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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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209/210

第2章 第158話:くもりの日の白と、ゆっくりの手

やさしさは、いつも同じ速さで動くわけではない。

晴れた日には軽くできることも、空が曇っている日には少しだけ静かに、少しだけゆっくりになることがある。

それは弱くなるのではなく、その日の空気に合わせて形を変えているのだろう。

二つの白の前に育ってきた朝の手、昼の目、帰りのひと払いも、この日ばかりは少し違う呼吸でそこにあった。

急がない。

整えすぎない。

ただ、曇りの日の気配を壊さないように、必要なぶんだけ触れる。

そんな“ゆっくりのやさしさ”が、白の前に静かに現れ始める。

その朝、空はうすい灰色をしていた。


雨が降っているわけではない。

けれど、いつ降り出してもおかしくないような湿り気が、庭全体をやわらかく包んでいる。

二つの白は、晴れた日のように光を返してはいなかった。

そのかわり、曇り空の下で少しだけ輪郭を近づけるように、静かにそこに在った。


先に咲いた白は、影を深く抱いている。

後から咲いた白も、その隣で少しだけ花弁を閉じるようなやわらかさを見せていた。

同じ白なのに、今日はどちらも“静けさを受け止める白”に見える。


リオナは扉を開けて、その空気をひと呼吸ぶんだけ吸いこんだ。

ひんやりしている。

けれど冷たいというより、音を小さくするような朝だった。


「……今日は、ゆっくりだな」

そう呟くと、後ろから出てきたリナライが頷く。

「……うん」

「なんか、あんまり急いで触らない方がいい感じ」

リナライは二つの白と、その前の場所を見る。

「……なおすのも、ちょっとだけ、だね」

「うん」

リオナは笑う。

「たぶん今日は、“ゆっくりの手”なんだと思う」

その言葉に、リナライは少し考えてから、嬉しそうに目を細めた。

「……ゆっくりのて」

シオンもまた、二つの白と水差し、石の縁、木の腰掛けを見ていた。

灯りはいつもより少しだけ淡い。


「……くもり」

ぽつりと言う。

「うん」

「曇りだね」

「……ゆっくり」

その続きに、リオナは静かに頷いた。

「うん。今日は、そういう日だ」


水差しを取る。

いつもなら少しずれた向きを直し、落ちた葉を払い、腰掛けを軽く整える。

けれど今日は、リオナの手も自然にゆっくりになった。

葉は一枚だけ払う。

砂は大きく払わず、つま先で少し寄せるだけ。

腰掛けも大きく動かさず、ほんの少しだけ座面の向きを直す。

“整える”というより、“曇りの静けさを崩さないようにしておく”に近い手つきだった。


その動きを見ていたリナライが、ぽつりと言う。


「……きょう、やさしいの、おとがしない」

「音?」

「……うん。いつもより、ちいさい」

リオナは少し笑う。

「たしかに」

「今日は、触るのも小さくなるな」

シオンの灯りが、やわらかく揺れた。


午前の早い時間、最初に立ち寄ったのはミレナだった。


門の前で二つの白を見る。

晴れの日のようにぱっと表情が明るくなるのではなく、今日は静かに息をついて、そのまま少し長く立ち止まる。


「……今日は、やわらかいですね」

「白が?」

リオナが聞くと、ミレナは頷く。

「はい」

「輪郭があるのに、強くない」

その言い方は、とても今日らしかった。


彼女は木の腰掛けのそばまで行くと、座る前に一度だけ座面へ指先を触れた。

昨夜の湿り気が少し残っているのを確かめたのだろう。

それから、脇に掛けていた布を取り、そっと一度だけ拭いた。

何度も磨くのではない。

ただ、次の人が冷たすぎないようにするくらいの、ごく小さなひと拭きだった。


「……いまの、いいな」

リオナが言うと、ミレナは少し照れたように笑う。

「今日は、湿ってるので」

「うん」

「たくさん触る日じゃないですけど」

二つの白を見る。

「少しだけ、冷たくない方がいいかなって」

その手つきもまた、曇りの日のやさしさだった。


リナライが嬉しそうに言う。

「……ゆっくりのて」

ミレナはその言葉を聞いて目を細める。

「いいですね」

「今日は、ほんとにそうかもしれません」


少し遅れてユアンがやって来た。


彼は門の前で二つの白を見たあと、石の縁へ向かう。

でも今日は、縁を払う前に、一度だけ手のひらで表面をそっとなぞった。

湿り気を確かめるように。

それから、座る場所だけを軽く払う。


「今日は、全部払わないんだな」

リオナが言うと、ユアンは頷いた。

「うん」

「なんか、今日はあんまり大きく動かさない方がいい気がして」

その感覚は、皆同じらしかった。


「……くもりの日のやり方、あるんだね」

リナライが言う。

ユアンは少し驚いたように笑う。

「あるのかもしれないです」

「晴れの日と同じじゃない」

「うん」

「でも、やらないわけでもない」

その言葉に、リオナは静かに頷いた。

そうだ。

今日はやさしさが消えているのではない。

ただ、曇りの日の速さに変わっているだけなのだ。


午前の終わり頃、リツカとサラがほとんど同時にやって来た。


二人は門の前で顔を合わせ、短く会釈する。

それから今日は、どちらもすぐには座らない。

二つの白を見る。

座る場所を見る。

その空気の重さではなく、湿り気のようなものを確かめるみたいに。


