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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第147話:白の前から持ち帰る小さな一歩

言葉は、ときどき行動の少し手前にある。

「ちょっと待って」と言えたあとで、もう一度ちゃんと顔を向けられるようになる。

「まだ考えるのをやめてない」と言えたあとで、紙とペンをもう一度開けるようになる。

そんなふうに、ひとことはすぐに大きな何かを変えなくても、その人の一日の動きを少しだけ変えることがある。

二つの白の前に置かれてきた小さな言葉は、この日、ようやく目に見える小さな一歩として返り始める。

それは大きな決断ではない。

けれど、確かに“昨日より前へ”進んだ足取りだった。

朝のここは、少しだけ風があった。


強くはない。

けれど、二つの白の花弁をやわらかく揺らし、そのあいだの空気を細く流していくには十分な風だった。

先に咲いた白は落ち着いてその風を受け、後から咲いた白ももう前ほど頼りない揺れ方はしない。

二つの白の前には石の縁と木の腰掛け。

そのどちらにも、もう“誰かが少し座っていく場所”の気配がきちんと残っている。


リオナは小さな水差しで二つの白へ水をやる。

その水の落ちる音を聞きながら、昨日の“ひとこと”たちを思い出していた。


「……今日は、言ったあとが見えそうだな」

そう呟くと、リナライが白を見る。

「……いった、あと?」

「うん」

「ひとこと、言えたあと」

「……つぎ?」

「そう。次に何するか、みたいな」

リナライは少し考えてから頷く。

「……うん。きょう、そんなかんじ」

シオンもまた、二つの白とその前の居場所たちを見ていた。


「……ここ」

「うん」

「……いう」

「うん」

少し間があいて、

「……つぎ」

リオナは静かに目を細める。

「うん。今日はその日かもね」

灯りが、風に合わせるみたいにやわらかく揺れた。


午前のうち、最初にやって来たのはサラだった。


門の前で二つの白を見る。

それから今日は、迷う時間がいつもより短い。

木の腰掛けへ自然に腰を下ろし、小さく息をつく。


「おはようございます」

「おはよう」

リオナが返す。

サラは少しだけ照れたように笑った。

「……また来ました」

「うん」

「今日は、ちょっとだけ報告があります」

その言い方が、前より少しだけ明るい。


リツカが少し遅れてやって来て、石の縁へ腰を下ろす。

二人がまた並ぶ。

でも、今日は重い空気ではない。

静かだけれど、昨日の続きをちゃんと持ってきた明るさがある。


「昨日、“考えるのをやめてない”って言えたあと」

サラが二つの白を見ながら言う。

「仕事のあと、布の見本帳をもう一回開いたんです」

リオナは小さく頷く。

「うん」

「前は、“決められないなら見てもしょうがない”って閉じてたんですけど」

「うん」

「昨日は、閉じないで見られました」

その言葉は小さい。

でも、確かに行動だった。


リツカがやわらかく笑う。

「それ、いい」

「うん」

サラも少し笑う。

「大したことじゃないんですけど」

「ううん」

リツカは首を振る。

「見るのやめなかったの、すごい」

サラは二つの白を見る。

「たぶん、ここで“まだ考えてる”って言えたからだと思います」

「うん」

「だから、昨日よりはちゃんと“続いてる”感じがした」

その言葉に、リオナの胸がやわらかくあたたかくなる。


シオンはサラを見る。

次に二つの白を見る。

灯りが揺れる。


「……いう」

ぽつりと。

「……みる」

皆がそちらを見る。

「いま、“みる”って?」

リナライが嬉しそうに聞く。

「……みる」

もう一度、シオンが言う。


サラは少し目を丸くして、それから笑った。

「うん」

「見た」

「昨日、言えて」

「うん」

「それで、また見た」

シオンの灯りが、やわらかく明るくなった。


その時、門の前にユアンがやって来た。

今日は足取りが昨日より少し軽い。

石の縁にリツカが座っているのを見て、柵のところでいったん止まる。

だが、サラが木の腰掛けから少しだけ身をずらし、隣を見た。


「少しなら、座れます」

ユアンが一瞬驚く。

「え?」

「詰めれば」

その“どうぞ”は昨日の譲り方よりも、もう少し自然だった。

ユアンは少し迷ったが、やがて「じゃあ少しだけ」と言って、木の腰掛けの端へ腰を下ろした。


二人でひとつの腰掛けに、少し間を空けて座る。

近すぎず、遠すぎず。

その形も、今のここにはよく似合っていた。


「おはようございます」

「おはようございます」

短い挨拶のあと、ユアンは二つの白を見る。

それからぽつりと言う。


「昨日、“ちょっと待って”って言えた話しましたよね」

「うん」

リオナが答える。

「そのあと、今朝……」

彼は少しだけ照れたように目を伏せる。

「自分から先に“おはよう”って言えました」

リツカが目を細める。

サラも小さく笑う。

