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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第109話:線の向こうから届くもの

言葉は大切だ。

けれど、言葉にならないまま届くものもある。

門の前で止まること。

急がずに待つこと。

相手が返せる形を探して、小さなものをそっと置いていくこと。

そんな何気ないしぐさの中には、ときどき、どんな言葉よりもまっすぐな気持ちが宿る。

この日、庭の小さな線の向こうから、またひとつ新しい“届け方”が生まれていく。

朝の庭は、少しだけ昨日の続きを残していた。


麻紐の手前に置かれた小さな木片。

そこに、今朝はリオナが薄い布を巻いて、目印のような結び目を作っている。

強く主張する印ではない。

けれど、ここが“ただの通り道”ではなく、気をつけてほしい場所だと、一目でわかる程度の工夫だった。


「……むすんだ」

リナライがそれを見て言う。

「うん。線が見えにくい時もあるからね」

「……わかりやすい」

「その方が、向こうも迷わなくて済むかなって」


シオンは少し離れた場所から、その布の結び目を見ていた。

胸元には白、桃色、そして押し花。

昨日よりも花びらの揺れ方は落ち着いていて、灯りも穏やかだ。


「……せん」

ぽつりと、シオンが言う。


リナライがすぐに顔を輝かせる。

だが以前より騒がない。

驚きや喜びを、シオンが戸惑わないくらいの大きさに抑えることを、彼女も少しずつ覚えていた。


「……うん。せん」

「……せん」

「だいじな、せん」

その言葉に、シオンの灯りがふわりと明るくなる。


リオナはその様子を見て、朝の空気をゆっくり吸い込んだ。

守るために引いたものが、怖れの象徴ではなく、意味のある輪郭としてシオンの中に入ってきている。

それだけで、この数日の積み重ねが報われた気がした。


午前のうち、門の前を通る人は何人かいた。

挨拶をする者。

ちらりと庭を見て、そのまま歩いていく者。

立ち止まっても、麻紐の手前で自然に足を止める者。

昨日よりさらに、“この庭ではこうするらしい”が村の身体に馴染んできているのがわかる。


そんな中で、ひときわ小さな足音が近づいてきた。


こつ、こつ。

でも、走らない。

ためらいながらも、逃げない。


門の前に現れたのはミーナだった。

今日はハルもノルもいない。

彼女ひとりだ。

胸の前で小さな包みを両手で抱えている。


「おはよう」

リオナが声をかけると、ミーナは少し緊張しながら頭を下げた。

「お、おはようございます」

「今日はひとりなんだね」

「……うん」

「どうしたの?」

ミーナは包みをぎゅっと持ち直した。


「きのう、押し花……とってくれたから」

“とってくれた”ではなく、昨日リナライが言い直した“もらった”に近づけたいのに、まだうまく言葉が選べない。そんなためらいが見えた。


「それで、その……また、へんじゃなかったら」

彼女は包みを少しだけ持ち上げる。

「これ、持ってきたの」


布をひらくと、中には小さな布細工が入っていた。

白い糸で縁取られた、ごく簡単な花の形。

上手すぎるわけではない。

けれど、一針ずつ丁寧に縫ったことがわかる、小さなやさしさだった。


リナライが思わず息を呑む。


「……すごい」

「わ、私が作ったの。ほんとはもっとちゃんとしたの作れたらよかったんだけど……」

「じゅうぶん、ちゃんとしてる」

リナライのその言葉に、ミーナの頬が少し赤くなる。


リオナはシオンを見る。

シオンは布の花をじっと見ていた。

花びらと違って、これは軽くはない。

それに自然のものでもない。

手で作られたもの。

“誰かが自分のために形にしたもの”だ。


それがシオンにどう映るのか、リオナにはまだわからなかった。


「置いてみてくれる?」

ミーナは頷き、麻紐の手前にしゃがみ込む。

線は越えない。

けれど、ただ置いて離れるのでもない。

どうしたら相手に怖がられずに届くか、彼女なりに考えてきたのだろう。


布の花をそっと地面へ置く。

白い布は朝の光を受けてやわらかく見えた。


「……これ、しろ」

ミーナが小さく言う。

「シオン、しろ、すきそうだったから」


その言葉に、シオンの灯りがふる、と揺れる。


リナライは黙って見守っている。

リオナも何も言わない。

今ここで必要なのは説明ではなく、待つことだった。


風が吹く。

白い布花の端が少しだけ浮く。

でも、花びらのようには動かない。重みがあるからだ。


シオンは一歩だけ前へ出る。

麻紐のこちら側のまま。

胸元の花びらたちが小さく揺れ、灯りが少しずつ強くなる。


「……はな」

かすかな声が落ちる。


ミーナが目を潤ませる。

だが声は上げない。

ただ、うん、と何度も頷いた。


シオンの輪郭が細く伸びる。

白い花びらが一枚、布花の近くまで進む。

触れる。

離れる。

もう一度触れる。


花びらみたいには寄らない。

押し花とも違う。

布は少しだけ重くて、少しだけかたちが強い。


「……おもい、のかな」

リナライがそっと言う。

「たぶんね」

リオナが答える。

「でも、嫌ではなさそうだ」


シオンはしばらくそのまま布花を見つめていた。

やがて、白い花びらがもう一枚ふわりと浮き、布花のそばに落ちる。


ミーナが小さく首をかしげる。

