第1章 第35話:風読みの灯と眠りの揺りかご
夜の灯りはただ照らすだけじゃない。
眠りを包み、影を見守り、
揺らぐ心をそっと抱く。
今日は街に「風読み灯」が灯る日。
風を捉え、静かな眠りを導くという灯り。
その灯りの下で、リオナは気づく。
“優しさ”は、甘さでも慈悲でもない。
胸を締め付ける痛みを伴うときがあると。
夕暮れが落ち、
街の道端に“風読み灯”が並びはじめた。
風読み灯は、薄い布と木の枠でできた小さな灯籠。
灯りが風に揺れるほど、
その夜は静かに眠れるといわれている。
職人たちが一本一本に火を入れ、
子どもたちは嬉しそうに走り回る。
夜の街が、やわらかな光で縁取られていく。
リオナは小さな提灯をひとつ受け取り、
家の前にそっと置いた。
柔らかな灯が揺れる。
火が息をするように、
静かで、あたたかい。
(今日は穏やかな風だ。
この街の心は、今夜はすこし落ち着くだろう)
ふと、門の影で小さな気配が揺れた。
影の子だ。
昨日より輪郭がはっきりしている。
姿は淡いままだけれど、
そこに“意志”が宿っていた。
影は灯りを見つめ、
やがて揺れながら近づく。
灯の光を避けない。
だけど、まっすぐ触れようとはしない。
境界線に立つ。
その選び方が、もう“生きている”のと同じだった。
リオナはそっと言う。
「灯りはね、無理に照らしたりしない。
眠りを包むだけだ」
影は微かに震え、
灯の光にそっと手を伸ばした……気がした。
けれど触れず、そっと手を引く。
「……あた……かい……」
かろうじて生まれた音。
光でも影でもない、ただの“感触”。
リオナは静かに答える。
「そうだね。
あたたかい。
でも、熱くない。
手を伸ばさなくても、そばにいればいい」
影がほんのわずか、リオナを見る。
その視線は問いかけの形を持たない。
ただ“居たい”という気配が滲む。
胸の奥が、きゅっとなった。
(どうしてだろう……
誰かの心が、ここにいようとするだけで
こんなにも胸が痛むんだろう)
優しさは、与えるものではなく、
受け取ることの難しさでもある。
影がふるりと揺れ、言葉のようなものがこぼれる。
「……こわい……けど……
ここ……きらいじゃ……ない……」
リオナはそっと目を細める。
「それは、とても大事なことだよ」
影は少しだけ灯りに近づいた。
うっすらと影の手が灯の色を映す。
その瞬間、
遠くの家から子どもの寝息と、
母が優しく布団をかける気配が伝わってきた。
夜は眠りを抱きしめる時間。
影もまた、その端に触れた。
風が灯籠を揺らし、
淡い光が波紋のように広がる。
リオナの胸は、温かく、そして少しだけ痛い。
(守りたい、と思ってしまう。
けれど、手を伸ばしすぎてはいけない。
観測士として……でも、それ以上に)
影が小さく声を漏らす。
「……ねむ……たく、ない……
でも……ここに……いたい……」
リオナはそっと答える。
「眠らなくてもいいよ。
ただ、夜が終わるまで、ここにいよう」
影は、ほんの少しうなずいた。
やがて風に溶けるように淡く消える。
残った灯りと、夜の静けさ。
リオナは胸に手を当てる。
(優しさって、痛いんだな……
教えるんじゃなくて、
ただ見守るだけなのに)
風がそっと吹き、
眠りの街を優しく包んだ。
今夜、影は眠らなかった。
でも、孤独でもなかった。
灯りは照らすためじゃなく、
そばにあるための光。
影が言った
「ここ、きらいじゃない」
それは名前より先に生まれる、
最初の“居場所の音”。
リオナは知る。
優しさは時に痛み。
でもその痛みは、誰も責めない。




