第1章 第48話:影の香り ― はじめて残す余韻
静かな午後を共にし、
影はそっと消えた。
だがその消失は、
空虚ではなく“余韻”だった。
そして夜、
庭に残ったのは――香り。
それは、影という存在が生まれて初めて
世界に持ち帰られた気配だった。
夜が落ち、
街の灯りがゆらゆらと窓に映っている。
リオナは水庭の前に立ち、
薄い月を見上げていた。
昼間の静けさがまだ身体に残り、
心の奥が心地よく空いている。
(ただ“居た”だけなのに……
こんなにも満たされるなんて)
手には湯の入った小さな壺。
香りは薄いが、胸をゆるめる温度を持つ。
霧がゆっくり降りてきて、
草木に湿りを落とす頃――
風が止まった。
空気が少し濃くなる。
影が来る気配……
ではない。
(違う……これは“残り”だ)
影がいないのに、
影らしさがそっと庭に落ちている。
リオナはゆっくりと敷布のそばに近づく。
その瞬間——
かすかな香りが鼻先をかすめた。
土でも、花でも、草でもない。
燃えた香でも、湿った木の香でもない。
名前のない、どこにもない香り。
でも、知っている。
(影の……)
胸がきゅっと鳴る。
それは寂しさではない。
恋しさでも、焦がれでもない。
気づいたときに、静かに胸へ降りる香り。
リオナは深く吸い込む。
ひやりとした空気の中に、ほんのりとした温度。
草でも風でも夜でもない、
“ひとつの気配”の香り。
(……影が、世界に触れていっている)
影は自分の形を持たない。
けれど、世界が影を少しずつ“理解”している。
存在の痕跡が、光でも音でもなく、
香りとして残ったのだ。
リオナは敷布に手を触れる。
「休んだあとに残るものって……
こんなふうになるのか」
言葉は風に吸われる。
夜は静かで、街の音は遠い。
影の香りは、ゆっくりと薄まる。
けれど消えないうちに、
胸の奥にそっと刻まれる。
(これは記憶だ。
影の……わたしの……どちらでもない記憶)
風が再び動き、
竹垣がサラリと鳴った。
その瞬間、香りはふっと溶けるように消えた。
だが、胸に残ったかすかな温度は消えない。
影が存在した時間が、
やわらかく息をしている。
リオナは夜空を見上げる。
「……ありがとう」
風は答えず、
星だけが微かに瞬いた。
影が残したのは香り。
存在を主張しない、
気づく人だけが気づく余韻。
世界に触れたいわけではなく、
ただ“ここにいた”という静かな証。
リオナはその香りを胸に抱き、




