第1章 第41話:黄昏の輪郭 ― 遅れて届く足音
昼の空席。
探してしまう視線。
それでもリオナは、
「来なくてもいい」と言った。
それは諦めでも拒絶でもなく、
“自由でいてほしい”という願い。
そして夕暮れ。
空がやさしい色に染まる頃、
遅れた気配が、そっと庭を踏む。
夕陽が、庭の水面を薄い金色に染めていた。
空は赤と青のあいだで揺れ、
一日の終わりが静かに滲んでいく。
リオナは縁側に座り、
ゆっくり湯を啜っていた。
昼間感じた空席の余韻は、もう落ち着いている。
それは悲しさではなく、
胸の内側に灯ったあたたかさ。
(来ても来なくても、この庭は静かだ。
この世界は、それで成立している)
そう思いながら、
水庭に落ちる光を見ていたとき——
とん……
足音。
けれど、それは重さのない足音。
土を踏むのではなく、気配が地面を触れた音。
リオナは顔を向けない。
視線を向ければ、揺らぎは逃げるかもしれない。
気づいていないふりをするのではなく、
迎え入れる準備の沈黙。
風が枝を揺らし、影が地面に伸びる。
夕陽の影は長く、やわらかい。
もう一歩。
とん……
その場所は、
昼間リオナがそっと触れた“空席”の上。
(戻ってきた)
たったそれだけのことが、
胸を少し温かくした。
影の子は、まだ形にならない。
輪郭は薄く、風と混じっている。
けれど、今日の影は“軽い”。
居心地悪さではなく、安心した軽さ。
リオナは静かに声を出す。
「おかえり」
影は震えない。
逃げない。
ただ、そこに“留まる”。
「……ここ……」
声というより、息。
でも、その息には意味があった。
ここに、来たかった。
そう言っているように聞こえた。
「うん。ここ」
リオナはそっと隣の空気を撫でるように手を下ろす。
影に触れようとしたわけではなく、
ただ“座ってもいい場所”を示すように。
影はゆっくりと、その隣に立つ。
風が吹き、竹垣が細く鳴る。
夕陽が影を長く伸ばし、
リオナの影と、影の子の影が
ほんの一瞬だけ重なった。
それは触れたのではなく、
寄り添った。
「……ひとりじゃ……なかった」
影のかすかな気配がささやく。
声ではなく、気づき。
リオナの胸が温かく、そして痛い。
「うん。
ひとりじゃなかったよ。
どこにいたって、ここにつながってる」
影は、夕陽の中でほんの少し濃くなる。
まるで「聴いている」と言うように。
しばらくして、影は消えた。
また夜風に溶けるように。
だが、残った気配は明るかった。
静かで、澄んだ、やさしい余韻。
リオナは湯を置き、空を見上げる。
星がひとつ、瞬いた。
(待っていなくても、帰ってくる。
帰ってこなくても、つながっている)
そんな想いが胸に宿った。
夕暮れの色は、ゆっくりと夜へ変わってゆく。
影は帰ってきた。
呼ばれたからではなく、
帰りたい場所ができたから。
たったそれだけで、
世界は少しだけ柔らかくなる。
繋がりは掴むものではなく、
ただ“そこにある”もの。




