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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第1章 第43話:やさしい夜酔い ― ひとつ分けた湯気

隣に立つ。

言葉はなくても、それで十分。


けれど夜は、時に気まぐれで、

それ以上のものを運んでくる。


湯気は体を温め、

心はそっと緩む。


そして今夜、

影は“あたたかさ”という気持ちに触れる。

夜はすっかり深く、

街のざわめきは眠りに溶けていた。


庭には微かな露の音。

遠くで猫が柵を跳ね、

また静寂が戻る。


リオナは湯を沸かしていた。

茶葉ではなく、草花をひとつまみ。

やさしい香りが湯気に乗る。


湯気は白く揺れ、

ぽつりぽつりと夜空に消えていく。


(明日も静かだといいな)


カップを二つ出し、

ひとつに湯を注いだところで、

もうひとつのカップに手が止まる。


(ひとりぶんでいいはずなのに……)


リオナは微笑む。

自分でも、理由は分かっていた。

ただ、それに名前をつけないだけ。


静かに縁側に座り、

湯を手に包み込むように持つ。


風がふわりと吹き、

灯籠の火が細く揺れた。


そのとき——

気配が、庭の端に降りた。


影だった。


近づくのではなく、

“そこにいる”と知らせるように佇む。


リオナは熱い湯気をふっと吹き、

何も言わず少しだけカップを右にずらした。


影の子の立つ場所へ、

飲み物を差し出したわけではない。

でも、空けておく場所を作った。


影はゆっくりと近づき、

隣に立つ。


湯気が影の輪郭を淡く包み、

まるで影が湯を飲んでいるように見えた。


リオナは静かに息を吐く。


「……あたたかい夜だね」


影はすぐには答えない。

けれど、湯気の揺れが影をやわらかくした。


やがて、かすれた音が落ちた。


「……それ……なに……?」


(湯気……を、聞いてる?

湯を、見てる?

それとも温度そのもの?)


「夜をやさしくする飲みもの。

飲まなくても、そばにあるだけでいい」


影はふるりと揺れ、

湯気の中で少し濃くなる。


「……いい……におい……」


それは正確な言葉ではないはず。

でも、意味は十分伝わった。


湯気の甘さ、

草の香り、

夜の静けさに混ざる心。


影はじっと、湯気を見つめる。

まるで、その温度を覚えようとしている。


リオナはカップをもう一度持つ。


影は触れない。

けれど、湯気を吸い込みたそうに揺れる。


(ああ……これは“飲む”じゃなくて……

“分け合う”ことなんだ)


影はそっと言う。


「……ここ、やさしい……」


声は震えない。

ただ、事実を伝えるように。


「うん。夜は優しい。

君がそう感じられるなら、それでいい」


影の形が、ゆっくり深まる。

月明かりが背に落ち、

地面に、ほんのわずかな影の線が伸びた。


湯気が二人のあいだをゆっくり満たし、

風がそっとそれを攫っていく。


飲まれず、触れられず、

ただ心が同じ温度で揺れている。


やがて影は淡く薄れ、

夜の静けさへ戻っていく。


湯気だけが残り、

リオナの胸に薄い痛みと温かさが宿る。


(一緒に飲んだわけじゃない。

でも——一緒だった)


湯を飲み干し、

リオナは星空を見上げた。


「また、気が向いたら」


返事はない。

でも、湯気が風に溶ける音がやさしかった。

影は飲まなかった。

でも、温度を分け合った。


“そばにあるだけで温かい”という、

言葉よりも深い関係の形。


孤独ではなく、結びつきでもなく、

並んで息をする心の距離。

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