抜け、
葉の影を地面に散らした。
「大丈夫。
行かなくてもいいし、
行ってもいい。
選べるよ、君が」
影がかすかに揺れ、
揺れの中心が――前へ向いた。
リオナは微笑む。
「じゃあ、少しだけ世界を見に行こうか」
声に驚きはない。
急かさない、誘わない、
ただ“並ぶ”言葉。
影はふわりと濃くなり、
庭の外へと気配を伸ばす。
リオナは門の前に立ち、
手をかざす。
扉は開いていない。
ただ、風の道を示すように。
「ゆっくりでいい。
怖くなったら、戻ってきていい」
影は震えず、薄れず、
ただ前を向く。
それは
一歩という名前のない一歩。
リオナは目を細める。
(外の風は、やさしい日もある)
水庭の音が背中を押し、
街の匂いがそっと呼ぶ。
影が動く――
無音のまま、世界へ触れるその瞬間。
空気が小さく震え、
朝の光が柔らかく二人を包んだ。
影が初めて“外”を見た朝。
それは冒険ではなく、
ただひとつの揺らぎ。
ここにいる安心を持ったまま、
世界を見に行く一歩。
それが、静かな成長の始まり。