「今日は、座る前にちょっと見るね」

リツカが言う。

「うん」

サラが頷く。

「なんか、いつもより静かだから」

二人はまず、木の腰掛けと石の縁の様子を見る。

リツカは木の腰掛けへ。

サラは石の縁へ向かう。

でもその前に、リツカは腰掛けの脚元にたまった湿った葉を一枚だけ拾い、サラは縁の端に残る水滴を布の端でひと拭きする。


どちらも、大きな“整え”ではない。

その日の静けさを壊さないぶんだけの、小さな手つきだった。


「……今日は、“ちょっとだけ”が多い」

サラが小さく言う。

リツカが笑う。

「うん」

「それで足りる感じ」

「うん」

「たぶん、曇りの日だから」

その会話を聞きながら、リオナは思う。

ここでは、やさしさが“たくさんすること”ではなくなってきている。

その日の空気に合った量だけ、ちょうどよく触れること。

それが、いちばん自然なやり方になり始めているのだ。


シオンは、二つの白と、その前で静かに動く四人を見ていた。

灯りが穏やかに揺れる。


「……ちょっと」

ぽつりと。

「……なおす」

皆が顔を上げる。

リナライが弾んだ声で言う。

「……うん」

「今日は、それ」

ミレナもやわらかく笑った。

「ええ」

「曇りの日は、そのくらいがちょうどいいですね」

シオンは続ける。

「……くもり」

少し間があいて、

「……やさしい」

そのつながりが、あまりにも今日らしくて、皆が静かに目を細めた。


昼ごろ、アサヒが立ち寄った時には、もう空気の違いを自然に受け取っていたらしい。

門の前で二つの白を見たあと、今日は足元の小石を大きくよけたりはしない。

そのかわり、濡れた土の端を踏まないように少しだけ立ち位置を変え、それから柵へ軽く寄りかかった。


「……今日は、動きすぎない方がよさそうですね」

その言い方に、ユアンが頷く。

「うん」

「わかる」

アサヒは少し笑う。

「なんか、やっとこの場所の天気の読み方がわかってきた気がする」

その言葉は、新しいのに、すでにこの場所の人らしかった。


ミレナがそれを聞いて言う。


「ここ、天気でもやり方が変わるんですね」

「うん」

リツカが答える。

「最近ちょっとだけ、そう見える」

サラも頷く。

「晴れの日は少し軽く」

「曇りの日は、ちょっと静かに」

リオナはその言葉を受けて、二つの白を見る。

「たぶん、雨の日が来たらまた違うんだろうね」

その予感だけでも、今日の曇り空にはよく似合った。


午後、雑貨屋の主人が立ち寄った時には、木の腰掛けも石の縁も、必要なぶんだけ整えられたあとで、静かに落ち着いていた。

彼はその様子を見て、少し感心したように言う。


「今日は、皆さんあまり大きく触ってないですね」

「うん」

リオナが答える。

「でも、ちゃんと整ってる」

主人は頷いた。

「それが面白い」

「何がです?」

「やさしさって、増える時は多くなるのかと思っていたけど」

二つの白を見る。

「今日はむしろ、少なくてちょうどいい」

その言い方に、ミレナがやわらかく笑う。

「曇りの日の分量ですね」

「ええ」

主人も少し笑った。

「そういうことなんでしょうね」


夕方が近づくころには、白の前には今日一日の“ゆっくりの手”が残っていた。

大きくは変えていない。

でも、葉は払われ、湿りは少しだけ拭かれ、座る場所は冷たすぎず、足元は戸惑わずに済む程度に整えられている。

それら全部が、曇りの日にちょうどいいやさしさだった。


リナライは二つの白の前にしゃがみ込み、ぽつりと言う。


「……きょう、やさしいの、ちいさかったね」

「うん」

リオナが答える。

「でも、ちゃんとあった」

「……うん」

「ちいさいほうが、いい日もある」

「そうだね」

「曇りの日は、たぶんそうなんだろうね」

リナライは頷く。

「……くもりのやさしさ」

その言葉が、今日の一日をきれいに包んだ。


シオンは二つの白と、その前の小さな居場所たちを見る。

灯りが静かに明滅する。


「……くもり」

少し間があく。

「……ちょっと」

さらに、

「……なおす」

そして最後に、

「……やさしい」


夕方の風が、二つの白と、そのあいだと、その前に残る今日の静かな手つきを撫でていく。

その光景を見ながら、リオナは胸の中でそっと思った。

ここで育ったやさしさは、もう形だけではない。

晴れの日には晴れの日の、曇りの日には曇りの日の速さと分量を持ち、その日の空気に合った手つきになって現れる。

そうやって、この場所は人だけでなく、天気とも一緒に呼吸し始めているのだと。

今回は、白の前で育ったやさしさが、時間だけでなく“天気”にも少しずつ呼吸を合わせ始める回でした。

曇りの日だったからこそ、大きく整えるのではなく、必要なぶんだけ、静かに触れる。

ミレナのひと拭き、ユアンのひと払い、リツカとサラの“ちょっとだけ”の整え方、アサヒの動きすぎない立ち方。

どれも、今日の空気に合ったやさしさだったように思います。


また、雑貨屋の主人の「少なくてちょうどいい」という見え方も印象的でした。

やさしさは、常に多ければいいわけではなく、その日の空気や相手の状態に合った分量であることが大事なのだと、今日の曇り空は静かに教えてくれていた気がします。


そしてシオンは、「くもり」「ちょっと」「なおす」「やさしい」と、その日の天気に合わせたやさしさの加減にまで触れ始めました。

次は、この“天気に合わせるやさしさ”が、雨や風の強い日など、さらに別の表情を見せてくれるのかもしれません。

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