「……これ、どういう」

「たぶん」

リオナは静かに言った。

「同じ“しろ”だって、見てるのかも」

ミーナはその言葉を聞いて、はっとしたように布花と花びらを見比べる。


自然の花。

手で縫った花。

似ているけれど違うもの。

それをシオンなりに並べて見ているのかもしれない。


「……そっか」

ミーナは嬉しそうに、でも少し泣きそうに笑った。

「ちゃんと、見てくれてるんだ」


その言葉のあと、シオンの灯りがまた少し強くなる。

輪郭が細く伸び、今度は布花の下へと静かに差し込んだ。


ふわり。


完全に持ち上げることはできない。

けれど、布花の端が確かに浮いた。


リナライが口元を押さえる。

リオナも目を細める。


シオンは慎重だった。

押し花のようにはいかない。

けれど、無理に引っ張らず、少しずつ、触れ方を変えながら確かめている。


その様子は、まるで

“どうしたら受け取れるか”を考えているみたいだった。


そして――

布花は、ほんのわずかに滑るように動き、麻紐のこちら側へ近づいた。


線を越えてこちらへ来たのは、ミーナではない。

置かれた気持ちの方だった。


ミーナは思わず両手を口に当てる。

「……きた」

リナライが小さく頷く。

「……うん。きた」

「もらった?」

「……たぶん、ちゃんと」


シオンは布花を胸元までは運べなかった。

けれど、麻紐のこちら側まで招き入れた。

それだけで十分すぎるほどの応答だった。


ミーナはしばらく何も言えなかった。

やがて、震える声で呟く。


「ありがとう」

その言葉に、シオンの灯りが穏やかに明滅する。


リオナはその様子を見ながら思う。

線の向こうから届くものを、ただ受け取るだけではなく、シオンは少しずつ“どう受け取るか”を選び始めている。

それはきっと、大きな変化だった。


しばらくして、ミーナは麻紐の向こうから、小さく会釈をした。


「今日は、これだけ」

「うん」

「また……来ても、いい?」

リオナはシオンを見る。

シオンは布花の近くで揺れていた。

灯りは落ち着いている。


「たぶん、大丈夫」

そう答えると、ミーナはほっとしたように笑った。

「よかった」


彼女が帰ったあと、リナライはそっとシオンのそばに座り込む。


「……もらえたね」

シオンは布花を見る。

「……しろ」

「うん。しろの、はな」

「……はな」

「ミーナがくれたの」

その名を聞いて、シオンの灯りが小さく震える。

名前とものが結びつくには、まだ少し時間がかかるだろう。

でもその手前にある何かは、きっともう届いている。


午後になると、ノルとハルもやって来た。

二人は麻紐の前で止まり、布花を見つけてすぐに気づいた。


「それ、ミーナのだ」

「うまくいったの?」

ハルが小さく聞く。

リナライは嬉しそうに頷く。

「……ちゃんと、きた」

その一言で、二人も意味を理解したらしい。


ノルは目をきらきらさせたが、昨日までみたいに勢いだけで前へは出なかった。

かわりに、門のところでしゃがみ込み、少し考えてから言う。


「じゃあ、おれも今度なんか持ってこようかな」

「なんかって?」

リオナが聞く。

「……わかんない。でも、あげるっていうか」

ノルは言葉を探しながら手を動かす。

「ちゃんと置けるやつ」

ハルが横で真面目に言う。

「重すぎないほうがいいかも」

その助言に、皆が少し笑った。


夕方、庭がやわらかい橙色に染まるころ。

シオンの胸元にはいつもの花びら、足元には白い布花。

ナリたち三つの影も、そのまわりで静かに揺れている。


リオナは麻紐の近くに立ち、その向こうとこちらを見渡した。


線の向こうから届くもの。

言葉。

押し花。

布で作った花。

それらはどれも小さい。

けれど、小さいからこそ、無理がない。

相手を押しのけず、怖がらせず、“受け取れるかたち”を探しながら届いてくる。


それは、この庭でいちばん大切なやり方なのかもしれなかった。


リナライがぽつりと呟く。


「……ことばじゃなくても、くるね」

「うん」

リオナは頷く。

「ことばじゃないから届くものもあるんだろうね」


風が吹き、麻紐が揺れる。

白い布花の端が少しだけめくれ、花びらがそれに寄り添う。


線はまだある。

でもそれはもう、隔てるためのものには見えなかった。

向こうからこちらへ、こちらから向こうへ。

気持ちが行き来するための、やさしい間合いの印に変わりつつあった。

今回は、ミーナが届けた小さな布花を通して、線の向こうから“言葉以外の気持ち”が届く回になりました。

押し花とは違う、誰かが手で作ったもの。

その重みや形の違いに戸惑いながらも、シオンが“どう受け取るか”を探る姿には、少しずつ育っていく個性や意志が見え始めています。


受け入れることは、ただ近づくことではなく、相手が受け取れる形を考えることでもあります。

そして受け取る側もまた、ただ与えられるだけではなく、自分なりの返し方を選んでいく。

その小さな往復が、この庭では静かに積み重なってきています。


次は、このやさしいやり取りが村の中でさらに広がり、

“何を持っていけばいいか”ではなく、“どう気持ちを届けるか”を考える人たちが増えてくるかもしれません。

静かな庭は、まだ少しずつ、やさしい方向へ変わっていきます。

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