第1章 第28話:光の夢と泣く心 ― 空白の少女
影は声を探し、
そして今度は光が涙を落とす。
リオナは“泣いていないのに泣いている”少女の夢に寄り添う。
そこには恐怖でも絶望でもなく、
満たされきれず溢れた優しさの痛みがあった。
ハルトの家は、少し高台にあった。
赤い屋根と白壁の、穏やかな家。
窓からは朝の風が入り、カーテンが柔らかく揺れていた。
けれど玄関の前には、
緊張がうっすらと漂っている。
「こちらです」
ハルトが扉を開ける。
中には、静かに涙を拭く母親の姿。
「観測士様…娘を…どうか……」
声は震えているが、必死に気丈であろうとする。
(この街の人々は優しい——その優しさが、時に自分を縛ってしまうほどに)
少女は奥の小さな寝室で横になっていた。
年齢は七つほどだろうか。
栗色の短い髪。細い肩。
彼女は眠ってはいない。
目を開けていた。けれど、焦点は宙に漂っている。
枕に小さな涙が滲んでいた。
泣いているわけではないのに、涙だけが次々に溢れる。
「……おにいさん……?」
かすかな声。
震えて、頼るようでも、警戒するでもない。
ただ“どこにいればいいのかわからない”声。
リオナはそばに膝をついた。
「大丈夫。ゆっくりでいいよ」
少女は首を振る。
「こわく、ないの。
……あかるいの。
やさしいの、なのに……」
胸が詰まるような断片。
優しい光の夢を見た——だがそれが怖かった。
「いたくなるの。
あったかいのが、さみしいみたいで……」
涙がこぼれ、手の甲を濡らす。
リオナはそっと頷いた。
「それは、心がまだかたちを見つけていないから。
あたたかいものを受け止める場所を、いま探してるんだ」
少女の瞳が揺れる。
悲しみではない。
ただ、戸惑いと、求める力。
「わたし……もらってばかりの夢なの。
ありがとうって言えない夢」
言葉を吐くたび、涙が落ちる。
その涙は痛みではなく、優しさからあふれた涙。
リオナは少女の前で目線を合わせた。
「ありがとうって言えないと、苦しくなるね」
少女は小さく頷いた。
まるで許された子のように。
リオナは静かに語る。
「夢の光は“与えるため”じゃない。
あなたが『ここにいていい』って思えるための光だよ」
少女の息が震えた。
肩が小さく揺れ、涙の粒が光る。
「でも……こわいの。
なくしちゃうかもしれないから……」
リオナはその言葉に、かすかな痛みを覚えた。
失う恐怖。
優しさを失う恐怖。
それは、影の孤独とは別の形の孤独。
「光は、あなたの手から逃げたりしないよ。
握らなくていい。
ただ、そばに置いておけばいいんだ」
少女はぽつりと呟く。
「……そばに……?」
「うん。
受け取らなくても、返さなくてもいい。
“いていい”って思うだけで、光は居られる」
少女の目に、少しだけ焦点が戻る。
涙の量も、ほんの少しだけ弱まる。
すると、小さな声——本当に小さな声が、
少女の唇から漏れた。
「ありがとう……は、いま言えた」
リオナは微笑んだ。
その言葉は、世界のどんな魔法よりも温かかった。
ハルトも母も、声を出さずに泣いた。
泣き声を出すと、優しさが壊れてしまいそうで。
リオナは立ち上がり、庭の風を感じた。
その瞬間、背後で何かがそっと揺れた。
窓辺の光が一瞬細く揺れ、
夜に見た影の輪郭と、
今日の少女の光の涙が、重なって見えた気がする。
(光と影は、きっと同じ場所で震えている)
リオナは胸に手を当て、静かに息を吸った。
「……大丈夫。
あなたはちゃんと“帰って”これてる」
少女は小さく笑い、また涙をこぼした。
それは、痛みではなく——安堵の涙。
光はやさしい。
でもそのやさしさが、心の準備を超えるとき、
涙はあふれ、怖くなる。
それは弱さではなく、
心が容量より大きな愛に触れた証。




