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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第1章 第26話:夜風と灯火の揺らぎ ― 影の囁き

夕暮れに現れた小さな影。

それはまだ名もなく、声も持たない。


けれど今夜、

眠りの静けさの中で、

初めて“言葉らしきもの”が生まれる。


心は、形を求めるとき、

やわらかく、そして痛みを伴う。

夜。


街の灯りが遠くに点々と揺れ、

風はどこか冷たく、柔らかい。


リオナの家は、静かだった。

水庭の睡蓮は月の光を浴び、

水面は鏡のように空を映している。


リオナは縁側で、ひとり座っていた。

灯した小さなランタンの光が、木目に柔らかい影を落とす。


昼間の喧騒が嘘みたいだ。

この静けさは、世界の深呼吸のようで――

とても心地いい。


けれど今日は、胸がそわそわしていた。

理由ははっきりしている。


(あの影……今夜も近くにいる気がする)


風が草葉を揺らし、

竹垣に夜露が落ちる。


リオナはゆっくりと目を閉じた。


「怖がらなくていい。

ここにいても、いい」


声は小さい。

語りかけるというより、

風に溶かして“許し”を漂わせるように。


しばらくして――


……しゃり、……しゃ……


足音のような気配。

少しずつ、縁側へ近づく。


ランタンの灯がかすかに揺れ、

影が床板に落ちる。


リオナは目を開けた。

そこには――


また、あの小さな“影の子”がいた。


輪郭はあいまいで、

薄墨をにじませたような姿。

ただ、前よりも“人”に近い。


ちいさな肩、

ぎこちなく抱いた膝、

うつむく仕草。


影はしゃがみ、縁側の端に座る真似をした。


声は出ない。

けれど“ここにいていいですか”という気配が

はっきり伝わってきた。


リオナは微笑む。


「おかえり」


影が、ぴくりと揺れる。

その言葉は、きっと影がずっと聞きたかった言葉。


しばらく、風の音だけが流れた。

水面に月が揺れ、

夜の露が落ちる。


そして――


影から、微かに、微かに、

音が漏れた。


かすれた息のような、

片言の幼い声のような、

それとも、震える心が初めて外に触れた音のような。


「…… ……あ……」


言葉ではなかった。

でも、世界に向けて初めて声を出した瞬間だった。


リオナは急がない。

答えを求めない。

ただ、側にいる。


「無理に話さなくていいよ。

ここでは、静かでいても大丈夫」


影はゆっくりと項垂れ、

その輪郭は小さく震えた。


悲しみではない。

安心の涙のような、そんな震え。


風が吹く。

睡蓮の葉が揺れる。

庭の水がひとつ、落ちる。


影は立ち上がり、

リオナを見上げる。


その輪郭は、ほんの少し、

人の子の形になりかけていた。


そして、影は夜風に溶けた。

音もなく、ただ、そっと。


リオナは静かに目を閉じた。

心の中にも、影は残っている。


(君は、どこから来たのだろう)

(君は、泣いていたのだろうか)

(そして……帰りたい場所は、どこに?)


答えはまだどこにもない。

だが、声が生まれたという事実だけで十分だった。


夜の空は深く、優しい。

明ければまた朝が来る。


リオナはそっと囁いた。


「またおいで。

君の歩幅で、いいから」


水庭の睡蓮が静かに開いた。

まるで小さな祈りが、

夜の世界にそっと溶けていくように。

影はまだ名もなく、言葉にもなっていない。

けれど――

声にならない声が、確かに生まれた夜。


これは恐怖ではない。

戦いでもない。

“心が、帰る場所を探し始めた”という小さな奇跡。


リオナは光であり、

影はまだ幼い心。

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