「……それ、いい」

「うん」

ユアンは少し肩をすくめる。

「本当にそれだけなんですけど」

「でも、昨日より前ですね」

リオナが言うと、ユアンは少しだけ間を置いて頷いた。

「……はい」

「たぶん、そうです」


シオンはそのやり取りを聞きながら、二つの白と、その前に座る二人を見る。

昨日は“ひとこと言えた”。

今日は“自分から先に言えた”。

少しの言葉が、少しの行動へ変わっている。


「……いう」

ぽつりと。

「……さき」

皆が顔を上げる。

「いま、“さき”って?」

リナライが弾んだ声で聞く。

シオンの灯りが明滅する。

「……さき」

もう一度、たしかに。


ユアンが少し驚いたように笑う。

「うん」

「今日は、先に言えました」

その言葉が、朝の庭に静かに置かれる。


午前の終わり頃、ミレナが立ち寄った時には、木の腰掛けに少し詰めて座るサラとユアン、石の縁のリツカという景色があった。

彼女はそれを見て、ふっと笑う。


「今日は、みんな少しずつ先ですね」

「うん」

リオナが答える。

「言葉の次の日、って感じ」

ミレナは二つの白を見る。

「よかった」

「何が?」

「ひとことが、その場かぎりじゃなかったことです」

その言葉に、リオナは静かに頷く。

たしかにそうだ。

白の前で言えた小さな言葉が、庭の外でちゃんと続いている。


昼前、リツカも自分の報せをひとつ置いた。


「弟、今日は庭で座ってる時間が昨日より長かった」

サラが目を細める。

「うん」

「それ、いい」

ユアンも頷く。

「ちゃんと続いてる」

リツカは少し照れながら笑う。

「うん」

「今日は、もう一回だけ笑った」

そのひとことに、庭の空気がふっとやわらかくなる。


シオンはリツカを見る。

「……わらう」

ぽつりと。

リツカが目を見開く。

「いま、“笑う”って?」

リナライが嬉しそうに頷く。

「……うん。わらう」

リツカは口元を押さえて、それからやわらかく笑った。

「うん」

「笑った」

「ちょっとだけ」


その“ちょっとだけ”が、また今日のここらしかった。


午後、雑貨屋の主人が通りかかり、木の腰掛けに二人が少し詰めて座っているのを見て、少しだけ目を丸くした。


「……二人で座れるんですね」

「詰めれば」

サラが言うと、主人は苦笑する。

「作った本人が想定してなかった使い方ですね」

「でも、悪くないです」

ユアンが言う。

主人はその返しに少し驚いたようだったが、やがて目を細める。

「……それなら、よかった」

リオナはそのやり取りを見ながら思う。

やさしさが増えると、使い方も少しずつ増えていくのだろう。

一人で座るための場所が、今日は二人で少し譲り合って座る場所になっている。


夕方が近づくころには、二つの白の前には今日置かれた小さな行動の気配が残っていた。

見本帳を閉じずに見たこと。

自分から先に「おはよう」と言えたこと。

庭で長く座って、もう一回笑えたこと。

どれも小さい。

でも、それぞれ確かに“ひとことの先”だった。


リナライは二つの白の前にしゃがみ込み、ぽつりと言う。


「……いうと、うごくんだね」

「うん」

リオナが答える。

「ちょっとだけ、だけどね」

「……うん」

「……でも、それがいい」

「そうだね」

「大きくじゃなくて、ちょっと」

「うん」

「それで、また次が来る」

リオナは静かに頷いた。

「たぶん、そうやって続いていくんだろうね」


シオンは二つの白と、その前の小さな居場所たちを見る。

灯りが穏やかに揺れる。


「……いう」

少し間があく。

「……うごく」

さらに、

「……さき」

そして最後に、

「……うれしい」


夕方の風が、二つの白と、そのあいだと、その前に残る今日の気配を静かに撫でていく。

その光景を見ながら、リオナは胸の中でそっと思う。

ここで育ったひとことは、ただそこに置かれて終わるものではない。

少しだけ人を動かし、少しだけ昨日と違う朝をつくり、その先の明日へと静かにつながっていくのだと。

今回は、“ひとこと言えた”ことが、今度は小さな行動へとつながり始める回でした。

サラの「見本帳を閉じずに見られた」、ユアンの「自分から先におはようと言えた」、リツカの「弟が長く座って、もう一回笑った」。

どれも大きな変化ではありませんが、言葉がその場かぎりで終わらず、暮らしの動きそのものを少しずつ変え始めているのが印象的でした。


また、シオンが「いう」「みる」「さき」「わらう」「うごく」と、言葉の先にある行動の変化にも触れ始めたことは、とても大きいと思います。

この庭で起きることは、もう感情や会話だけではなく、人の暮らしの小さな動きへまでやわらかく広がってきているのかもしれません。


次は、この“小さく動き始めたもの”が、また新しい組み合わせや、新しいやりとりを生むのかもしれません。

二つの白の前の時間は、今日もまた静かに、でも確かに先へ進んでいます。

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